舞台は今の体調ではまだ見に行けないけど、配信でいくつか見た。
「帝劇コンサート」
建て替えのため閉館する帝劇が、豪華なメンバーで2/14〜2/28 コンサートを開いた。
そのうち2/22と2/28の配信を見た。初めて聴く歌もあり、ミュージカル見たい気持ちが盛り上がってくる。
ミュージカルは3作品。
「二都物語」
ストーリーがちょっと納得いかないのと、浦井健治があまり活躍しないのが気になるが、井上芳雄はさすがに上手かった。しかしそれよりも橋本さとしと未来優希の夫婦が良かった。
「マタ・ハリ」
ダブルキャストだったので、2パターン見た。
A柚希礼音、加藤和樹、甲斐翔真
B愛希れいか、廣瀬友祐、加藤和樹
最初にB、次に千秋楽のAを見た。
元々ちゃぴちゃん(愛希れいか)が好きだったので、やっぱりちゃぴちゃんの演技はいいなあと思ってて、ちょっとちえさん(柚希礼音)は大ざっぱかなと思っていたのだけど、最後の最後でちえさんに持ってかれた。裁判での尋問場面、毅然として肝が坐っていて壮絶に美しかった。
ストーリーは色々言いたい。特にアルマンが法廷に現れるのはいくらなんでも無理じゃないかな。
「ゴースト&レディ」
2024年の東京公演以来待ちに待った名古屋公演の配信。一部キャストが変わり新鮮に見られた。多少演出も変わってたみたいだけど、相変わらず素敵な作品。何度でも見たい。
今の大阪公演もライブ配信があるので、楽しみに待っている。
上映期間が短くて予定が合わなかったり、体調の問題で見に行けない映画もたくさんあった。そんな時頼りになるのはWOWOWやBSなどのTV放送。ただせっせと録画しても追いきれなくて、見ないで消してしまったものもたくさんある。そんな中で印象に残った映画がいくつかある。
「ピクニックatハンギング・ロック」
少女たちは非常に美しいのだけど風景が美しくなく、そのチグハグさが不穏だった。学院という閉ざされた歪な王国が崩れさるさまが描かれていた。
「スープとイデオロギー」
監督の母親の日常を写していた映画が、韓国の済州市島4・3事件の時だけアニメーションになって驚いた。母親がなぜあんなにも北朝鮮に心を寄せているのか、その理由がようやくわかった。母親が韓国に不信感を抱くのも無理はない。
恥ずかしいが光州事件と混同していた。この二つの事件についてはまだまだ知らないことが多い。
「ある男」
安藤さくらの演技がすごくて目が離せなかった。先日のミュージカル版よりはこちらの方が好き。
「落下の解剖学」
裁判場面が息苦しくて辛かった。何があったのか正確なことは何もわからずすっきりしない。すべてが推測でしかない。
「対峙」
銃乱射事件の被害者両親と加害者両親の話し合い。ほぼこの4人の会話だけで進む。緊張感でこちらまで苦しくなってきた。被害者母親の一言が救い。
「山の郵便配達」
水墨画のような風景が美しい。配達人の仕事を受け継ぐ息子と、引き継ぐ父親が一緒に歩く。父親の佇まいがとてもいい。
「アフター・ウェディング」
マッツが見られればわたしは満足です。たとえどんなに情けなかろうと。でも実はマッツよりもう一人の男性の方が良かったなあ。
「プレゼンス 存在」
怖くないホラー。でもこの家族これから大丈夫かしら。
「ゴールド・ボーイ」
岡田将生がクズだった。子どもを侮ってはいけない。
「ラストマイル」
こちらはいい岡田将生。火野正平や阿部サダヲなど配送会社の人たちがいい。ドライバーさんたちもっと報われてほしい。
「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
ろう者役はろう者の俳優が演じているのが良かった。飲食店で親切なつもりでろう者の分も注文していた主人公に、自分たちはちゃんと自分で注文出来ると言われる場面にハッとさせられた。ただなじるのではなく、陰に呼んで感謝も伝えながらだったのに感心した。主人公とろう者の母親との関係が、成長するに従って変わってくる様子が丁寧に描かれていた。
「ウイキッド ふたりの魔女」
シンシア・エリボーの歌声はもっともっと迫力あるはずだけど。アリアナ・グランデはとても良かった。ストーリーははっきり言って嫌い。学校の生徒がエルファバをあからさまに差別して笑いものにするのに、それに加えて最後に悪人に仕立て上げられるエルファバが気の毒すぎる。続編で救いはあるのか?
