日々の雑記
新宿御苑お散歩会

新宿御苑お散歩会

新宿御苑の薔薇 エリナ(香りのバラ 殿堂入り)と立札にあった

久しぶりのオフ会出席。都内へ出るのはコロナ禍前以来5年ぶり。昨年ようやく近場へはぼちぼち出るようになったけど、都内へは旧古河庭園に行ったきりだった。新宿という大都会へは本当に久しぶりなので(先月渋谷へ行ったけど、電車ではなく兄の車で往復した)前日からあれこれ行き方と時間をシュミレーションしていた。
予報では地元ではそれほどでもなかった雨と風だが、東京では風がかなり強まるという。めげずに行くのだ!

当日寒いのか暑いのか分からなくて迷ったけど、雨なので蒸し暑く、そのせいで冷房が効いていると予想して薄手のジャケットを羽織って出た。いざ地下鉄新宿御苑前で降りると予報通り風が強くなっていた。傘をさしても雨に濡れてしまった。こういう時のために撥水加工のジャケットも必要だなあ。

集合場所の大木土門前でメンバーでどうするか話し合って、せっかくなのでお散歩会決行となった。最初に温室へ。
見たことない花、よく見かけるけどどこか微妙に違う花、これが〇〇か!と感嘆したり、写真撮ったり、天井から流れてくる雨を避けたり、以前も来たけどまた新鮮な気持ちで見て回れた。

温室のあとは休憩所で一休み。どら焼きとほうじ茶を注文。どらやきが温かくて熱いほうじ茶と一緒にいただくと、体もあたたまってホッとする。ここでお土産のお菓子いただいたり、わたしたちは読書会で作った冊子をさしあげたり、いろいろお喋りした。ZOOMの画面越しより、やはり実際に顔を見てのお喋りは弾む。これよ、これ!オフ会の醍醐味!

そのうちに雨も小止みになり薔薇園へ。色とりどりの薔薇、形も大きさもいろいろ。大きくて豪華な薔薇、小さくて可憐な薔薇どちらも愛おしい。名前を見ながらその由来を想像したり、「ロミオ」があるのなら「ジュリエット」はどこに?とか楽しい♡

薔薇を堪能した後、新宿御苑を後にして近くのコメダ珈琲店へ。ここでまたコーヒー等飲み物をお供にひとしきりお喋り。わたしはコメダは初めてだったので、「ここが有名なコメダか」とちょっと感激していた。うちの近所にはないのでいつか入ってみたいと思っていたのだ。コーヒーを頼んだけど、まあまあだった。今度来たらまた違うもの頼んでみよう。

話は尽きないけど午後5時を過ぎたのでここでお開き。新宿駅まで歩いて行って(道も覚えたので次から歩いて行けるかな?)電車で帰ってきた。

久しぶりの長時間の遠出だったので、さすがに疲れたけど、それでも楽しかったから思ったほどではなかった。これで自信もついたしまた次回もぜひ出席したい。この他にもいろいろ出かけたい意欲がわいてきた。

みなさまありがとうございました。
「微風」

「微風」

ちょっと前の朝、家事のあいまにふいっと口をついて出た言葉がある。

  掌(て)にうける
  早春の
  陽ざしほどの生き甲斐でも
  ひとは生きられる

伊藤桂一の詩「微風」の最初の一節。
高校の時好きだった詩だ。

あの頃好きな詩をいくつかノートに書き写して愛誦していた。今思うと気恥ずかしい。
これも『氷菓』を読んで高校時代を懐かしく思い出していたせいか。こんなに引きずるとは思わなかった。

「微風」は『愛の詩集』で出会った詩。

『愛の詩集』新川和江・編 集英社コバルト・ブックス 1968年
  
新川和江編のコバルト・ブックスには他に『若き日の詩集』『季節の詩集』『山と高原と湖の詩集』を持っていた。このシリーズで知った詩は多い。
八木重吉の「素朴な琴」も『季節の詩集』で知った。
上がったり下がったり

上がったり下がったり

わたしの住んでいる市には映画館が無い。電車で近隣のシネコンか都内に行くしかなかった。
それが最近電車ではあるが、シネコンより近場にミニシアターが出来た。見たかったけど諦めていた映画が来週上映されるというので、下見を兼ねて予約しに行ってきた。駅からも5、6分、住宅街なので人通りも少なく(平日だからかもしれないが)シネコンとは違って落ち着いた雰囲気だった。ウキウキと来週の予約をして併設のカフェで紅茶を飲んできた。その翌週にも気になっていた映画の上映が予定されていて、これから楽しみが増えたと、娘と喜んで地元に帰ってきた。

