芍薬とパンジー

芍薬とパンジー

今月の絵手紙の画材は「花」。メンバーそれぞれ花を持ち寄った。
わたしは玄関横の自治会の花壇のパンジーを持っていった。もうすぐ植え替え時期なので撤去が決まっていて、その前に好きな花をもらえるというので、パンジーの中でも1番好きなのを選んだ。我が家ではこの子を「1番のべっぴんさん」と呼んでいる。
別のメンバーが庭の芍薬をたくさん持ってきて、好きなのを持って帰っていいというので、ありがたくいただいた。

芍薬とパンジー、ひとつずつでも可愛いが、並べて見るとさらに可愛い。
映画「ナースコール

映画「ナースコール

映画「ナースコール」
ペトラ・フォルぺ/監督・脚本 2025年 スイス・ドイツ

5/9 OttOにて鑑賞

スイスのある州立病院のある1日。その日の遅番の看護師フロリアの出勤から退勤までの話。出勤直後から息つくひまもない彼女の仕事振りを追っていくので、見終わってからどっと疲れた。
これは世界中で深刻な問題なのだろうが、とにかく人手不足で看護師一人一人の負担が大変重い。その上この日は同僚の1人が病欠のため、26人の入院患者を2人の看護師で受け持つことになる。これを聞いただけで気が遠くなるが、フロリアは手際よくこなしていく。病室を巡回し適切な処置をして、患者の話には誠実に耳を傾け、無理な要求は笑顔で交わし、時には外線の電話にも出て対応し、ナースコールにも応える。手術室や検査室への送迎も何回もある。
次から次へと通常業務をこなす他に、緊急業務も飛び込んできてそれにも対応する。よく混乱しないなと感心するが、さすがに彼女もだんだん疲れが見えてきて、最初見せていた笑顔も見られなくなる。
わたしは患者として、また患者の家族としてしか病院業務を知らないけど、映画の初めからずっと彼女と一緒に看護師の仕事をこなしているような気になった。でも彼女の手早くテキパキこなす様子は、手際の悪いわたしとはテンポが合わず(実際に仕事してるわけじゃないのにオタオタしてしまった)それもあってとても疲れた。
そもそもこんな膨大な仕事を、ギリギリの人員でこなしていることが問題だ。映画の最後に看護師が足りないことがテロップで出るが、これを解消するには看護師の待遇改善しかないのではないか。看護師は体力が必要だし精神的にもタフでないと務まらない、とつくづく思った。
それなのに患者からは文句ばかり言われて報われない。それでも時々はホッとするふれあいの機会もある。またすぐ業務に戻らなけばならないので、ほんのひとときではあるが、それが息抜きになっているのだろう。フロリアのロッカーに患者からの手紙だろうか、感謝の言葉が貼り付けてあって、こういうちょっとしたことが、彼女の慰めと励みになっているんだなと思った。映画のラストの少しファンタジーっぽい画面は、フロリアに対するささやかなご褒美のような気がした。
映画「湯徳章ー私は誰なのかー」

映画「湯徳章ー私は誰なのかー」

映画「湯徳章ー私は誰なのかー」
黄銘正・連髴ィ/監督・プロデューサー・撮影 2024年 台湾

5/8 OttOにて鑑賞

湯徳章は「トゥン・テッチョン」と読む。映画の初めにわざわざテロップで「湯徳章(トゥン・テッチョン)は台湾語での読み方に統一しています」という断りがでた。ということは他の読み方もあるのか?とちょっと思った。

そして鑑賞後思ったことは、言語を含めてわたしは台湾のことを何も知らないのだということだった。特に台湾の歴史をきちんと知らないでいたことを痛感した。知らないながらわからないながらも、必死で映画に食らいついて、興奮し憤り安堵し感動した。ああ、きちんと勉強した後にもう一度見たい、と切実に思った。

台湾の台南市に湯徳章の名が冠せられた公園がある。かつてここには、日本統治時代は総督だった児玉源太郎の像が、日本の敗戦後には孫文の像が建っていたという。今はその孫文の後に建てられた湯徳章の胸像がある。通りにも彼の名前がついていたり、そんなに有名な人なのか、と思いきや、彼がどんな人だったかは知る人は少ないという。なぜ? 映画は彼の生涯を追っていく。

日本の植民地時代に、日本人の警官の父と台湾人の母との間に生まれた湯徳章は、最初父と同じく警官になるが、その後日本で弁護士資格を取り台湾で事務所を開く。日本の敗戦後、中国本土からの国民党政府が統治を担い、国民党政権と台湾民衆との対立から二二八事件が起こり、首謀者として逮捕され処刑された。処刑の場所が今彼の名前の公園になっている。