2025年は県内の比較的行きやすい場所にミニシアターができた事で、久しぶりに映画館での映画鑑賞が再開出来た。都内へ出ないでも見られるので、気になる映画は積極的に見に行くようにした。5月から合計16本見た。コロナ禍前にはもっと見に行けた年もあったけれど、今の体力ではこれで精一杯だった。これでも体調不良で行けなかった映画が何本もある。ベストを選出するほど見ていないので、見た順に全て挙げてみる。
5/22 ノー・アザー・ランド
5/29 教皇選挙
6/5 どうすればよかったか?
6/12 ドマーニ!愛のことづて
6/27 シンシン/SING SING
7/5 侍タイムスリッパー
7/18 フォーチュンクッキー
7/25 黒川の女たち
7/28 トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦
8/8 満天の星
8/12 パフィンの小さな島
8/22 摩文仁 mabuni
9/12 能登デモクラシー
9/26 リンダ リンダ リンダ
11/14 壁の外側と内側 パレスチナ・イスラエル取材記
12/22 非常戒厳前夜
ドキュメンタリーが半分の8本。この映画館に通うようになってドキュメンタリーを多く見るようになった。
数少ない中であえて自分のベスト1をあげるなら、やはりドキュメンタリーの「摩文仁 mabuni」だった。沖縄戦のことからはじまり、現在に続く様々な問題と真剣に向き合わなくてはならないと痛感させられた。
現在の問題といえば「ノー・アザー・ランド」「壁の外側と内側」も、パレスチナ問題を学び続けなければとの思いを強くさせられた。
「満天の星」は映画自体の出来は良くないし評価しないが、対馬丸について調べるきっかけをくれた。
「黒川の女たち」は見た時点では今年のNo.1だと思った。監督と直接話も出来てよかった。著作『刻印』はまだ読み途中。
ドキュメンタリー以外では期待通りのもの、意外にも心惹かれたもの、それぞれとても楽しめた。
そして「トワイライト・ウォリアーズ」は、まさかのファンフィクションの楽しみを教えてくれた、最高に熱い映画だった。
映画「非常戒厳前夜」
キム・ヨンジン/監督 2025年
OttOにて鑑賞 2025年12月22日
2024年12月3日の韓国戒厳令のニュースには驚いた。一国の大統領が出した命令なので、それなりの意味があるものだろうとぼんやり思っていた。だがニュースでその後の国会議員たちが国会に押しかける姿、多くの国民が抗議行動する姿を見て、何が起こってるのか何が正しいのか訳が分からなかった。韓国の情勢を知らないせいもあるが、お上の出した命令だから正しいはず、何か意味があるはず、と無条件に無批判に受け入れるクセがついていたのだろう。
結局戒厳令は無効となり、大統領はその後弾劾され罷免された。あの戒厳令はいったい何だったのだろう。それが知りたくてこの映画を見た。
見る前は勘違いしていたのだが、わたしはこの映画は戒厳令下での人々の行動を記録し、その解除までを追ったものだと思っていた。だがそうではなくその逆で、戒厳令に至るまでの記録だった。大統領に批判的な独立系メディア「ニュース打破」に対して、大統領が行った言論弾圧の日々が記録されていたのだ。権力者が自分に不利なニュースを流すメディアを狙い撃ちして徹底的に潰そうとしていた。それに対抗したメディアの闘いの日々の記録だった。監督のキム・ヨンジンは「ニュース打破」の代表を2025年2月まで務めていた。
「始まりは2023年9月14日だった」と言う記者の言葉から、映像は過去へ飛ぶ。「ニュース打破」の事務所への強制捜査だけでなく、二人の記者の自宅へ検察が家宅捜索に訪れる。事務所前で強引に入ろうとする検察を、弁護士到着まで待たせる緊迫した場面。こういう場面はニュースでも見ていたが、何となく検察が正義のように見えていた。でもこの映画で捜索を受ける側からの身になって見ることが出来た。
