日々の雑記
ミュージカル「二都物語」ライブ配信

ミュージカル「二都物語」ライブ配信

ミュージカル「二都物語」博多座公演千秋楽をライブ配信にて視聴。

「二都物語」についてはディケンズ原作のロンドンとパリを舞台にした(だから二都か)フランス革命時代の話で、主人公が身代わりになって死ぬ話という認識だった。身代わりなんて、嫌な話だなあと見るつもりはなかった。でもせっかくライブ配信あるのなら、井上芳雄と浦井健治の共演だし見てみようと思った。


正直1幕はのれなかった。2人に愛されるのが潤花ということぐらいしか事前に情報入れないでいたせいで、話の内容が頭に入ってこなくて、登場人物も似たような髪型で見分けつかないし、歌も印象に残らない。井上カートンはずっと酔っ払ってるし(その酔っ払い演技のまま歌うけど、それがまた上手い)、酔っ払いは嫌いだ。浦井ダーニーは最初叔父の悪辣公爵とやり合ってたら、潤花ルーシーと恋仲になってて結婚しちゃったと思ったら娘が出来て。はあそうですかという感じ。井上君がルーシーへの恋を自覚するところからしゃっきりするのは良かったけど。このままだと、井上君って歌上手いなあという感想で終わりそうだった。

でも2幕に入り俄然面白くなった。革命が始まり、個人ではどうしようもない大きな時代のうねりに飲みこまれ、もがきあらがい必死で運命を切り開こうとする人々。1幕の答え合わせのような怒涛の展開に目が離せなくなった。

革命前は貴族の非道な行いを見せつけ、一転して革命後は民衆の爆発した恨みが罪なき人をも虐殺していく。ファルジュ夫妻の「いつまで続けるんだ、もう終わらせよう!」「終わらない!」というやりとりがどちらの気持ちもわかるだけに辛い。人々は幸せになるために蜂起したはずなのに、この地獄はいつまで続くのか。
誠実で善意の人であるのに、彼の身内の残虐行為のために死刑判決を受けてしまったダーニー。彼を何とか救おうと奔走するが、最後の手段身代わりを決意するカートン。
ファルジェ夫妻、ダーニー、カートン、どうやっても動き始めた運命は止まらない。どうすることも出来ない。

処刑されるお針子(この子だって何の罪があるというのか)とカートンの間に、死の前に支えあい労りあうひとときがあって良かった。こんな場面見せられたら泣くしかないじゃないか。ルーシーから贈られた青いスカーフを巻いたまま、処刑寸前とても静かな明るい笑顔でこちらを向いて立つカートン。いい終わり方。その後のダーニーたちの様子を見せないのも潔かった。

ダブル主人公だと思っていたし原作ではそうなのかもしれないけど、このミュージカルではカートンが主人公で、ダーニーはあまり目立たなかった。ポスターではこの2人とルーシーの3人が写ってるけど、ダーニーとルーシーより印象に残ったのはファルジェ夫妻だった。橋本さとしと未来優希、お見事でした。

ディケンズの『二都物語』いつか読んでみようかな。
韓国ミュージカル『エリザベート』2020年公演版

韓国ミュージカル『エリザベート』2020年公演版

韓国のミュージカルはすごいと噂で聞いていた。見たいけど韓国まで行けないしと思っていたら、「韓国ミュージカルon SCREEN」という企画で、映画館で上映されるという。その第一陣が「エリザベート」。幸い県内で上映館があったので、都内に出ないで見られた。


素晴らしかった!これこそわたしが見たかった「エリザベート」だった。

わたしが初めて見たのがウィーン再演版のDVDだったので、それが全ての基本になっている。日本の東宝版は演出が好きではなく、はっきり言えば嫌いなので、あの演出家と演出が変わらない限り、もう絶対見ないと決めている。

この韓国版では演出はウィーン版に準拠していて、それだけでもう素晴らしい。
そしてみんな歌が上手くて安心して聞いていられる。ミュージカルだから当たり前なんだけど、その当たり前が通じないことが、残念ながら日本ではままあるので。

