このところ風が強くて散歩に出られなかった。今日は風もおさまったので、ようやく出かけられ、川向こうの公園に行ってみた。
2週間前にはまだ咲きはじめたばかりだった河津桜。今日は満開だった。公園の花壇にはパンジー、水仙、菜の花、足元にはオオイヌノフグリやホトケノザも咲いていた。川沿いのソメイヨシノの根元にはライトアップ用のライトも設置されていた。今年の見頃はいつ頃かな。ロウバイはもう終わっていたけど、モモが咲いていたり、爛漫の季節がもうすぐやってくる。
川にはダイサギ、カルガモ、オオバン、コガモがいて、河津桜にメジロとヒヨドリが来ていて、開花前のソメイヨシノの枝でシジュウカラが鳴いていた。
映画「ベ・ラ・ミ 気になるあなた」
ゲン・ジュン/監督・脚本 2024年 フランス、ポルトガル
3/6 OttOにて鑑賞
はじめはまったく見る気はなかった。予告編でも冴えないおっさんが変な会話してるし、なんだこりゃ?と思っていた。それが映画館で何回も予告編を見てるうちに、そのおっさんがだんだん可愛く見えてきて、なんだか気になって気になって仕方なくなってきた。もう見るしかない。
中国黒竜江省のある町。若い男に別れを言い渡される中年男シュー・ガン。妻がいるが自分の気持ちに正直になろうと、初めてゲイコミュニティに接触するジャン・ジーヨン。
この2人の話が中心だけど、他に人工授精で子どもを持とうとするレズビアンカップルも登場する。その精子提供者の男性とその恋人の男性。主役2人に付きまとうレストランの店主等々。これらの人々が、みんなどこかちょっと変で、予想もつかない行動をするので、これはどういうことかと首をかしげたり、苦笑やら爆笑やらで忙しい。とてもおもしろかったんだけど、どう説明すればいいのかさっぱりわからない。
突然「インターナショナル」をアカペラでフルコーラス歌い出すおっさん。(今どき「インターナショナル」聞かされるなんて思わなかった)
サウナで太鼓腹叩いて、この曲名を当てろ、と変なクイズを出すおっさん。
突然飛んでくるUFO。おもちゃかと思ったら、本物だった。
というように、わけのわからないエピソードの連続なんだけど、でも結局はシュー・ガンとジャン・ジーヨン2人のラブストーリーだったんだなあと思う。(レズビアンカップルの方もなかなか興味深い展開だったけど)
予告編から可愛いかった冴えないおっさんのジャン・ジーヨンが、予告編以上に可愛くてたまらなかった。初心でもの慣れない恋する乙女。でも自分の尊厳はしっかり守る気概もある。シュー・ガンもそこに惚れた。
おっさんだろうと人を恋する気持ちは真剣で美しい。同性だろうと異性だろうと若かろうと年取っていようと。
なかなか出会わず、出会ってからも行き違いがあったりして、終盤でようやく恋人同士になれた2人の寄り添う姿に、ああ、よかったなあ、幸せになってねと、温かい気持ちになる。
「シュー・ガン、絶望するな」
「ジャン・ジーヨン、絶望するな」
「俺がいる」
この会話がいい。ちょっと涙出そうになった。
チラシによると「かの国では上映不可能な“タブー”に軽やかに挑んだ、オフビートで異色のラブストーリー」らしい。なるほど。
『木挽き町のあだ討ち』
永井紗耶子/著 新潮文庫 2025年
2023年上半期の第169回直木賞受賞作品。興味はあったのでいつか読もうと思っていた作品。ちょうど映画が公開され感想もぼちぼち上がってきている今、あまり映画に引きずられないうちにと、電子書籍を購入して読んだ。とても心地よい作品で、一気に最後まで読んだ。
2年前の雪の夜、芝居小屋の側で衆人の見守る中果たされた仇討ち。その顛末を知るために、1人の侍が芝居小屋の関係者を訪れた。侍は仇討ちを果たした菊之助の縁者で、関係者からそれぞれ話を聞いていく。
各章ごとに語り手が変わり、最初は通りいっぺんの仇討ちの話が、関係者自身の来し方を語る部分になると俄然おもしろくなる。芝居小屋へと流れて来たそれぞれの人生が、ひとつの物語として読み応えがあった。それは菊之助がこの場所で得た思いと決意を、侍と読者が追体験して知ることになる。
芝居とそれを支える裏方の説明が、それぞれの章で語られるのもよかった。木戸芸者、殺陣師、女形で衣装係、小道具係、戯作者、芝居はこれら裏方が揃ってこそ成り立つ。
第四幕(章ではなく幕となってるのも芝居らしい)で、ああ、そうかとだいたいのカラクリが見えてきた。そこから終幕まで一気に駆け抜けて、芝居のように大団円で終わるのが気持ち良かった。
印象に残ったこと。第三幕女形の二代目吉澤ほたるが、初代ほたるの言葉「世間ってのは、階段みたいになっていて、上の連中は下の連中を見下ろしている」を引いて、その階段の最上層にいる菊之助たち武家の、武家である故の枷に囚われる苦しみを思いやるところ。それは最下層とされる芝居関係者の自分たちも同じ、人間は等しいのだと気づく。人から見下ろされる彼らの方が、優しさと理を知っている。