彼を知る手掛かりは、戸籍?とか当時の新聞や学校の通知表や官報(?)など、ほとんどが一次資料。当時は日本の植民地だったのでそれらも全て日本語だった。その資料の文字と、画面の横に出る資料の説明、画面の下方に出るナレーションの字幕、など情報がいっぱいで、それらをすべて読もうとすると、うっかりナレーション字幕を読み逃したりした。資料がなまじ日本語で読めるためつい読もうとしてしまう。集中するのが難しく、目をあちこち移動させるのに忙しくとても疲れた。新聞社の倉庫で1947年3月の新聞を見つけた時のスタッフの歓声が印象的だった。こうやって丹念に資料を見つけ出し読み解いていったのだなあ。映画関係者の仕事ぶりには頭が下がる。
彼を直接知る人の証言だが、これはかなり難航したよう。彼の息子さん(養子)をようやく見つけたけど、最初は口が重い。長い時間をかけて話してくれたが、この息子さんの様子といい、なぜ資料が残っていないのかは、映画を見ている間は気づかなかった。パンフレットやwebを検索してようやく、二二八事件とその後戒厳令が長く続いた台湾の歴史を知った。湯徳章の資料が残っていないこと、遺族の口が重いこと、その理由が台湾の歴史にあったことを知り、これは気軽に感想を述べるわけにはいかないと思った。またその歴史には日本の植民地政策が大きく関わっている。日本語で書かれた資料、流暢に日本語を話す彼の息子さんなど、日本の植民地政策がどれだけ強固になされたかがわかり、複雑な気持ちになる。

タイトルにある「私は誰なのか」は彼が終生問い続けたものだったようだ。彼の経歴を見ると何度も姓を変え、日本人の叔父と養子縁組もしていた(後に解消)。しかし逮捕され明らかに違法な酷い裁判で「日本人だ」と決めつけられた彼は、毅然と「自分は台湾人」と答える。冒頭のテロップにある通り、彼はやはり台湾人として生きたのだ。

終わり近くの言葉が印象的だった。うろ覚えだが

「樹木は歴史 建築は歴史 今この瞬間が歴史 わたしたちが歴史」

台湾の歴史をもっと勉強しなければと思う。
『ロッコク・キッチン』ーエッセイ集

『ロッコク・キッチン』ーエッセイ集

『ロッコク・キッチン』
川内有緒 ロッコク・キッチン・プロジェクト/編著  2024年

著者が2023年2月に福島県内のロッコク沿いに位置する市町村で暮らす人々に呼びかけ、食やキッチンにまつわるエッセイを募集した、そこから12編を収録したエッセイ集。

映画を見てちょっと不消化気味だったので、このエッセイ集を購入。なるほど、元々このエッセイがはじまりだったのか。映画で食について話してくれた人々のエッセイが載っていて、わたしが映画で見たかったことがここにあった。エッセイの他に監督の川内有緒の双葉町・大熊町滞在記や、共同監督三好大輔の撮影現場の話、写真家、プロデューサーの話もあって、映画の補完になってよかった。
映画「ロッコク・キッチン」

映画「ロッコク・キッチン」

映画「ロッコク・キッチン」
川内有緒+三好大輔/監督 2025年

4/27 OttOにて鑑賞

ロッコクとは東京から千葉・茨城・福島を経て、仙台市に至る国道6号線のこと。このロッコク沿いの一部の町は原発事故により長く帰還困難区域となっていた。通行制限されていたロッコクも2014年に一般車両、2022年に自転車や徒歩でも通行可能になる。この映画は2024年に監督2人がこのロッコクを何度も往復し、そこに暮らす人々を記録してきた映像。

「みんな、なに食べて、どう生きているんだろう?」というチラシの言葉から、もっといろいろな美味しそうな食べ物が出てくると期待していた、わたしはそういう能天気な観客だった。
考えてみれば原発事故からいまだ故郷に帰れない人々がいることは、ニュースで知っていたはずなのに、どこか他人事に感じていた。

遠くに見える原発の建物。その原発からの電気で生活していた首都圏に暮らしていながら、その地に暮らす人々に思いを巡らすことを怠っていたことを、申し訳ないと思う。

序盤「昨日何食べましたか?」という監督からの質問に答える人々。それぞれにドラマがあるがそこは割とあっさりしていて、その後は3人の人にフォーカスしていく。

1人目。インド出身のスワスティカ・ハルシュ・ジャジュさん。一般社団法人双葉観光地域研究協会に所属し双葉町の現在を知るツアーなどの企画・実施している。彼女のツアーでは建物の除染について説明があった。除染の方法は二つ。一つは水で洗浄、一つは解体。並んだ二つの建物のうち一方は除染され修復されている。それは歴史的な建物らしい。一方の普通の民家は避難寸前まで暮らしていたそのままの姿で残され、いずれ解体されるという。ここは辛かった。普通の人々が普通に暮らしていた家、それがまるで価値のないものかのように扱われるのか。
(解体については後の2人の話の中でも出てきた。何で俺の家が解体されるのか、と怒りと悔しさでいっぱいの声をあげる人。祖母の家が解体された跡地に本屋を開く青年)