ルキーニがルキーニだった!日本版でトートの家来みたいな扱いを受けていたルキーニだけど、本来この物語を動かしているのは彼なのだ。登場人物の間を自在に動き回り、煽りたて、観客に説明する。歌も削られることなく、皮肉さと軽やかさがある。日本のルキーニにどうしても満足出来なかったけど、ようやくルキーニらしいルキーニに出会えて嬉しい。

シシイ。歌も演技も素晴らしい!一体どこまでが地声なのか、高音になっても力強さは変わらず、とんでもない歌唱力。ダンスも軽やかでクルクル回るし、歌、演技、ダンス、何でも出来る人なんだ。すごい。

フランツ・ヨーゼフ。第一声で何て良い声!と驚いた。若々しい顔なのに低い声。オペラの人らしい。そりゃ上手いはずだ。「夜のボート」や「悪夢」では、もうかわいそうでかわいそうで。シシイいい加減戻ってやれよ、と思ってしまった。

トート。はい、短髪トートですよ、みなさん!日本のお耽美長髪トートが嫌いなので、非常に満足。このトート、ナルシストで勘違い俺さま坊っちゃん。空気読まずに出て来ちゃ振られてすごすご退散する。なんか可愛い。

演出としては一緒だけど、ウィーン版のマテさん(マテ・カマラス)やマークさん(マーク・ザイベルト)みたいに大人っぽいと、その滑稽さや間抜けっぽさはそこまで感じなかった。いつもタイミング悪いなあ、ぐらい。それが顔だちが子どもっぽいせいもあり、それをもっと強く感じた。この子なら「愛と死のロンド」はあってもいいかなと思えた(いつもあの歌はいらんと思っている)「最後のダンス」を結構踊りながら歌ってて、渾身のラストの歌い上げはさすがだった。シシイを最後に迎えたのが白い衣装で、婚礼衣装かよ!と突っ込みたかった。楽しかったよ。


日本の演出、特に東宝版で気に入らなかったところが、ほとんどなかったのが何より良かった。元々日本初演は宝塚で、その演出は宝塚独特のスターシステムに則った、妥当な演出だったと思う。
でも東宝版にする時にそれを引きずってほしくなかった。素直にウィーン版をそのままやってほしかった。
今回の韓国版を見て嬉しかったと同時に、どうしてこれが日本でも出来ないのかと悔しくなった。
『またのお越しを』 8巻

『またのお越しを』 8巻

『またのお越しを』8巻 おざわゆき・著 講談社 2015年 7月

この第8巻で完結。7/11に配信されていた。最終話の一つ前39話まではwebで読んでいた。

まるっきりの素人だった枷耶子たちがお店を開店してから約1年。ライバル店や灯まで巻き込んで、町のイベントとして桜まつりを企画するまでになった。人と関わることが苦手で、言いたいことも言えず辛い現実からは逃げ続けていた枷耶子が、明るい笑顔で接客しお客に寄り添う。人としての成長と商売人経営者としての成長を追ってきた物語が完結した。

その他の登場人物たちもそれぞれの成長を見せる。あんなにだらしなく怠け者だったのえるが、しっかり共同経営者として務めを果たしてし、灯でさえ人のことを労ることができるようになる。というか灯の言うとおりみんなルカちゃんに頼りすぎ!いつだって駆り出されてるし、また頼りになるんだよなルカちゃん。その実力を認められ新しい職場で店を任される。よかったね!
最初感じ悪かったチドリも着物に対する偏見を捨て、いい距離で付き合えてる。
杜紫さんはなあ、カゲリが言うように考えすぎてウジウジしてたけど、また「くくりや」に戻れてよかった。最終話でようやく母親に再会したけど、もっと早く会いに行けよ!カゲリは「あの子はよく泣く、それがいい」と言い、灯はほっとけなくて彼を雇い、あれこれ気にかける。この兄弟あってこそ杜紫さんは立ち直れたんだなあ。
最終話ではイベントに来てくれた高校時代の同級生から、当時のカゲリのエピソードが語られる。昔からブレてなくてかっこいいな。