記者の自宅、まず令状の確認も短い時間ではちゃんと出来ない。弁護士が来てくれて二人で確認していても見逃すことはある。対して検察側は大勢でやって来て家中を荒らし回る。その異常な状況下では、とても頭が回らない。後日確認して捜索対象でない物品まで押収していったことがわかる。
後日のキム代表宅への強制捜査の時は、なぜかバールのような棒を持った人もいた。何でも捜査を拒否したら玄関をこじ開けるための要員だったらしい。この人たちは検察ではなく消防隊とか?らしいが、わざわざこのためだけに駆り出されたのだ。何とも馬鹿らしいがこれも威嚇のつもりなのだろう。こういうふうに精神的に相手を追い詰めていくのだろう。正義の味方だと思っていた検察が、権力者と手を組むと平気でこういうことをするのか。そもそも大統領が任命しているのだから当たり前か。恐ろしさに体が震える。
普通の人ならこんな事にはとても耐えられない。記者でさえ「自分はストレスには強いと思っていたが、さすがにきつかった」と言っている。
しかも権力側はニュース打破が「フェイクニュースを流す罪人」であるかのような印象操作を大々的にしてくる。記者の一人が、「世間での悪評があまりに凄いので、もしかしたら自分たちが間違っているんじゃないかと思ってしまう時もあった」と言っていたが、あまりひどい状況におかれると、正確な判断もできなくなってしまうのだろう。日本でも不確かな情報によるバッシングのひどさに耐えられない悲劇が何件も起きている。
記者たちは弾圧に屈せず立ち向かう。「ニュース打破」は報道の独立性を確保するため、企業広告をとらず市民からの支援で運営されているという。だからこういう活動が出来るのか。
検察に出頭したキム代表を待ち構えていた他のメディアが「今どんなお気持ちですか?」とインタビューする姿には呆れた。
あなたたちの仲間でしょ?自分たちにもいつ降りかかってくるかもしれない事なのに、何を呑気に聞いてるの?自分たちは正義で「ニュース打破」はフェイクニュースを流す悪いメディアだから、高見の見物を決め込んでいるの?
それに対する代表の言葉が痛烈だった。
「聞かせて下さい。本来ここに立つべきなのは誰なんですか?私たち記者は権力者の情報を丸呑みにして流してはならない。私たちは同じ記者です。いっしょに頑張りましょう」(ちょっと記憶が曖昧なので、パンフレットを参考にした。正確にこう言ったわけではない)
韓国メディアも日本のメディアと同じく、政府の発表をそのまま流すだけなんだと思った。それでも韓国にはこんな気骨のあるジャーナリストがいるのだ。日本はどうか。こういうジャーナリストを育てる土壌があるだろうか。暗澹たる気持ちになる。
パンフレットによると、この映画の原題は「押収捜索ー内乱の始まり」だという。映画の内容はまさにその通りだった。
終わってみれば今年も青学かあ、ということだけど、復路もすごく見応えあった。例年首位のチームが独走しちゃうと興味が薄れるのだけど、今年はそこまでではなくて、ジリジリいけば逆転可能か?それは無理でもどこまで迫れるか?という期待感があった。ただやはり青学は強かった。往路復路総合と、全て新記録での完全優勝なんだから文句のつけようもない。
國學院だって復路は大会新記録だったから、誇っていいよ。2位でのゴールなのにもっと喜んでいいのに。優勝狙ってたから残念だろうけど、選手たちを讃えて労わってあげよう。兄の母校なのでついつい肩入れして応援していた。来年頑張ってね。
今年は箱根の一斉スタート以降は繰り上げないかなと思っていたら、最後の9区から10区への引き継ぎで2校が繰り上げになっちゃった。もうあと1区間だし、2分くらい延長してくれてもいいじゃない。昔と比べて全チームが走り終わる時間が短くなっているのだから、運営上の支障はないだろうに。