2人目。東京在住の写真家中筋純さん。チェルノブイリも取材した彼は、原発事故後の町の変遷を記録し続けている。2023年、アートを通じた記憶の継承を目指す「おれたちの伝承館」(通称「おれ伝」)を開館する。「おれ伝」の作品の中には、震災後のあるスーパーの店内の様子が写されているもの、浪江町のメインストリートを2014年、2018年、2020年と同じ構図でストリートビュー風に写したものがあった。壊れたままの日常や除染と公費解体で建物が減っていっている様子が切ない。中でも迫力あったのが、東京方面から北海道を眺めた鳥瞰図。最初砂山かと思ったら、地勢図のようになっていた。そしてそこに赤い印で各所の原発が表されていた。福島、茨城、新潟、青森、北海道、日本にこんなに原発があるのかと改めて驚かされる。

3人目。大熊町で育ち小学6年で震災に遭い、避難して住居を転々とした後、11年ぶりに大熊町に帰ってきた武内優さん。彼は昼は板金加工の仕事で原発に通い、夜6時から9時まで解体された祖母の家の更地で本屋を開いている。「読書屋 息つぎ」という名の本屋は、ビニールハウスの骨組みに裸電球、材木の板を並べた本棚、という素朴というかそっけない作り。冬はとてつもなく寒そうだし、夏は虫が寄ってきそう。場所は暗くてわかりにくく、お客さん来るのか?と心配になる。でも朴訥な佇まいの武内さんの語る声と言葉は、何とも言えない味わいがある。詩人の雰囲気。この人が映画の冒頭のナレーションを担当していた。InstagramやTwitterでも発信している。

「おれ伝」には行けるかもしれないけど、この本屋にはとても行けない。車がないと無理だろうし。でも映画で知って以来SNSはチェックしている。

3人のそれぞれの言葉が心に残った。スワスティカさんが「インドも故郷、双葉町も故郷。住んでいるところが故郷だと思う」と言っていたが、昨今の外国人排斥の影響が彼女に及ばないことを願っている。
中筋さんは「日本に原発は要らないと思う」と答えていたけど、本当にそう思う。
武内さんが「町は家族」だと言っていたが、その家族、帰るべき家を突然奪われた理不尽さは、どこにぶつければいいのだろう。


被写体となった人々の存在感に圧倒された映画だった。
LINEの通知

LINEの通知

昨年1月頃からLINEの通知音が鳴らなくなった。アイコンに数字も付かなくなった。検索すると結構よくある事例らしい。いろいろやってみたけど直らない。アプリの強制終了を続けていると起こりやすいという記事もあった。えっアプリって使い終わったら終了させるのが普通じゃないの?LINEだけでなくどのアプリも、使い終わったらすぐ終了させていたけど、あれがダメなの?通知が来ないといちいちアプリ開いて確認しなくちゃならない。普段はまあ気づいたら確認するようにしていたけど、緊急の連絡の時はちょっと困った。それでもまあそんな事態はそれほど頻繁にはないので、一応LINEのアプリだけはなるべく終了しないようにして(他のアプリは今まで通りすぐ終了させている)、出来るだけマメに確認するようにしていた。

ところが昨日から急にまた通知音が鳴るようになった。数字も付いてる。別に何もいじってないのに?考えられることは前日にiOSのアップデートがあったことくらい。でも元通りになったのでとりあえずホッとした。
映画「黒の牛」

映画「黒の牛」

映画「黒の牛」
蔦哲一朗/監督・脚本・編集 2024年 日本=台湾=アメリカ

4/24 OttOにて鑑賞

こんな映画初めて。これはもう映画館でないと見られない。とても集中が続かないです。主演のリー・カンションの顔を正面からずっと見つめ続けたり、白いもやの向こうで彼がもがいているのを(たぶん餅を喉に詰まらせている)ずっと眺めていたり、白い画面が続いて続いて続いて‥とにかく根気よくずっと見つめ続けていた。わたしはこのリー・カンションは初めてみる俳優だったけど、娘は以前「郊遊 ピクニック」でやはり彼の顔をずっと長い間見つめ続けていたそうだ。そんな映画ばかりなのか? でもこれだけアップにずっと耐えられるってなかなかすごいな。

