西の空に残る満月

西の空に残る満月

昨日は今年最後の満月だった。夜に外に出てみたら、夜空に煌々と輝く光が眩しくて他の星も見えないほどだった。しばらくして目が慣れてくると少しずつ星が見えてきた。
月の出は16:24

今朝西の空にまだ月が残っていた。白い月も綺麗だな。月の入りは08:01

月の入り月の出は毎日約1時間ずつ遅くなっていく。次の満月は来年1月3日。
エアコン復調?

エアコン復調?

業者さんからの連絡を待ってる間にふと思いついて、コンセントを抜いてしばらく置いて再び差し込み、電源入れたらちゃんと動いた!その後何時間か経っても止まらずしっかり作動している。
やれやれこれで直ったかな?と安心して業者さんからの電話に出た。ところが今の復調はあくまでも一時的な可能性も高く、また繰り返すようならきちんとメーカーに点検してもらったほうがいいとのこと。原因の特定は結構難しく、それがわかれば部品の交換で直せるが、最悪の場合は熱交換器の交換になるかもしれず、かなり高額になりそうとのこと。うわ〜ん。せっかくクリーニングしたばかりなのに〜。出来ればこのまま冬を乗り切ってくれ〜!
エアコン不調

エアコン不調

先日エアコンのクリーニングを頼んだ。2年前に初めて業者に頼んで、それまで一度もやったことなかったので、真っ黒い洗浄水をみて慄いた。その時にだいたい2年ぐらいでまたやった方がいいと言われていた。そんな短期間で必要なのかなあと思っていたが、1番頻繁に使うリビングのエアコンの送風口に黒いカビが見えてきたので、頼むことにした。
リビング以外のエアコンは汚れも想定内で、これ以上たつとカビが急速に増殖するので、ちょうどいいタイミングだったらしい。
問題はリビングでこの間もそうだったけど、台所の近くなのと、隣が公園という位置にあるので、汚れが1番凄かった。このエアコンだけは2年より早くクリーニングしたほうが良さそうだ。

クリーニングの時期としては、暖房より冷房を使用する時にカビが発生するので、冷房の使用が終わり暖房を使用する前のタイミングがいいとのこと。なるほど。リビングだけは来年の秋に頼んだほうが良さそう。出費は痛いけど健康にはかえられない。

クリーニングしてさっぱりしたエアコンで快適に冬を過ごそう、と思っていたのに、よりによってこの冬1番寒いこの朝に、リビングのエアコンが止まってしまった。最初は快調に動いていたのに気がついたら止まっていて、何やらランプが点滅している。以前にも同じような状態になって、その時は電器店に電話して指示を受け、すぐに直った。今回はクリーニングの直後なので、その業者さんに連絡した。すぐには来られないが、急に寒くなったこととエアコンの温度設定が低いのが関係してるかもという。とりあえず電源切って連絡を待つことになった。今は隣の和室のエアコンで寒さをしのいでいる。

このエアコンは和室のより古いし、1番使用時間が長いし、設置場所の環境も悪いし、家のリフォームの際に取り外してまた取り付けてという作業も経ている。いろいろ過酷な環境に置かれている。買ってから7年経ってるけど、以前のはクリーニングもしないで17年使っていた。いろいろ機能がふえた分、耐久性が低下しているのかもしれない。シンプルなのが懐かしい。
映画「ジョニーは戦場へ行った」

映画「ジョニーは戦場へ行った」

「ジョニーは戦場へ行った」(JONNY GOT HIS GUN)
ダルトン・トランボ監督 1971年 アメリカ映画  日本公開1973年

PPMの「虹と共に消えた恋」の中の「Jonny’s gone for a soldier 」の歌詞から連想したのが、この映画「ジョニーは戦場へ行った」
公開時見に行ったのだが、映画館は満席で立ち見だった。当時まだ作家でなくアナウンサーだった落合恵子が、ラジオで「見た後しばらく席を立てなかった」と言っていたが、たしかにすごい衝撃作だった。