一方枷耶子とのえるの家族については祖母(おばあ)以外の描写はない。わずかに枷耶子の母親が後姿で枷耶子の夢の中で登場する。枷耶子のあの性格は、母親から常に否定されていたことから形成されていたのがわかる。その他の情報、どこに住んでいて父親やきょうだいはいないのか、などは語られない。それは物語の本筋ではないのだろう。
38話でカゲリがタクシーで枷耶子たちをおばあの家の跡地に連れて行ってくれたけど、一体どこなのだろう?タクシーで行けるから、都内か東京近郊か?それよりなんでカゲリが知ってるのかも謎だけど。たしか1話でのえるがおばあに「かやちんみたいに東京の学校いきたい」とねだってたから、おばあの家も枷耶子やのえるの家も東京じゃないようだ。

第1巻が2022年刊行。4巻までが紙の書籍、5巻からは電子だけになってしまったけど、着物と和小物について懐かしさを覚えて、3年間追ってきた。とりあえず大団円でいいのかな。ほのかに恋の成就も予感させて終わるのは、頑張ってきた枷耶子へのご褒美ということか。「くくりや」の未来が明るいことを祈ろう。

このご時世と年齢があって遠出は出来ないけど、いつか有松へも行けたらいいなと思う。
1週間後

1週間後

先週、低音障害型感音難聴で薬を処方され、不味いと強調された薬を頑張って飲んだ。1週間後の本日再診。

最初に聴力検査。先週とは違い右耳もかすかだけど聴こえたので、聴力回復したようだ。期待して先生の診察を待った。
診察では「良くなっているからあと1週間服用して、それで治療終了しましょう。まだ違和感あったり心配だったら来てください」と言われた。
よかった!効果なかったらステロイド投薬になったかもしれないので、ホッとした。今もまだ少し違和感あるので、これがまだ残っていたら念のためもう一度診察を受けよう。

あと1週間また3種類の薬を飲む。イソバイドシロップにもようやく慣れてきた。苦いのか甘いのか不思議な味だけど、最近は舌と脳がこの味を覚えたらしく、飲んだ時の衝撃が少なくなってきた。あと1週間頑張って飲もう。
『ゆきのおしろへ』

『ゆきのおしろへ』

『ゆきのおしろへ』ジビュレ・フォン・オルファース/作 秦理絵子/訳 平凡社 2003年

オルファースの処女作。もうめちゃくちゃかわいい!だってさ!「ゆきのこたち」がね、まるくって、白くって、ころころしてて、ふわふわ飛ぶんだよ!ちょっと正気を失うほど可愛さに悶えてしまった。

オルファースの絵本のうち一番気に入ったので、買う気満々だったのに絶版で、中古でも一桁違う値段がついてて、さすがに躊躇した。
英語版ならそこそこの値段であるけど、どうせ洋書にするなら原語のドイツ語版がいい。

英語版『The Story of the Snow Children』の試し読みを見たら女の子の名前がPoppyになっていた。
原題が『Was Marilenchen erlebte!』(マリーレンちゃんのおはなし←福武書店『ちょうちょうのくにへ』の訳者あとがきによる)なので、女の子の名前はマリーレンのはずだ。日本版の『ゆきのおしろへ』ではちゃんとマリーレンになっている。

名前を自国風のものに変えるのは、日本だって昔は、例えば「ジョン」を「太郎」と訳すことはあったのだろうから、よくあることなのかも。またあまりなじみのないものをわかりやすいものに変えることもある。『ライオンと魔女』で「ターキッシュ・デライト」が「プリン」になったように。『ひとまねこざる』で「スパゲッティ」が「うどん」だったように。
ドイツ語から英語に訳す時、名前はどうするんだろう。「カール」を「チャールズ」に、「ミハエル」を「マイケル」にしたりするんだろうか。

Amazonでドイツ語版もあったけど、これも平凡社版ほどではないけど結構お高くて諦めた。
せめてポストカードとかないかしら。あの「ゆきのこたち」のデザインなら絶対需要あると思うのだけど。
オルファースの絵本

