『そして これからも ずっと』ー本を開くとー

『そして これからも ずっと』ー本を開くとー

『そして これからも ずっと』
真ん中で本を開いたところ。ここが現在で一番小さいサイズ。ここから次ページへ明日、一月後、来年10年後‥‥と続いていく。サイズも大きくなっていく。ただ大きくなるだけでなく過去のページと呼応するような色と絵で描かれていて、この色のグラデーションがとても美しい。
『そして これからも ずっと』

『そして これからも ずっと』

『そして これからも ずっと』
ヨハンナ・シャイブレ/作・絵 諸岡愉子葉/訳 2026年 綴月舎

とても美しい絵本。地球の誕生から現在そして未来へと、壮大な時間の旅。ページを開くたびサイズが少しずつ小さくなっていき、真ん中の現在が一番小さい。そしてそこからページをめくるごとに今度はだんだん大きくなっていく、というちょっと変わった作りの絵本。仕掛け絵本の一種かな。こういう特殊な造りの本なので、印刷や製本は、国際共同出版(スウェーデンの出版社が担う)を使ったという。
そもそも綴月舎という出版社を立ち上げたのも、2024年の絵本見本で見つけたこの絵本を、日本で刊行するためだったという。そこまで惚れ込んだ作品に出会えたことは、本に関わる者としてはとても幸せなことだったろうと思う。
『ガージュー先生 対馬丸事件を生き抜いた少女の物語』

『ガージュー先生 対馬丸事件を生き抜いた少女の物語』

『ガージュー先生 対馬丸事件を生き抜いた少女の物語』
たじまゆきひこ/作 2026年 童心社

対馬丸事件の生存者平良啓子さんをモデルにして、田島征彦の力強い絵と簡潔な文章で描かれた絵本。平良さんの『海鳴りのレクイエム』と同じく、対馬丸からの生還で終わりではなく、その後の沖縄戦のことにもふれ、彼女が戦後教師として子どもたちに平和の大切さを教える姿を描いている。「ガージュー」とは沖縄言葉で頑固な人、我の強い人のことだという。元は否定的な言葉なのかもしれないけれど、対馬丸、沖縄戦を生き延び、戦後も一貫して反戦平和活動を続けてきた彼女を讃えるいい言葉だと思う。
広島の原爆関連の本

広島の原爆関連の本

『絵で読む 広島の原爆』の他に家にある広島の原爆関連の本を並べて見た。

『折り鶴の子どもたち』那須正幹/作 高田三郎/絵 1984年 PHP研究所

『折り鶴は世界にはばたいた』うみのしほ/作 高田三郎/絵 1998年 PHP研究所 

『おりづるの旅』うみのしほ/作 狩野富貴子/絵 2003年 PHP研究所

『ひろしまのピカ』丸木 俊/え・文 1980年 小峰書店

『ピカドン』丸木位里 丸木俊/著 上笙一郎/解説 1982年 東邦出版

『八月の光』朽木祥/著 2017年 小学館

『光のうつしえ』朽木祥/著 2013年 講談社
『絵で読む 広島の原爆』

『絵で読む 広島の原爆』

『絵で読む 広島の原爆』
那須正幹/文 西村繁男/絵 1995年 福音館書店

3歳で被爆した著者は『折り鶴の子どもたち』も書いている。その著者が、修学旅行生の事前学習に適した書籍を書いてほしいという話を受け、書かれた作品。個人の被爆体験でなく、市内全体の被曝状況、原爆の原理、開発や投下に至る歴史的経緯と被曝以後、それらを網羅して原爆の全体像を描くために、この絵本という形になった、とあとがきにある。
『ぼくらの地図旅行』という科学絵本で、以前那須さんと組んだ画家西村繁男さんの絵により、まる6年の歳月を経て完成した大変な労作。よくぞここまで書いて下さった、と感謝の気持ちでいっぱいになる。

綿密な取材で再現された戦前から戦後までの広島の町並み、地獄の業火のような真っ赤な炎、廃墟、瓦礫、そして徐々に復興していく町並み。驚いたのが、原爆そのものの開発からその爆弾の内部構造、原爆搭載機エノラ・ゲイの飛行記録、等々もしっかり描かれていたこと。本当に「原爆の全体像」が描かれていてずっしりした読みごたえ。すべての人に読んでほしい本。
『劇場という名の星座』