今回あらためて調べたら映画の原題は
「JONNY GOT HIS GUN」であの歌とは違い、主人公の名前もジョニーではなくジョーだった。すっかり忘れていた。
原作は1939年にダルトン・トランボが発表した反戦小説で、タイトルは第一次世界大戦時の志願兵募集の宣伝文句だったという。
トランボは赤狩りで映画界から追放されていたが、復帰後に本作の映画を完成させたという。原作発表からこれほど時間が経ってからの映画化だったのは、そういうわけだったのか。公開当時はそこまで知らなかった。

DVDを購入していたが未見のまま。でも強烈に覚えている場面があるので、思い出すまま書いてみる。
50年前に1度見ただけなので、忘れていることも多く間違いはあるだろう。記憶の捏造もあるかもしれないけど、自分にとっていまだに忘れられない事を書きたい。

以下ネタバレあり。


ジョーは第一次大戦の戦場での負傷で目、鼻、口、耳、四肢を失い、首と頭だけが動き触覚だけが残る。それでも軍の実験材料として生かされていた。誰も気づいていないが、彼には意識はあり考える事も出来る。それだけに病院で自分の状況を悟ったときの絶望感が凄まじい。

この彼の病院内での現実がモノクロで、彼の出征前の思い出の場面がカラーで表される。重苦しいモノクロ画面と、生き生きしたカラー画面の美しさとの対比がより残酷さを感じさせた。

印象的だったのが、婦長さんだったか修道女の服を着た女性が、彼の病室が暗い事を気の毒がり、窓のカーテンを開けて光を取り入れてくれた時のこと。光を浴びた彼が、最初は何かわからず、でも体が温かくなってきた事で、これは日の光だ!と気づき歓喜する。太陽だ!光だ!その瞬間画面がカラーに変わり、彼が川の中から真上に飛び出し、水に濡れた顔を空に向けて歓喜の表情を見せる画面が、スローで流れる。ああ、これほど嬉しいのか!と見ていてこちらも涙が出てきた。忘れられない場面だ。

朝にカーテンを開けて夜に閉める。体に日があたり温かくなり、やがて冷えて1日が終わる。また温かさを感じて朝が来た事がわかる。体に感じる日の光で、彼は1日の経過を知る事が出来るようになった。
そして新しく担当になった親切な看護婦(当時)が、クリスマスに彼の腹部に指で「merry Christmas 」と綴る。それにより今日がクリスマスだと知った彼は、それ以降日光による1日の経過と合わせて、今日が何月何日かわかるようになる。

やがて彼は外部との連絡手段に、モールス信号を使うことを思いつく。僅かに動く首と頭を枕に打ちつけて必死にモールス信号を発する。最初は気づかれなかったが、あの親切な看護婦が何かを感じ、上司に伝える。最初は単に体の痙攣だと診断されて相手にされないが、彼女の再度の訴えに病室にやって来た軍人が、ついにモールス信号だと気づく。「何が望みだ?」と額に指でモールス信号で問いかけられ、彼は「自分を見せ物にしろ」と訴える。「それは出来ない」とこたえると「では殺してくれ」と頼む。それも出来ないと断られる。
軍人たちが外へ出てしまうと、彼の意を汲んだ看護婦が彼に繋がれた何らかの管を外す(ここは正確には覚えていない)。それに気づいた彼は彼女に感謝する。しかし病室へ入って来た医師(あるいは軍人か)が間一髪彼の命を救う。看護師は追い出され、彼には鎮静剤が打たれ、窓のカーテンは閉められ、再び彼は闇の中に閉じ込められる。
カーテンは二度と開けられないだろう。あの看護婦は担当を外されるだろう。誰も彼のことを真剣に考えることはしないだろう。それでも彼は意識を保ったまま生き続けるのだ。「殺してくれ」というメッセージを虚しく送り続けるのだ。

もう何といえばいいのか、当時のわたしの衝撃が今もありありと蘇ってくる。その思い出が強烈すぎてDVDを見るのを躊躇わせている。今年終戦80年企画で4K版で再上映されていたそうだけど、わたしは辛くてたぶん見られない。でも多くの人に見てほしいと思う。
「Siúil A Rún」について