シード権争いは今年はややこしかった。一斉スタート組の帝京が追いかけていて、見かけの順位では追い抜いてシード権内なのに、実際はまだ11位以下で、ゴールの時点でもなかなか確定順位が出ない。でも通過地点での10位とのタイム差が2秒だったので、これは抜いたんじゃないかと思いながら結果を待っていた。放送でもタイムの計算中は正確なこと言えなくて困ったろうな。確定順位が出た時はほっとした。ゴールの時はまだ喜ぶ顔が見られなかったけど、良かったね。11位のチームは悔しいだろうけど、来年頑張って下さい。
なんだかんだ言いながら、結局今年も楽しんでしまった。音声消したテレビとラジオ放送での視聴は来年も続けていくつもり。
映画「壁の外側と内側 パレスチナ・イスラエル取材記」
川上泰徳/監督 2025年
OttOにて鑑賞 2025年11月14日
中東ジャーナリストの川上泰徳さんが、2024年7月上旬から8月上旬までの約1ヶ月間、パレスチナとイスラエルを取材した記録映画。
驚いたのは「壁」がガザを封鎖している壁のことではなく、ヨルダン川西岸地区に築かれている「壁」だったこと。ガザが壁により封鎖されていることは知っていたが、まさか西岸地区にもあったなんて知らなかった。本当に自分は何も知らなかった、知ろうとしていなかったのだと恥ずかしい。これって普通に違法じゃないのか?ガザの封鎖にしてもなぜ世界は黙って見ているのか?
ヨルダン川西岸地区とイスラエルを分断する700キロの壁。タイトルの「外側と内側」とはいったいどちらのことか疑問だったが、パレスチナが外側、イスラエルが内側だという。壁を築いた側のイスラエルから見ればそうなのだろう。取材もイスラエル側からしか入れないのだから、そういう呼び方になるのは当然なのだろうけど、なんかモヤモヤした。
西岸地区の都市へブロンではモスクとシナゴークが隣接していた。もともとこのパレスチナはユダヤ教キリスト教イスラム教の聖地である。だから元々はずっと共存して暮らしていたはずなのだ。どうしてその共存が続けられなかったのか。シオニストたちがこの地を独占しようとしたから。そしてそれを世界が看過し後押ししたから。今の悲劇はわたしたちみんなに責任がある。
その後監督は西岸の地区のマサーフェル・ヤッタに入る。映画「ノー・アザー・ランド」の舞台だ。この撮影の時はまだ映画は公開されていなかったという。そこで見た光景は「ノー・アザー・ランド」と同じだった。理不尽に家を破壊され、家畜を奪われ、暴行され酷い怪我を負わされる。そしてここでも井戸を壊され、学校を壊される。なぜ学校を壊すのか、それは教育が大切だからだ、と語る男性の言葉が胸をうつ。子どもたちから希望も未来も奪い取ろうという、イスラエル側の残酷さが感じられる。何度も家を壊され、再建する為の道具まで撤収され、心が折れそうになる。それが狙いなのだろう。それでも懸命にこの地で生きていこうする人々は何度もたち上がる。家が破壊されたので、洞窟住居で暮らす人もいる。「この家なら壊されないよ」と笑顔で話す。そして抗議は合法的に裁判所に訴える。しかしイスラエルの裁判所、法律なのでパレスチナ側に勝ち目はない。
一方で壁の内側、イスラエル側の取材もあるのが、「ノー・アザー・ランド」との違いで、そこがこの映画の大きな成果。イスラエルの独立系メディアの責任者が語る「世界中がイスラエルがガザで何をしているか知っているのに、当のイスラエル国民は知らない」の言葉に驚く。イスラエルのメディアではハマスの攻撃、イスラエル兵士の死、人質のニュースしか発信されないという。自国がガザに対して攻撃していることは報道されない。知ろうと思えばガザの惨状はいくらでも知ることが出来るのに、自分たちが加害者である事は敢えて知ろうとしない。それはイスラエルに限らない。人は自国の不都合なことは知りたくないものだ。
