『わたしはBIG! ありのままで、かんぺき』

『わたしはBIG! ありのままで、かんぺき』

『わたしはBIG! ありのままで、かんぺき』
ワシュティ・ハリスン・作  ジェーン・スウ・訳  ポプラ社 2025 年2月

「あるところに、おおきなえがおと おおきなこころ おおきな おおきなゆめをもつ
おんなのこがいました」

という文章ではじまる絵本。大きいことはいいこと素晴らしいこととほめられ、女の子はすくすく育つ。そのうち女の子にかけられる言葉が変わってくる。女の子自身は何も変わってないのに、肯定的な言葉から否定的な言葉へと。
「大きすぎる」「もう大きいんだから」「大きすぎて似合わない」
みんなと同じまだまだ小さい女の子なのに、見た目だけで大きいから小さい子のものは使うなとか、もうお姉さんなんだからと我慢することを強いられ、どうしてそれがわからないのか出来ないのかと責められる。女の子は傷つき萎縮してしまう。

「じぶんはどこにいても めだちすぎで きめつけられて それなのに だれのめにも うつらないんだと、かんじるようになりました」

もう女の子がかわいそうでかわいそうで、周囲の人の無神経な言葉に腹が立って仕方がなかった。縮こまり涙にくれる女の子に、早く誰か手を差し伸べて!と祈っていたら、ここからの展開が素晴らしかった!
普通なら誰か味方が現れるだろう。だがこの女の子は自分の足で立ち上がるのだ!

「もっと じぶんのために いばしょをつくろう。じぶんを あいしてみよう」

決意した女の子は自分が傷ついたことをきちんと周囲に告げる。人々は、そんなつもりはなかっただの、考えすぎだのと、まともに受け止めてくれない。中には手を差し伸べる人もいたが、その人は「かわりたいならたすけになるよ」と言う。それは女の子の望むことではない。

「だいじょうぶ わたしはこのままのじぶんが すきだから」

素晴らしい!本来なら親なり教師なり周囲の大人が伝えてあげるべき言葉なのに、この子は自分でそれに気づく。子どもが持つ生きる力、それを信じさせてくれた。頑張って!と全力で応援したくなる。
一方で大人が誰もそれに気づかないというのが、やるせないのだけれど、いつか必ず気づいてくれる大人があらわれることを信じたい。子どもの本来持つ生きる力は、大人の支えがあればより強く発揮出来るだろう。それを支えられる大人でいたいと思う。

絵も素晴らしい。女の子が、のびのびした笑顔から次第に悲しい顔に変わっていく。その悲しい顔の女の子が紙面いっぱいに描かれた絵は、行き場のない閉じ込められた女の子の心が見てとれ息苦しくなる。最後のページは「似合わない」と言われたピンクの服を着て踊る女の子。そう、誰に何と言われても女の子は自分を愛し自分の道を進むのだ。

大きくても小さくても、見た目で判断されることはありがちだ。それが間違っているとわかっていても、ついつい大きいと大人扱いし、小さいと逆に子ども扱いしてしまう。また何気ない言葉が、相手を傷つけてしまうこと、そこに無意識の偏見があることにもっと自覚を持たなくてはならないと反省した。

村上雅郁の『りぼんちゃん』では主人公は体が小さいため、同級生からも子ども扱いされる。相手は可愛いがってるつもりで悪気はないのだが、それは彼女を軽く見ていることになる。侮られ軽く扱われることは辛い。あの作品でも胸が苦しくなるほどだった。

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