「Siúil A Rún」について

20年ほど前ケルティック・ウーマンの「Siúil A Rún」を初めて聞いた時、PPM(ピーター・ポール&マリー)の「Gone the Rainbow」(虹と共に消えた恋)に似ているなあと思った。中学の頃に聞いた歌で冒頭の「シューシューシュラーリ〜♪」という歌詞が印象的な綺麗な曲だった。歌詞もそのままではないしメロディも少し違うけど、どちらも戦場に行く恋人のことを歌っているらしいし、このアイルランドの民謡をカバーしたんだろうなと思っていた。

最近見つけたブログ記事でこの曲について詳しく書いてあって、その他のブログの記事も参照して、ようやくこの曲の来歴がわかってきた。

元々17世紀にアイルランドで生まれた歌で曲名の意味は「行って、愛しい人よ」。オリジナルの歌詞は不明でさまざまなバリエーションがあるという。

そして18世紀のアメリカ独立戦争の時に、この曲を原曲とする「Johnny Has Gone for a soldier」が歌われていたという。当時スコットランド移民が多くアメリカに渡り、その人たちが持ち込んだスコットランドやアイルランドの民謡がアレンジされて歌われていたらしい。
独立戦争時にスコットランドからの移民が参戦していたことは、以前読書会で取り上げたヴァイニング夫人の『メギー新しい国へ」で知った。この時はレポーターだったのでよく覚えている。

確かに「虹と共に消えた恋」にもこの「Johnny’s gone for a soldier」という歌詞がある。だからPPMの曲は元の「Siúil A Rún」よりも、この「Johnny Has Gone for a soldier」をカバーしたもので、そこに元のアイルランド風味を出すためにあの「シューシュー〜♪」を付け加えたのだろう。あの部分はゲール語っぽい響きはあるけど、正確なゲール語ではなく意味は不明らしい。

今回見つけたブログでは、いろいろな「Siúil A Rún」を紹介していて、PPMや「Jhonny Has Gone for a soldier 」と、その別名の「Buttermilk Hill」という曲もあった。

そして1番オリジナルに近いと思われる形の「Siúil A Rún」も聞いたけど、なるほど素朴というか歌というより祈りのような、魔女が呪文を唱えてるような独特の雰囲気だった。

もう一つ紹介されてたのが、ゲール語で歌うロックバンド Seo Linnの「Siúil A Rún」。
これがめちゃくちゃかっこよくてすっかり気に入ってしまった。ギター、ドラム、キーボード、バンドネオンの演奏しながらの歌声はすごい迫力。ケルティック・ウーマンのとても静かな美しい歌声とは違い、男声で楽器演奏とあいまってとてもパワフル。終盤に演説が入るけど、こちらもゲール語で力強い。
Youtubeで何回も聴いている。

https://www.youtube.com/watch?v=UYHoZQD2rsc
いよいよ師走

いよいよ師走

ちょっと体調崩しているうちに、ついに12月になってしまった。あと1ヶ月で今年が終わるなんて本当ですか?
今日は絵手紙サークルで「書」の年賀状を書いてきた。金文や篆文で「馬」を書く。ひらがなや宇宙人みたいなものもあり、形が面白くて書いてて楽しかった。元旦の印は消しゴムで作った。年賀状も最近は20枚くらいしか出さないけど、教室ではそんなに書けないので残りは家で書く。といってもいつも墨をするのが面倒になって時間切れになってしまい、印刷のを買ってきてしまうのだけれど。
『十人の小さなインディアン』

『十人の小さなインディアン』

『十人の小さなインディアン』
アガサ・クリスティ/著 渕上痩平/翻訳 論創社 2018年

戯曲
「十人の小さなインディアン」
「死との約束」
「ゼロ時間へ」
短編
「ポアロとレガッタの謎」

『ゼロ時間へ』を読んだ時、クリスティ自らの戯曲があることを知り読みたくなった。
戯曲3作とポアロの短編1作が収録されている。

「十人の小さなインディアン」
原作は「そして誰もいなくなった」。ラストが違う。映像化された中で、こういうラストの作品があると聞いていたけど、元々クリスティの戯曲がこうなっていたのか。うーん、これはやはり原作のほうがいいな。