映画「ふたりのまま」
長村さと子/監督・撮影・編集 2025年
2/24 OttOにて鑑賞
最初に「映画に出演している4組の同性カップルは、公にはカミングアウトしていないので、身元特定出来るような情報は鑑賞後SNSなどにアップしないように」というような注意書きがテロップで出た。
ああそうか、監督がSNSで「この映画は配信も円盤化もないので、映画館でしか見られない」と言っていたのは、こういう理由からだったのかと思った。今のこの社会でのマイノリティの人たちの、生きにくさの現実を突きつけられた気がした。
チラシにあるように、日本にも子どもを育てている同性カップルはたくさん存在するが、大多数は差別や偏見を懸念し、関係性を隠して暮らしているという。そういう見えない存在になっている4組の同性カップルの日常を、自身も同性パートナーがいて、一児の母となり子育て中の監督が、友人関係にある出演者たちを撮った作品。
見て良かった。自分の中にある偏見に気づかされた。わたしは自分では同性婚に理解ある気でいたけど、そんな思いあがった気持ちに強烈なパンチをくらわされた。
わたしは同性婚を選んだ人たちは、その時点で子どもを持たない選択をしていると思い込んでいた。だってどうしたって2人の間に子どもは生まれないのだから。子どもを持ちたいのなら養子を取ればいいだけだとも思っていた。それは異性婚でも同じで、子どもがいてもいなくても幸せな家庭は作れるはず、家族の形はそれぞれあっていいはずだから、と偉そうに思っていたのだ。
あるカップルの1人の言葉「自然に持てないものを欲しがる人は、あまり好かれない」を聞いた時、あ、これはわたしだ、と気づかされ動揺した。無意識のうちに思っていたのだ。自然に持てないものを欲しがるーそんなのわがままじゃないかと。つまり異性婚で子どもがいるのが自然な形で、それ以外は正常ルートからはずれているので、人並みに子どもを持ちたいなんて思うこと自体間違っている、と。世間が強制する模範的な家族観が、わたしにも刷り込まれていたのだ。反省した。
人は1人1人違っていい。結婚してもしなくても、子どもを望んでも望まなくても、他からの強制でなく自分の意志で決めればいい。そしてその個人の選択を、皆が認めあい尊重しあって生きていける社会であればいい。そんな社会はまだまだ実現していないけど、少しずつでも進んでいってほしいと思う。そんなことを考えさせられた映画だった。
今日も風強かった。予報では昨日ほどではないと言っていたけど、同じくらいかむしろ朝は昨日以上に強かった。昨日行くつもりだったリハビリを今日に延期していたのに、結局風の中行くことになった。
駅前でこないだから咲いていた寒緋桜が満開だった。昨年より1ヶ月近く早いそうだ。花が下向きに咲いているので、桜といっても見慣れたソメイヨシノなどとはだいぶ雰囲気が違う。もっと早くから咲いていた近くの河津桜は、そろそろ葉の方が目立っていた。河川敷公園に咲いてる河津桜はそろそろ見頃のはずなので、近いうちに見に行きたい。
2/20 OttOにて開催された「手に魂を込め、歩いてみれば」上映後のアフタートークに参加した。映画自体は以前見ていたので、当日はアフタートークだけ参加して、ジャパンプレス所属のジャーナリスト、藤原亮司さんの話を聞いた。
藤原さんは1998年からパレスチナを取材していて『ガザの空の下 それでも明日は来るし人は生きる』という著作もある。この著作も置いてあったけど、発行が約10年前で、現在加筆作業中と言ってらしたので、どうせなら加筆された方を購入しようと思いこの時は購入しなかった。
カフェでの講演ということで時間が約1時間しかなく、本来なら3時間くらい?の講演用に用意していたスライド写真を使って、ダイジェスト的に話して下さった。
けっして流暢ではなく話題もあちこち飛んで、理路整然とした話し方ではなかったが、やはり現場で取材してきた方の熱のこもった生の声は、心に響いた。
印象に残ったことをいくつか。
「ガザを実効支配するハマス」ニュースのたびに聞くこの言葉にいつも違和感を持っていたが、藤原さんも指摘していた。2006年のパレスチナの総選挙で勝利したのは、このハマスなのに、イスラエルやアメリカがハマスをテロ組織とみなして政府として認めていないだけ。
ガザの中の人たちは、イスラエルの内通者に疑心暗鬼になり、本音を言えるのは外部の人の方とのこと。藤原さんはガザの人との通信はメールもすぐ削除するし、電話も長くは話さないという。だから映画「手に魂を込め、歩いてみれば」で、監督とファトマがあんなに長く話しているのに驚いたそうだ。