『劇場という名の星座』

『劇場という名の星座』
 小川洋子/著 2026年 集英社

現在建て替えのため一時休館中の帝国劇場を題材にした作品。実は申し訳ないが、何度か観劇したけどそんな特別な劇場か?と、あまり思い入れは持っていなかった。俳優さんたちが「あの帝劇の舞台に!」とか「帝劇で0番に立てた!」とか感激しているのを見聞きしているので、そうか演者さんにとってはそれだけ特別なんだなあと、とは思っていた。

だけどこの作品集で取り上げられているのは、帝劇の表舞台ではなくそれを裏で支える人々だった。それがとても良かった。その係の多さに、え、こんな係もあるの?と驚いた。客席の案内係、エレベーター係、ミュージカルの稽古ピアノ係、楽屋係、売店、その他あらゆる要望、変更、苦情に対処する何でも屋の幕内係(着到板の名前書きも含まれる)。これら裏方さんプロ集団がいてこそ舞台の幕は上がる。そのことをあらためて思い知った。
自分も見たことある公演や、具体的な名前は上がってないけどこれはあの役者さんだなとわかることもあって、その度にちょっと嬉しくなった。
そして謎の少年、最初は本当に紛れ込んだ子供だと思っていたけど、次第に誰のことか分かってきて、彼がこの劇場にかけた思いの強さを感じた。彼をはじめとした多くの人の思いが、この劇場を建て動かしてきた。ここまでの思いをかけられて、なんて幸せな劇場だろう。

いろんなエピソードの中、「ホタルさんへの手紙」と「一枚の未来を手にする」と「こちらへ、お座り下さい」が印象に残った。

劇場としては日生劇場や自由劇場の方が好きだけど、でも新しい帝劇ができたらやはり一度は行ってみたいなという気になった。
紅玉がきた

紅玉がきた

今年もようやく生協で紅玉の取り扱いがあった。昨年もだいたいこの時期だった。スーパーで買ったジャズがまだ残っているけど、早速今年初めての紅玉を食べた。うん、このすっぱさがいいのだ。取り扱い期間が約1ヶ月と短いけど、その間はこの美味しさをしっかりと味わうのだ。
今年はスーパーでジャズが案外長く置いてあったけど、生協での紅玉が終わる頃にはジャズももう終わっているだろうか。その頃にはつがるやふじの出番かな。
「ハヤカワ ミステリマガジン」2026年4月号

「ハヤカワ ミステリマガジン」2026年4月号

雑誌「ハヤカワ ミステリマガジン」2026年4月号(特集 わたしの愛する名探偵)

市内の図書館では所蔵してないので(昔はあったはずなのに)相互貸借で他館から取り寄せてもらった。

芦辺拓をはじめ13人の作家による「わたしの愛する名探偵」についてのエッセイ。それぞれおもしろかった。有栖川有栖がいるのは当然なきがするけど、麻耶雄嵩と皆川博子がいて嬉しかった。皆川博子は新作を読んだばかり。どうぞいつまでもお元気で書き続けていてください。次作待ってます。

西式豊「人形はなぜ夜歩く」
これが読みたくて借りてきた目当ての短編。
終戦直後の横浜での密室殺人の謎に挑む<焼け跡のホームズ>の活躍。戦後のGHQ占領下という時代設定が、主人公の推理に無理なく作用していておもしろかった。これは確かに入宮衆と春風望のバディものとして、シリーズ化できそう。連載して短編集にならないかな。

雑誌は内容がぎっしりでとても全部は無理で、ところどころしか読めなかったけど、特集の短編はそれぞれおもしろかった。

そして懐かしく読んだのがペリー荻野の連載「時代劇だよ!ミステリー」の第50回。雑賀孫市を取り上げていて、司馬遼太郎の『尻啖え孫市』が紹介されていた。昔読んだので懐かしく、大河ドラマ「国盗り物語」で林隆三が演じていたのも懐かしい。(林隆三が意外と早く亡くなったのは悲しい)
米澤穂信『黒牢城』では鈴木孫六という雑賀衆の頭領が出てくるが、「雑賀の頭目、孫一の弟らしい」と書かれている。孫一となっているけど、雑賀の頭目というからたぶん孫市のことだろう。でも『尻啖え孫市』に弟の孫六がいたかどうかは覚えていない。
「CHESS  THE MUSICAL」

「CHESS THE MUSICAL」

CD「CHESS THE MUSICAL」
 2025年ブロードウェイで上演されたミュージカル「CHESS」のキャストによるレコーディングCD。何度も上演されその度に「楽曲は素晴らしい、しかしストーリーが‥‥」と言われ続けたミュージカルの新演出版。ようやく納得のいくストーリー展開になったらしい。