オルファースの絵本

 『根っこの こどもたち 目をさます』『ねっこぼっこ』でオルファースを知って、他の絵本も図書館から借りてきた。

34歳で逝去したオルファースの残した絵本は8作。そのうち日本で出版されたのは6作。

福武書店から2作、平凡社から6作、童話館から2作。

福武書店
『ねっこぼっこ』生野幸吉/訳 1982年9月
『ちょうちょうのくにへ』松居友/訳 1991年3月

平凡社
『森のおひめさま』秦理絵子/訳 2003年2月
『うさぎのくにへ』 〃 2003年4月
『風さん』     〃 2003年9月
『ゆきのおしろへ』 〃 2003年12月
『ちょうちょのくに』〃 2004年4月
『ねっこぼっこ』  〃 2005年5月

童話館出版
『根っこのこどもたち 目をさます』石井桃子/ 訳 2003年3月
『かぜさん』さがの弥生/訳 2012年1月
(この『かぜさん』だけは、図書館になかった)

最初にオルファースの絵本を出版したのは、福武書店。福武書店は本当にいい児童書いっぱい出していたのに、ベネッセになって児童書出版から手を引いたのは残念だ。

平凡社が2003年からオルファースの絵本を次々に出版していた。出版社のサイトを見ると6冊セットの販売もあった。その時知っていたら購入したのに〜(T . T) 復刊してほしい。

出版社が違うとタイトルも訳者も違い、元にした原書も違ったりしている。出来るだけオリジナルに近いものを読みたいけど、そうすると平凡社版になるのか。

平凡社の『ちょうちょのくに』の訳者あとがきに
ー『ちょうちょのくに』の初版の約20年後に、児童文学作家アルベルト・シックストゥスが、オルファースの絵に合わせてテキストを書き、現在ドイツではそちらが復刻されているが、本書はテキストもオリジナルのオルファースのものから翻訳した。ー
とある。

本国ドイツでさえオリジナルでないテキストが使われているのには驚いた。長く読み継がれていくためには仕方ないことなのかもしれないけど…。

この「ちょうちょのくに』がオルファースの遺作で没後まもなく出版された。
資格確認書が届いた

資格確認書が届いた

わたしは国民健康保険に加入している。

昨日国保年金課から見慣れた封筒が届いた。
いつもなら8月1日からの新しい保険証のはずだけど、はい、来ましたよ、例の資格確認書。
いやー噂には聞いてたけど、今までの保険証とまるで一緒。「被保険者証」の文字が「資格確認書」に変わってるだけだった。

アホらしい。従来の保険証を残しておけばこんな変更しなくても良かったのに。しかも申請しないでもちゃんと送られてくるのだから、本当に以前の保険証と変わらない。
資格確認書のことが発表された時、申請しないとダメなのかと思っていたけど、市役所からは前もって、「何もしなくても送付されます」という案内があった。それでも本当に送られてくるまで少々不安だった。

今回マイナ保険証登録済みの人には送られなかったのだろうか?それだとわざわざマイナ保険証登録済みの人と未登録の人を仕分けする手間が余計にかかるので、担当者は大変だったろうなあ。うちは人口の少ない市なのでまだいいけど、たしか東京ではその手間の方が大変なので、全員に資格確認書を送ることにした区があったはず。本当に現場の人は大変だよ。

いずれは申請しないと送られてこなくなるのかもしれないけど、そうすると申請忘れとか出てくるし、対応に追われて担当部署はますます大変になるだろうなあ。誰の得にもならない、現場に混乱と負担を押し付けるだけのこんな制度、本当に見直してほしい。


写真は道端に咲いていたモナルダ。わたしが知っているモナルダは赤紫色だったので、最初わからなかった。こういう色もあったのだ。
『ねっこぼっこ』旧訳と新訳

『ねっこぼっこ』旧訳と新訳

『ねっこぼっこ』
ジュビレ・フォン・オルファース/作 
写真左 生野幸吉/訳 1982年 福武書店
写真右 秦理絵子/訳 2005年 平凡社

2冊とも古本サイトで購入。

原題の「根の子ども」を「ねっこぼっこ」としたのは、旧訳の訳者生野さんが東北地方の方言の「ぼっこ」を当てたもの。とてもかわいい呼び方。

(「ぼっこ」で思い出したのが、絵本『ちいさな こだまぼっこ』(あまんきみこ/作 渡辺洋二/絵)。懐かしくて取り出してみたら、すごく汚れていた。それだけ何回も何回も読んだんだなあ。)