カフェで紅茶にしたのは、地元に帰って駅前のいつもの喫茶店でいつも通りコーヒーとピザトーストを頼もうと思っていたからだ。それなのに……閉まっていた。定休日ではなくて「閉店しました」の張り紙が。

えっ?たしか先月古本市からの帰りに寄ったよね?その時そんな告知してあった?混乱とショックでボーっとして仕方なく駅前のコーヒーチェーン店に入った。娘が検索したらやはり先月末で閉店していて、常連さんの嘆きの声がネットに上がっていた。告知は閉店の10日ほど前だったらしい。それなら先月寄った時にはもう告知してあったはずだけど?思ってもいなかったので見逃したのか?

ショックもあったのだろう。チェーン店のコーヒーが不味くて飲めたものではなかった。いつもは入れないミルクをいれたけど、それでも不味い。この店では金輪際コーヒーは頼まんぞ!

出先で用事を済ませて地元に帰り、駅前でほっと一息ついてから家に帰る、という外出時のルーティーンが崩れてしまった。これからどうすればいいのか思案しながらトボトボと家路についた。

もちろん出先で喫茶店に入っても良いのだけど(そりゃ地元より数も多いからよりどりみどりだけど)自分にはあの店のコーヒーが1番美味しかった。好みに合っていたのだろう。ピザトーストも美味しかった。
まあ出先の◯◯か◎◎にでも入るか。いや、用事済ませた後にそこで休んでも、また電車に乗って帰るという一仕事がある。それより速攻で電車で地元に帰り、駅前でちょっと一息ついて後は家に帰るだけ、という方が心身ともに疲れが少ない。
これからどこで一息いれるか悩ましい。新しい店を開拓しようにも駅前にめぼしい店がないのが辛い。もう一つのお気に入りのカフェは始業時間が遅いし定休日も多い。まあ今日のチェーン店かちょっと足を伸ばしてサイゼリヤにでも行くしかないかなあ。

前半の心踊る幸せな気分が、後半一気にどよーんと下がってしまった。上がり下がりの激しい1日だった。

とりあえず写真の2作品が見られるようになったことは嬉しい。
A先生のこと

A先生のこと

参加している読書会を立ち上げたA先生が亡くなられたとの知らせがあった。ご高齢だったし、施設に入所されていると聞いていたので気にはなっていた。葬儀は家族葬で執り行い、弔問出席はご遠慮下さいとのことなので、会からはお花をお送りするだけにとどめた。落ち着いたらお墓参りに行こうと先輩メンバーから誘われている。

先生は読書会だけでなく、市の文化活動の中心的人物で、まだ図書館がなかった頃からの文庫活動、図書館設立準備委員、学校や施設での「おはなし(素語り)」活動、などに力を尽くされていた。児童文学作家として執筆活動もなさっていた。いくつかの作品は刊行されている。「おはなし」を語る先生の、方言混じりの柔らかな口調が今も耳に残っている。

先輩メンバーから初期の読書会のことを聞いた。彼女が参加した頃は、実際の作品を読むのではなく『児童文学論』を読み解いていたという。つまり勉強会だったらしい。作品を毎月読むようになったのは、それから何年か経ってからで(それが約30年前)、わたしが参加したのはそれから10年ほど後、そのときは先生も顔を出されていた。でも次第に先生の出席は間遠になり、感想のメモを寄越されるだけになり、それも無くなっていった。ご自身の執筆もあるし、他の活動も忙しかったのだろう。

ご自宅を解放して、読み聞かせや「おはなし」と音楽の発表会、読書会よりももっと研究会寄りの集まりなどを開催されていて、わたしも何度かお邪魔していた。読書会の大先輩方のそのまた恩師なので、わたしにとっては畏れ多く仰ぎ見る存在だった。ご本人はけっこう天然のふんわりした雰囲気の方で、新参のわたしにも優しく接して下さった。その優しい声でけっこう厳しい指摘も受け、無茶振りされて焦った記憶もある。