(下の白いCDは2008年のロンドンでのコンサート・バージョンのもの)

わたしも2015年に初めて観劇した日本版の「チェス・ザ・ミュージカル」以来、このストーリーはこれでいいのか?とモヤモヤと悩み続けた。その後2008年のイギリスでの「CHESS IN CONCERT」のCDとDVDを購入して(海外版なので日本語字幕なし)鑑賞したり、2020年日本での「CHESS THE MUSICAL」を3回も鑑賞したが、どちらも今ひとつ納得できなかった。特に2020年の公演は主要3役(アナトリー、フローレンス、フレディ)に海外からの演者を招き、全編英語での公演だった。ラミンやサマンサが日本で見られる喜びと、アービターがシュガーさん(佐藤隆紀)だったし、ものすごく期待していた。でもこの公演ではアナトリーとフローレンスの恋愛が全面に押し出されていて、そこがあまり好きではなかった。これならコンサートバージョンだった2008年のイギリス版の方が好きだ。演者もラミンはアナトリーにしては色っぽすぎたし、イギリス版のジョシュ・グローバンの方がわたしの考えるアナトリーらしかった。演者もアービターを除いてイギリスのコンサート版が一番好きだ。アービターだけは2015年の田代万里生くんでお願いしたい。というわけでもう「CHESS」はコンサート・バージョンの上演だけでいいんじゃないかと思っていた。そこに2025年のブロードウェイ公演が登場した。しかもアーロン・トヴェイトが出演するって?と懲りもせずまた期待を膨らませていた。


今回のブロードウェイ公演を実際に観劇した、フレディ役のアーロン・トヴェイトファンの人のサイトで、ストーリーと楽曲の説明がされていたので読んでみた。なるほどアナトリーとフローレンスが恋に落ちる過程が、今までよりわかりやすくなっているらしい。2020年の日本での公演でも、やはり恋愛重視の演出でどうにも居心地が悪かった。だから今回はそこがまあまあ納得のいくものになっているなら、もうそれでいいのかもしれない、と諦め気分で思った。もう考えるの疲れたしなあ。

ただこのストーリーを受け入れると、わたしがずっと悩み考え抜き、最後にようやく思い至った「アナトリー“人でなし説“」が宙に浮いてしまう。これはチェスというゲームに魅入られた3人が、国家の思惑で翻弄される話だ。チェスは純粋なゲームのはずが、国家の威信をかけた戦いにすり替わっている。そこには個人の思いなど踏みにじられる非情な世界がある。それでも彼らはチェスを愛する。またフローレンスとフレディは、それぞれチェスを通じて、母親と父親への切ない渇望を抱いている。しかしアナトリーだけは他のことよりもただただチェスを純粋に愛している。彼が渇望するのはチェスに専任できる静かな環境。常に監視されるようなソ連よりも自由にチェスができる西側に亡命してみたが、結局そこでも人々の好奇の目からは逃れらず身辺の騒がしさは同じだった。どこでも同じなのなら、愛する故郷の地に戻ろう、フローレンスのために父親を彼女の元に返す条件をつけて、と思ったのではないか。そこには確かにフローレンスに対する愛情もあったはずだ。このフローレンスの父親については、今回のブロードウェイ版で初めて舞台に登場し彼女と再会したという。これまでの公演では結局彼の生死は分からないという、なんとも後味の悪い結末だったので、これは良かったなと思う。しかし以前の生死不明という残酷な展開も、個人の思いなど平気で踏みにじる大国の理不尽さを見せるという、この作品のテーマを表していたのかもしれない。見せ方が下手すぎるけど。

とにかく考えに考えてこの「アナトリー“人でなし説“」でようやく自分を納得させていた。そしてこれまで触れた公演では、やはり2008年のイギリスでのコンサート・バージョンが一番いいと思った。しつこいけどアービターだけは田代万里生くんでお願いします。初めてみたアービターが彼だったせいもあるけど、彼の「ゲームはそれ自体がプレイヤーより優先される」という台詞が頭から離れない。