新訳旧訳にも違いがある。元々の色調なのか、経年による褪色なのか、旧訳の方が色が薄い。装丁も新訳の方は見返しに童話館版「根っこのこどもたち目をさます』の表紙に使われていた絵があったり、表題紙に可愛いねっこぼっこたちの絵があったり、色もあざやかできれい。
旧訳の方はタイトルの字体がくるんとしてて根っこみたいでおもしろい。

そしてテキストは、これはどちらも原文からの翻訳なので、リズミカルな詩のようだ。これは読むたびどちらもいいなあと決めかねている。生野訳は少し古いかな、でもそこがいい。。秦訳のほうはやさしくて読みやすい。童話館版で「スイレン」とあるのを「ひつじぐさ」としているのは、生野訳も秦訳も同じ。わたしはこの「ひつじぐさ」という言葉が雅で好きなのだ。

大きく違うのは「ねっこぼっこ」たちの地中での春の準備の部分。
生野訳では針仕事をするのはただの「ねっこぼっこ」で、次のページでは「ねっこぼっこの おとこのこ」と書いてある。
秦訳では「べつのおへやの ねっこぼっこ」と書いてある。

ここは娘が男女分けてない秦訳のほうがいい!と強調していた。

そして、ここは童話館版ではもっとはっきり「根っこの おんなのこたち」「根っこの おとこのこたち」と、男女分けて書いてある。英訳版でもそうなっているのかな?

絵を見るとそれぞれ服装が違う。針仕事の「ねっこぼっこ」は帽子はかぶらず服もくるぶしまであるワンピース、違うページの「ねっこぼっこ」は帽子をかぶりズボンをはいている。だから作者もここは女の子と男の子と分けて描いている。

原書でもこの部分は「Wurzelkind」と「Wurzeljungen」になっている。「kind」は子ども「jungen 」は男の子という意味なので、やはりここは男の子と訳して間違いではない。(娘は、kind のほうも前置されてる語の格変化で女性系になってるのかもしれないが、ぜんぜんわからんと唸っている)


童話館版は英語版からの翻訳だけれど、ちょっとわからないのが、オルファース「絵」、フィッシュ「文」、石井桃子「訳・編」となっているところ。元々オルファースが文も付けてるのに、なぜオルファースは「絵」だけで、「文」は他の人なのか?ちょっと調べてみた。

ドイツ語の原文だと、韻を踏んでいてこれは完全に詩の形だ。これを英訳する時に散文にしたと、英語のレビュー投稿サイトらしきもので読んだ。(ただしこれは出版社公式の情報ではない)

https://www.goodreads.com/book/show/4072058-when-the-root-children-wake-up

これを読んでなるほどと思った。元のオルファースの詩を元にしてフィッシュが文を書いた、つまり「リライト」「再話」と考えればいいのか。

なぜオルファースの詩のままで英語に翻訳しなかったのか疑問だけど、詩よりも散文の方が子どもに受け入れやすいと考えられたのかも。たしかに童話館版はより物語風で説明的になっている。わかりやすい反面、やはり詩のままで残してほしかったなという気持ちがある。


思いがけず調べものが続いたが、一つの絵本から世界が広がるのはとても楽しかった。
『根っこの こどもたち 目をさます』

『根っこの こどもたち 目をさます』

『根っこの こどもたち 目をさます』 ジビレ・フォン・オルファース/絵 ヘレン・ディーン・フィッシュ/文  いしい ももこ/訳・編  童話館出版 2003年

先月の青空古本市で見つけた絵本。
表紙も本編もとてもかわいい絵。冬の間地面の下で眠っていた根っこの子どもたちが目を覚まして春に備えて仕事をはじめる。準備が整い春になったら花の子となって外に出ていき、思い切り楽しい春夏を過ごして秋風が吹いてくるとまた地面の下に帰っていく。
自然の営みを擬人化した根っこの子どもたちの活動で描いている。この子どもたちがとにかく可愛くて可愛くて。季節のめぐりと小さな草花や虫たちに、やさしくあたたかなまなざしが向けられている。