わたしが本と関わる生活を続けてこられたのも、先生がその環境を整えて下さったおかげです。お世話になりました。ありがとうございました。


庭のコウチョウゲが咲いてきた
『氷菓』の英語タイトル

『氷菓』の英語タイトル

全く注意を払っていなかったが角川文庫『氷菓』のタイトルの横に、小さく英語タイトルが添えてあった。

「The niece of time」

ところがこの英語タイトルが2回変わっているそうだ。

2011年最初の角川スニーカー文庫の<スニーカー・ミステリ倶楽部>としての発行時は
「HYOUKA」

次に角川文庫に移籍して
「You can’t escape」となり

さらに2012年3月31日発行の第28版から
「The niece of time」になっている。

わたしが読んだのは2012年11月15日発行の35版だった。

最初の「HYOUKA」は単にローマ字表記にしただけと考えると、次からがタイトルに込めた作者の思いがあるのかな。編集さんのアドバイスかもしれないけど。

でも現行の「The niece of time」はとてもかっこいいし、内容にも即していると思う。
これ「時の娘(The Daughters of Time)」を想定し千反田が関谷純の姪なので「娘」が「姪」になったのだろう。

ジョセフィン・ティの『時の娘』は歴史ミステリの名作、読んだ時は興奮、感動した。たしかエピグラフに「真実は時の娘」とあり、その文言にもしびれた。
これはフランシス・ベーコンの言葉「真実(真理)は時の娘であり、権威の娘ではない」から引かれており、権威に頼ることなく、時間をかけて探究された知識や経験によってのみ真実が明らかになるという意味。

『時の娘』また読みたくなった。
『愛蔵版<古典部>シリーズV』ーふたりの距離の概算・いまさら翼といわれても

『愛蔵版<古典部>シリーズV』ーふたりの距離の概算・いまさら翼といわれても

『愛蔵版<古典部>シリーズV』米澤穂信・著 角川書店 2024年
「ふたりの距離の概算」「いまさら翼といわれても」の他に、2編と書き下ろしエッセイを加えた愛蔵版の第3巻。

『氷菓』を読む時、どうせなら他の作品も収録されている愛蔵版にしようと思っていたら、1巻(『氷菓』収録)と2巻は貸出中だったので、3巻を借りてきた。文庫版の『氷菓』を読んだ後は読まなくてもいいかなと思っていたのだが、思ったよりも強く高校時代への懐かしさがこみあげてきたので、読むことにした。

シリーズを重ねてきたせいか読みやすくなっていた。登場人物に対しても好意的に見られるようになった。
『ふたりの距離の概算』いつのまにか折木たちが2年生になってて、新入生勧誘までやっている。仮入部した大日向をめぐる謎?が、マラソン大会当日とその前の日々の出来事を交互にはさんで、折木の推理が進んでいく。わたしの高校でもマラソン大会あったなあとまたも思い出にひたる。ただもう少し短くまとめてほしかった。早く謎を解いて欲しくてちょっと回りくどく感じてしまった。年のせいか疲れてしまった。

『いまさら翼といわれても』は良かった。これは短編集のせいもあり、折木だけでなく伊原目線の話があったせいだろう。伊原の第一印象は悪かったのだけど、ここで好転した。むしろ1番気に入ったかもしれない。彼女が漫画を描いているせいもある。
それぞれの話がおもしろかったが、「長い休日」「いまさら翼といわれても」「鏡には映らない」がよかった。こういう短編ならまた読みたいと思った。
『氷菓』

『氷菓』

『氷菓』米澤穂信・著 角川文庫 2001年

著者の作品では『さよなら妖精』『折れた竜骨』『満願』を読んでいて、デビュー作であり有名なこの作品は、気になりながらも未読だった。

やっぱりもっと前に読んでおくべきだったか。わたしの年齢のせいか、文章が読みにくく意味が読み取れない部分があり、最初はノレなくてこまった。登場人物もあまり魅力的に感じられなくて、これは作者がまだ書き慣れてないせいかなと思った。先に読んだ作品たちはそんなこと感じなかったので。