それでも若い世代では真実を知り、兵役を拒否する者もいる。そこにほのかな希望が見える。またイスラエルのNGOによる援助活動もあり、そういう人たちもいるのだと少しほっとする。ただこの動きが国民全体のものにはなっていないのが辛い。兵役拒否の若者を罵倒する人もいる。もっともっと多くの人々に広まらなければ、結局は小さな抵抗で終わってしまい、最悪潰されてしまうのではないかと心配にもなる。
取材する対象が重なる部分もあるが、違う部分もあり、そこが「ノー・アザー・ランド」より少し希望があるように感じられる。そうあってほしいという監督の思いは伝わってくるけれど、今もっと悲惨な状況になっていることを思うと、無力感に苛まれてしまう。
アラビア語が出来る監督だから、通訳を介さず自分の言葉で語り合え取材できたことが、映画に説得力を与えている。
見たのはずいぶん前のことで、衝撃が大きくて感想がまとめられないまま時間がたってしまった。そのうちだんだん記憶が薄れてきて、思いの強さもだんだん小さくなってきてしまう。とりあえず今書けることだけは残しておこうと思った。
昨日夕方6時頃、娘が「今日満月だ」と言うので、外に出てみた。月の出は16:16なので、まだ見えないかなと思ったけど、屋根のあたりが明るいので少し視点をずらしたら、煌々と輝く月が見えた。まるでライトがついているかと思うほど、眩しいほどの明るさだった。今年初めての満月。冬は外気が冷たく、さらに先日の雪もあり、普段より輝きが増しているようだった。
WOWOW放送の録画視聴
原作本は未読で映画版だけ以前見ていた。面白かったので、どうミュージカル化するのかと興味はあった。
映画で満足していたので、それとの違いに戸惑った鑑賞になった。これは原作を読んでからのほうが良かったのかもしれない。
ミュージカル版の主役は最初から浦井健治演じる城戸で、オープニングで彼の心情を表すナンバーが派手に繰り広げられ、そこでまず躓いてしまった。映画での里枝(安藤さくら)と大祐(窪田正孝)の出会いから、夫婦となり穏やかで幸せな家族の生活を描いたシーンがとても好きだったので、その静謐さに比べてあまりにも賑やかすぎたのだ。その幸せが突然崩れて、それから城戸が里枝の相談を受ける旧知の弁護士として登場する。あくまでもわたしは大祐の過去が物語の主軸だと思っていたし、その部分に深く惹きつけられたから、城戸がメインになる事に戸惑ってしまったのだ。
確かに大祐を名乗っていたある男「X」を追う城戸が、物語を引っ張る主人公ではあるのだろう。映画でも物語が進む中で、城戸自身が家族の中で浮いていて、居心地悪い思いをしていることが浮き彫りになってくる。映画と違いミュージカルでは、城戸の妻は健気に夫との隙間を埋めようと努力しているのに、城戸のほうがそれを拒否してるように見える。だからなんか城戸の方にムカついてしまう。それなのにラストは、やたら明るい表情と声の城戸が、妻に電話する場面で終わるのだ。なんだかなあ。映画のラストの方が好きだ。
城戸の出自(在日で結婚の時妻の両親の要望で帰化した)と「ヘイトスピーチ」という言葉がやたらと出て来るのも、少し雑に感じた。これはもっと慎重に取り上げるべき問題ではないかと思った。それによって今の社会の問題を浮き上がらせているのだろうが。社会問題としては戸籍の売買と、犯罪者家族の生き辛さも描いているので、そちらがメインで良かったのに。
「X」がボクシングジムで、つかの間のあたたかい居場所を持てた事、それを捨てねばならないと苦しむ姿、あのシーンが1番心に残った。偽りの人生を生きねばならなかった「X」だが、里枝と出会い幸せな日々を過ごせたことは、彼にとって良かったと思う。