「死との約束」
話を忘れていたのでまず原作から読んだが、何年か前、日本のTVドラマで見たことを思い出した。野村萬斎さんがポアロ役だった。
こちらの戯曲も原作とは変えてあったが、こちらの変更はなかなか良かった。原作は少しくどくてややこしかったので。

「ゼロ時間へ」
目当ての作品。登場人物が少なくなって、探偵役として活躍する人物も変更されてた。ちょっとモヤモヤしていた証言がなくなっていたので、そこは良かった。でも原作の方が好きかなあ。「あ、ここがゼロ時間なのか!」という衝撃度が強い。

久しぶりにクリスティを楽しんだ。読み耽ったのははるか昔のことなので、ほとんど忘れている。再読でも充分楽しめるので、これからもちょくちょく読みたくなった。
ハゼノキの紅葉

ハゼノキの紅葉

駅までの道の途中、公園にあるハゼノキが紅葉していた。ちょっと前まで部分的だったのに、昨日はもう全体が赤くなっていた。ただいつもはもっと明るいあざやかな赤なのに、少し暗く感じるのは日当たりのせいか?もう少し経つともっとあざやかになるのかな。この道を通る時にパッと目に飛び込んでくる赤い色に、いつもワクワクさせられる。

今日は近所で皇帝ダリアも見かけた。冬が近づいているのを感じる。霜が降りる前に花を楽しめるのは今のうちだ。

ようやく草取り

昨年のこぼれ種から咲いたトレニアも、いよいよ枯れてきたので、重い腰を上げて花壇の草取りをした。トレニアの他に枯れたまま放置してあった様々な雑草も抜いて回る。簡単に抜けるかと思ったが、根っこが深くて表面しか抜けない。根っこまで抜く力も時間もなくて、そこはまた日をあらためることにする。
伸び過ぎてごちゃごちゃしてたナンテンとコウチョウゲの枝を切り、枯れて変色したアガパンサスの葉っぱを取り除いてさっぱりした。

何か花苗を植えたいが、そのためにはもっとしっかり草取りしなくちゃならないので、当分は無理かな。せっかく植えてもまた鳥に食べられたらよけいショックだし、もう今年は植えないで冬を越すかもしれない。
来年の準備

来年の準備

もう今年もあと1ヶ月と10日。来年のカレンダーも届いたし、そろそろ準備を始める頃合い。

天文カレンダーは高校の部活(天文部)OB会から、最近送ってくるようになった。卒業以来少額だけど会費を払い続けているので、その返礼らしい。毎日の日の出日の入り、月の出月の入り、月齢が載っていて大変便利。

絵手紙カレンダーは一週間ごとに、全国の教室を主催してる会員の作品が載っている。それぞれ視点も違い特徴があり味わい深い。わたしの友人のも載っている。

手帳はもう20年くらい同じデザインのを使っている。だいたい12月からこちらを使い始める。その前に今までの手帳のメモ書きで重要なものは転記しておく。

家計簿はこれももう20年以上使っていて、一時別のを使ってみたけど、やはりこれが1番使いやすい。日付を書き込む形式なので、その作業が面倒なのだけど、毎年のことなので季節の行事のようなものだ。月ごとにラベルを貼り、税金や社会保険料や年金、カード払いや携帯会社の料金内訳など、我が家に合わせた形式にカスタマイズしていく。毎年これをしていると年末気分になる。
しかしこの作業、ついこの間していたような気がするのだが?一年が過ぎるのが、年々早くなっているのを実感する。

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西の空に残る満月(12.06)
エアコン復調?(12.05)
エアコン不調(12.05)
映画「ジョニーは戦場へ行った」(12.03)
「Siúil A Rún」について(12.02)
いよいよ師走(12.01)
『十人の小さなインディアン』(11.27)
ハゼノキの紅葉(11.22)
ようやく草取り(11.21)
来年の準備(11.20)

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