だが読み終わってからじわじわと来た。主人公たちより千反田の伯父関谷純の方に気持ちが入ってしまったのだ。彼とわたしはほぼ同世代(たぶんわたしは3歳下)なので、彼の時代の高校生活が自分に重なって懐かしさと切なさでいっぱいになってしまった。世相は学生運動真っ盛り、やんちゃな高校生たちの暴走もわかる。
何よりわたしの高一の12月に一部学生により校舎の3階が占拠される事件が起きた。授業はなく連日体育館での全校生徒と学校側との話し合い、教室での生徒同士の話し合いが続いていた。有志によるハンストも行われていた。一時学校側と同意して授業再開が決まったのに、一部の生徒が合意内容を不服として校舎の占拠が続いた。どれだけ続いたのか今ではもうはっきり覚えていない。
あの後カリキュラムの見直しがあり、新年度から授業内容が変わった。あの時誰か処分されたという話は聞かなかった。あれだけの騒ぎがあり、学校の評判がかなり悪くなった(あとで知ったことだが)のに、何の処分もなかったのだろうか。

それに比べると関谷純のことは「貧乏くじ」で片付けていいものか。見過ごせない大事を起こしてしまったため、どうしても処罰は行われてしまったけど、それをただ彼ひとりに負わせてしまった生徒たちの心情は、誰も追及しなかったのだろうか。皆自分が可愛いから仕方ないのか。千反田がつぶやいた(と折木が感じ取った)「ひどい」「むごい」ことだと思う。
千反田が彼のことを「伯父の最終学歴は中卒」と言ったのがきつい。では彼はその後学校へは行かなかったのか。就職は?どういう生活を送っていたのか。姪である千反田は彼を慕っていたけど、家族内での彼の立場はどうなったのか。彼のその後は生きたまま死んでいるようなものだったのか。誰も彼のその後を思いやらなかったのか。当時の仲間たちはあえて考えようとしなかったのか、見て見ぬふりをしたのか。
考えれば考えるほど胸が苦しくなる。行方不明になりもう7年。家族はけじめとして葬儀を執りおこなう。社会的には死者として扱われる。でもそうやってしがらみを断ち切ってから、これからが彼が本当に生きていけるのかもしれない。せめてそう思いたい。
ニュージーランドのりんご

ニュージーランドのりんご

スーパーでニュージーランドのりんごが置いてあった。いつもより早いな、と思ってたら、いつものロイヤルガラやジャズとは違うポピー(Poppi)という種類だった。小ぶりで赤くて名前も可愛い。今回一回限りなのか、これからしばらく出回るのかはわからないけど、見つけたら買おう。

一個食べてみたけど、かたくて普通に甘い。あまりすっぱくはない。ジャズはもう少しすっぱくてそこが好きなのだけど、これはこれでおいしい。何よりかたいのがいい。わたしはかたくてすっぱい紅玉が好きなのだ。りんごは今はふじを買ってるけど、この時期なのでどうしても少しやわらかい。

大好きな紅玉は出回る時期が短いので、スーパーでも八百屋でも生協でも、見かけたらせっせと買っている。ことしも早く出回ってほしいと待ちわびている。

紅玉の代わりというか、最近はニュージーランドのりんごが好みにあってて、毎年出回る時期を楽しみにしている。今年は新顔のポピーも増えたので、いつもより長く味わえるかもしれない。
まだ寒い

まだ寒い

GWも過ぎたのに、朝晩はまだ寒くて結構厚着している。日中も陽がさしていると暑くなるのだが、日陰や家の中だとそれほどではない。
前にすごく暑くなった時期があって、今からこれだと先が思いやられると思っていたけど、その後また寒くなったので、ひっぱり出した夏物の上に重ね着している。朝晩と昼の寒暖差が大きいので着るものに困る。
でもそのおかげか桜の見頃も長かったし、娘とも話したが、ここ最近の「冬から即夏!」よりもきちんと「春」が来たみたいで、なんか懐かしくいい気分。

写真 ご近所さんからいただいたミヤコワスレ
公園の花

公園の花

春になると隣接する公園に色々な花が咲き始める。そろそろかなと思っていたニワゼキショウ(庭石菖)も咲いていた。白が多いけど赤紫もちらほら。
アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)もハルジオンも咲いている。ネジバナはもう少しあとかな。

公園の花にもその年によって流行り(?)があるようで、今年はキュウリグサが勢いがあった。昨年はカラスノエンドウ、その前はホトケノザ(春の七草とは違う花)が元気だった。一時期はヒメオドリコソウがたくさんあったのに最近はは見かけない。でも市内でホトケノザがあった所に今年はヒメオドリコソウを見かけたので、また復活してきたのかな。
団地内の他の公園ではハナニラの群生がきれいだった。