わたしは静かな「ある男」が好きだったのだ。だから賑やかなミュージカルナンバーになると、ちょっと拒否反応が出てしまう。でもいい歌もけっこうあったし、演者のパフォーマンスは良かった。
特に鹿賀丈史とM田めぐみは素晴らしかった。鹿賀丈史はうさんくさい戸籍ブローカーと、ボクシングジムの会長というまるで違う役を、見事に演じ分けていたし、M田めぐみは圧倒的に歌が上手い。二人とも存在感抜群で、出て来るだけでその場をかっさらってしまう。
もちろん浦井健治は相変わらず演技が上手いし、小池徹平、ソニン、知念里奈、上原理生、上川一哉、と実力者揃いだった。
映画版との違和感は原作を読めば少しは解消されるかもしれない。むしろこのミュージカルのほうが原作に近いのかもしれない。ただミュージカルにするには題材は難し過ぎたような気がする。演者が良かっただけに、惜しいなと思った。
昨夜雪が降って思ったより積もった。朝1階のシャッターを開ける時、和室は何とか開けられたが、リビングの方は凍ってて開けられなかった。以前の雨戸は2階のベランダが庇になっていたのでそんな事はなかったのだが、リフォームでベランダ分1階の部屋を増築したので庇が無くなってしまった。そしてウッドデッキも作ったので、雪が降るとシャッターが埋もれてしまい開けられなくなる懸念があった。埋もれはしなかったが、サッシの部分とシャッターの底部が凍ってくっついてしまった。戸袋のある雨戸から最近の家はシャッターになったけど(うちもリフォームでそうなった)、巻き上げるシャッターだとこういうことが起こるのか。これくらいの雪なのでまだ開けられたけど、大雪になったらしばらく閉じこめられるかもしれない。
1月2日例年通り箱根駅伝を見る。と言ってもテレビ放送の「感動!盛り上げ」演出がうるさくて、昨年は音声を消してラジオ放送を聴いていた。今年も同じようにテレビの音声を消しその代わり字幕を出して、ラジオをつけた。ところがラジオの音割れが耳障りなので、ラジオは「らじるらじる」で聴いた。ただしこれだとクリアに聴こえるが、配信のためリアルタイムより1分近く遅れる。だから音声と映像にタイムラグが生じるが、まあ画面上で字幕も出るし(これも映像より少し遅れるが)状況把握には問題ない。テレビ放送の煩さのストレスよりよほどマシなのだ。
以前はその演出に乗せられ、競技中ずっと興奮して見ていたけど、それはそれで楽しかったけど、最近はそれにも疲れてもっと静かに楽しみたくなっている。以前はテレビの前から離れられなかったけど、今は見ながら聴きながら家事もして、ほどほどに楽しんでいる。
それでも、興奮する展開にはやはり熱くなった。なんといっても5区、1区の時点でこれは逆転は無理じゃないかと思っていたけど、青学大が大逆転した。さすがにその瞬間は無音のテレビの前で娘と叫び声を上げた。その前の追いつきそうな時に解説の渡辺康幸さんの言葉が字幕で出て、「黒田くんは乗り物にでも乗ってるんじゃないですか」に笑い転げた。これは生の言葉で聞きたかったな。夜のダイジェストで見ようかな。
渡辺康幸さんといえば箱根駅伝時代素晴らしい選手で、世界に打って出るだろうと期待していたが、怪我だったか結果は残せなかった。箱根駅伝でどんなにいい成績でも、世界は遠いのだなあと感じた。学生時代の一瞬のきらめきかもしれないと思うと、複雑な気持ちになる。テレビであんなにプライバシーを取り上げて、大々的に盛り上げる風潮は、本当に選手のためになっているのかと疑問に感じる。
それに乗せられ、わたしも選手の個人情報をおもしろくおかしく消費している面もあるのだから、同罪ではあるのだけれど。あんまりはしゃぎすぎないようにしないとなあ、と自戒をこめて思う。