今回のBWミュージカル版は楽曲の順番を変え、削った曲、追加された曲もあるという。CDを比べたら確かに曲が減っている。2008年版より全体で10曲も減っている。そして新しくスベトラーナの曲が増えた。その代わり彼女が歌っていた「SOMEONE ELSE’S STORY」がフローレンスが歌っている。あの曲の方が良かったのに。あと「EMBASSY LAMENT」がなくなっている。それなのに「MERANO」は残ってる、少し短くなってるけど。全体にテンポは2008年よりゆっくりに感じるが、曲数が少ないので全部聞いても20分近く短くなっている。最初は戸惑ったけど聞いているうちに気にならなくなった。みんな上手いので楽曲の素晴らしさを堪能できる。これからしばらくはこれを聴いて楽しもうと思う。
『アルカサルー王城ー外伝』1 巻(『リチャード三世』関連)

『アルカサルー王城ー外伝』1 巻(『リチャード三世』関連)

漫画『アルカサルー王城ー外伝』1 青池保子/著 秋田書店プリンセスコミックス 2008年
 『アルカサルー王城ー』の完結後に出た外伝。第1巻と書いてあるけど、続巻は出ていないようだ。

収録の3編のうち最初の話が、「公爵夫人の記」で、これはドン・ペドロの次女コンスタンシアの話。彼女の嫁いだ先がイングランドのランカスター公、ジョン・オブ・ゴーントなので(彼は最初の妻を亡くしていた)ここで薔薇戦争、リチャード三世に繋がってくる。

彼女は父ドン・ペドロの遺志を継ぎ故国カスティリアの王位奪回を目指すが、英国の国内情勢が複雑で、なかなかそれは叶わない。結局願った形ではなかったけれどそれなりの外交成果は挙げられたという。
それよりも英国の情勢の方が目まぐるしく、そちらを駆け足ながらも描いていて、なかなか読み応えがあった。エドワード三世の逝去、リチャード二世の即位、ワット・タイラーの乱、リチャード二世とランカスター公の不和などなど。
ランカスター公は最初の妻ブランシュを亡くし、コンスタンシアは2度目の妻だった。さらに彼には愛妾キャサリンがいて、コンスタンシアの死後彼女とも結婚する。コンスタンシアの産んだ男子は夭折したが、ブランシュの息子が後のヘンリー四世となる。そしてキャサリンの息子ジョン・ボーフォートの子孫リッチモンド伯ヘンリーが、ヘンリー7世となる。


ここら辺の系図はとてもややこしい。白水Uブックスの『リチャード三世』など薔薇戦争ものの巻末に関係系図が載っていたので、コピーして眺めながら作品を読んでいる。正直10年経ってもややこしくてまだわからない。でもいろんな作品に触れるたび、系図の中の人を特定しながら、少しずつ頭が整理されてくる。あ、この人とこの人が結婚してこの人が生まれるのか、だからここで王位継承権が得られるわけだ、とか。

しかし王位継承権の順番って何で決まるんだろう?基本は父方の系図で早く生まれた方、つまり長男から継いで行くのが順当なのか?
ヘンリー七世は母方でのみランカスターと繋がっている。ヘンリー五世の妻だったキャサリン王妃の息子が(父親はヘンリー五世ではない)マーガレット・ボーフォード(ジョン・ボーフォードの孫)と結婚して産まれたのがリッチモンド伯ヘンリー。
一方リチャード三世やエドワード四世の父親3代目ヨーク公リチャード・プランタジネットは、父方をたどれば初代ヨーク公、母方でエドワード三世の息子クラレンス公ライオネルとも繋がっている。血筋としては優位なのか?

エドワード三世の長男である黒太子エドワードの息子がリチャード二世。ランカスター公は4男、ヨーク公エドマンドは5男、クラレンス公ライオネルは3男。長男優位でリチャード二世が即位したのはまあ分かるけど、4男のランカスター公と5男のヨーク公ならそれほど差はないと思うけど、結局ランカスター公の息子ヘンリーがリチャード二世の次に即位して、それからずっとランカスター家が王位を継いでいた。
だからエドワード四世の即位はヨーク家にとって悲願の王位奪還だったろうなあ。
でもヨーク家といってもエドワード四世たちの母親シシリ・ネビルは、系図を見るとランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘ジョーン(3番目の妻キャサリンの子)の娘である。だからこの時点でもうヨーク家とランカスターはつながっている。とにかく系図を見ると、誰も彼も親戚なのだ。どちらが王になってもいいじゃないかと思う。こんなことで争っているのは傍迷惑でしかないと思うのですが。

ややこしいけど、調べ始めるとおもしろいので、ついつい長くなってしまった。早く『ヘンリー六世』を読んで、もう一度『リチャード三世』を読まなきゃ。