とても気に入った絵本だったけど、英文の奥付でちょっと疑問に思った。
イラストは1906年、テキストが1930年。そしてオリジナルの出版は1906年ドイツ。あれ?文章は後からつけたの?
日本版奥付けの作者紹介を読んでようやくわかった。オリジナルではテキストもオルファース自身がつけているということ。それを英語に翻訳したのがフィッシュさん。その翻訳を石井桃子さんがさらに日本語に翻訳したということらしい。だから「訳・編」なのか。

では原書のドイツ語版からの日本語翻訳はないのかと思ったら、『ねっこぼっこ』という絵本が1982年に福武書店から、2005年に違う訳者で平凡社から出版されていた。
これはぜひそちらも読んでみたい!
『わたしはBIG! ありのままで、かんぺき』

『わたしはBIG! ありのままで、かんぺき』

『わたしはBIG! ありのままで、かんぺき』
ワシュティ・ハリスン・作  ジェーン・スウ・訳  ポプラ社 2025 年2月

「あるところに、おおきなえがおと おおきなこころ おおきな おおきなゆめをもつ
おんなのこがいました」

という文章ではじまる絵本。大きいことはいいこと素晴らしいこととほめられ、女の子はすくすく育つ。そのうち女の子にかけられる言葉が変わってくる。女の子自身は何も変わってないのに、肯定的な言葉から否定的な言葉へと。
「大きすぎる」「もう大きいんだから」「大きすぎて似合わない」
みんなと同じまだまだ小さい女の子なのに、見た目だけで大きいから小さい子のものは使うなとか、もうお姉さんなんだからと我慢することを強いられ、どうしてそれがわからないのか出来ないのかと責められる。女の子は傷つき萎縮してしまう。

「じぶんはどこにいても めだちすぎで きめつけられて それなのに だれのめにも うつらないんだと、かんじるようになりました」

もう女の子がかわいそうでかわいそうで、周囲の人の無神経な言葉に腹が立って仕方がなかった。縮こまり涙にくれる女の子に、早く誰か手を差し伸べて!と祈っていたら、ここからの展開が素晴らしかった!
普通なら誰か味方が現れるだろう。だがこの女の子は自分の足で立ち上がるのだ!

「もっと じぶんのために いばしょをつくろう。じぶんを あいしてみよう」

決意した女の子は自分が傷ついたことをきちんと周囲に告げる。人々は、そんなつもりはなかっただの、考えすぎだのと、まともに受け止めてくれない。中には手を差し伸べる人もいたが、その人は「かわりたいならたすけになるよ」と言う。それは女の子の望むことではない。

「だいじょうぶ わたしはこのままのじぶんが すきだから」

素晴らしい!本来なら親なり教師なり周囲の大人が伝えてあげるべき言葉なのに、この子は自分でそれに気づく。子どもが持つ生きる力、それを信じさせてくれた。頑張って!と全力で応援したくなる。
一方で大人が誰もそれに気づかないというのが、やるせないのだけれど、いつか必ず気づいてくれる大人があらわれることを信じたい。子どもの本来持つ生きる力は、大人の支えがあればより強く発揮出来るだろう。それを支えられる大人でいたいと思う。

絵も素晴らしい。女の子が、のびのびした笑顔から次第に悲しい顔に変わっていく。その悲しい顔の女の子が紙面いっぱいに描かれた絵は、行き場のない閉じ込められた女の子の心が見てとれ息苦しくなる。最後のページは「似合わない」と言われたピンクの服を着て踊る女の子。そう、誰に何と言われても女の子は自分を愛し自分の道を進むのだ。

大きくても小さくても、見た目で判断されることはありがちだ。それが間違っているとわかっていても、ついつい大きいと大人扱いし、小さいと逆に子ども扱いしてしまう。また何気ない言葉が、相手を傷つけてしまうこと、そこに無意識の偏見があることにもっと自覚を持たなくてはならないと反省した。

村上雅郁の『りぼんちゃん』では主人公は体が小さいため、同級生からも子ども扱いされる。相手は可愛いがってるつもりで悪気はないのだが、それは彼女を軽く見ていることになる。侮られ軽く扱われることは辛い。あの作品でも胸が苦しくなるほどだった。
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