写真を撮っていた時知り合った少女に、うっかり「大人になったら何になりたい?」と聞いてしまい、「毎朝起きた時、今日も生きていたって思うので、大人になることが想像できない」と答えられ、後悔した。
映画「ネタニヤフ調書」については、わたしの感想と同じで、パレスチナのことを何にも考えていない酷い映画だった。
イスラエルで比較的リベラルな考えの人も、自分が今暮らしている土地が、かつてパレスチナの人を追い出して得たものということを知らないでいる。若い世代ほど何も知らない。
このことは昨年の映画「壁の外側と内側」でもふれられていた。イスラエル国内ではパレスチナについての報道は何もされない。知りたければ自分で調べればいいと思うだろうが、そもそも疑問に思わなければ自分から調べてようとはしない。たしかに。政府発表だけ聞いて納得していたら、わざわざ調べようとはしないだろう。戦時中に政府発表だけ聞いて、何も疑問に思わなかった日本国民も同じだった。
イスラエルはそうやって国民を無知のままにしておく。そしてパレスチナに対しては、学校も病院も仕事も住居も奪い、外部からの支援物資に頼るしか生きるすべがない状態に追い込んでいる。人としての尊厳を奪っている。
もっともっと話を聞きたかったが、時間がきてしまった。最後にガザに住む藤原さんの知り合いに送るというので、少額だが寄付をしてきた。
後日、他の会場での分も合わせての寄付の総額と送金の報告が、藤原さんのSNSで上がっていた。
お題が魚だったので、朝スーパーで塩鮭を買ってきた。切り身より絵になりそうな頭のついた鯵の開きにしようかとも思ったけど、後で食べることを考えて鮭にした。
メンバーも鮭を持ってきた人が多かった。中にはタコやイカや自家製のニジマスの燻製を持ってきた人もいて、いつになく珍しい画材が集まった。
切り身の表と裏、両方描いたのでおもしろいものが出来た。最初そんな変わったもの?と思ったけど、なるほど何でも画材になるのだなあ。
役目を終えた鮭は、夕食に美味しくいただきました。
あっという間に2月が過ぎてもう3月。
今日は昨日のように風が強くないので、気になっていた花壇の草取りをした。ほっとくとすぐ雑草だらけになるし、予報ではまた寒い日が来るというので今のうちにと頑張った。最近花粉のせいか体調イマイチだったけど、ついでに公園の草も少し取った。
毎日のニュースで気が滅入っていたので、体を動かすのはいい気分転換になった。
映画「君と私」
チョ・ヒョンチョル/監督 2022年 韓国
2/20 OttOにて鑑賞
2014年4月、女子高生セミとハウンと同級生たちのある1日の物語。
主演二人の演技はとても良かったし、女子高生たちの言動は本当にリアルで素晴らしい。ああ、高校生だなあと気恥ずかしさと懐かしさがまじり合い、そこは本当に見応えあった。それだけでよかったのだ。そんな眩しい日々は永遠ではない。二度と同じ日はかえらない。それは普遍的なこと。
最初に2014年4月16日のセウォル号の事故があった事が字幕に出る。そして修学旅行を明日に控える彼女たちの物語がはじまる。この設定があるため、この映画全体がどこか不穏で現実でないあやうさを抱えている。最初の違和感は鏡。なぜ教室に姿見ほどの大きな鏡があるのか。そしてその鏡の中で起き上がったセミの姿が映る。なので彼女の実在がもうこの時点で疑われた。その後も所々に挟まれる幻想的な映像に混乱させられる。女子高生たちの生態はリアルなのに、時折現実味がなくて、その行ったり来たりが思わせぶりで、どうにも気持ち悪かった。それが狙いなのだろうけど、わたしは居心地悪く感じた。
青春の日のかけがえのなさ、その1日1日は全て唯一のものであり、二度とかえらないもの。あの日はあの日だけのもの。不意に断ち切られる事があってもなくても、その事はかわらない。だから今輝いている彼女たちを映してくれるだけでよかった。
色々疑問に思う点。修学旅行の前日にそんな夜遅くまで出歩くの?とか、ハウンは病院抜け出して大丈夫なの?夜の学校の校舎に入れるの?とか、夜更けに家族で流しそうめん?とか。
ああ、でもこれらが、映画全体が、夢とか幻想だというなら、変に思うことじゃないのかな。
駅前マンションの敷地にある河津桜が先日咲いていたので、川向こうの公園にある河津桜も咲いてるかな、と見に行った。昨日今日と暖かいし期待してたけど、うーんまだちょっと早かった。蕾はいっぱいあったので、これからが楽しみ。
川を渡る時、オオバンとヒドリガモとカルガモがいた。コガモは見かけなかったけど、土手にはムクドリがたくさん。季節によって種類は違うけど、鳥がいろいろ見られるのは楽しい。