「十牛図」=禅僧の修業過程を象徴的に描いた十枚の絵と、その詩文・解説からなる一連の図像。
その「十牛図」から着想を得て制作された、圧倒的映像美で誘う、内なる宇宙と森羅万象をめぐる旅。ーパンフレットによるとそうなんですって。だからそうなんでしょう。もうそう思って見るしかないです。

ずっと白黒画面だったのに、ラストで急にカラーの大画面になって驚いた。そして居るのは牛ばかり。遠くでなんか爆発が起こってる。これってあの世なのかしら。あの爆発で人間社会は滅びましたって言ってるのかなあ。なんかわかったようなわからないような、不思議なものを見てきました。でもね、とても面白かったのですよ。もう一度くらい見たいなあ。

エンドロールでのキャストクレジット、リー・カンションの次が、牛の「ふくよ」だったの!田中泯より先に出たの!すごいわ、ふくよちゃん!
映画「私たちの話し方」

映画「私たちの話し方」

映画「私たちの話し方」
アダム・ウォン/監督 2024年 香港 広東語・香港手話

4/17 OttOにて鑑賞

異なる環境に育った3人の聾者の若者。手話だけを使うジーソン、ジーソンの幼馴染で口語と手話の両方を使うアラン、人工内耳のアンバサダーを務め口語のみを使うソフィー。3人が出会いその交流の中でそれぞれの生き方に変化が生まれてくる。

ものすごく情報量が多くさまざまな問題を含んでいるのに、それが深刻で重苦しいものにならず、爽やかで気持ちの良い映画だった。

最初にジーソンとアランが通った頃の香港の聾学校が映るが、2005年当時は口話教育を強制され手話は禁止されていた。(これは日本も長くそうだった)ヒステリックに手話を禁じる教師をよそに、子どもたちは割と自由に手話で会話していて、あまり悲壮感がない。教師に教室の外の廊下で離れて立たされた二人だけど、手話で会話できるのであまり意味がないのが面白かった。アランはこの後人工内耳を装着する予定なのだけど、そうなっても手話は使い続けると約束する。この場面はとてもいい。

この後2010年には国際ろう教育会議の声明「ろう教育はすべての伝達方法を受け入れ、手話を復権させる」とテロップで説明が出た。香港のろう学校では、今は手話と口話の両方で教育をしているそうだ。手話も口話もどちらでも本人に適したものを使う、その選択肢があることがもっとも重要なのだと思う。

家族全員ろう者で手話のみを使うジーソンは、ろう者であることや手話に誇りを持っている。そんないつも活発で明るいジーソンでも、自分の夢の実現にろう者であるが故の壁が立ち塞がった時は、怒りと悲しみで落ち込む。

アランの家族はたぶん聴者だろう。しかしろう学校に通わせたり、ジーソンとの付き合いも自然と受け入れる。アランが屈託なく聴者社会に適応出来ているのも、本人の性格と努力もあるが、そんな家族の姿勢があるからではないかと思う。また人工内耳も常に最新のものを装着できる経済的余裕があることも大きい。(ソフィーの人工内耳がずいぶん古いことに驚いていた)彼も一度人工内耳の外部装置(補聴器みたいな形)を外す場面がある。しばし無音の状態にいた彼は、やがてまた外部装置をつけて音の世界に帰る。

ソフィーは3歳で聴力を失い人工内耳を装着した。母親はたぶんシングルマザーなのではないかと思う。人工内耳も支援団体の補助で装着していたし(だからアランのように最新のものではない)、とにかく聴者と同じように娘を「普通」に育てようと必死だ。気持ちはわかる。娘を聴者社会から弾かれた存在にしたくない、ちゃんと普通の生活ができるようにしたいという強い思い。それは娘のためでもあるが、同時に娘のろう者としてのアイデンティティーを奪うことになる。絶対にろう者と触れ合うことは許さず、徹底して読唇と口話の訓練を課す。その母親の期待に応えようと厳しい訓練を耐え抜き、聴者の世界で大学も卒業し大企業に就職もできた。だがアランとジーソンと知り合い、ジーソンから手話を習い、ろうのコミュニティと触れ合うことで次第に今までの生き方に迷いが出てくる。人工内耳があってもクリアに聞こえるわけではない。雑音は混じるし、正確に聞き取るためには読唇が必要になる。だから学友や同僚と一緒にいても、完全にその場に溶け込めてはいない、常にどこか不安で孤独を感じている。そんな彼女だが、街中で手話で話す親子と同席して自分も手話で話す時、ジーソンのろうの仲間たちといる時、とても明るい表情を見せる。母親に「(手話なんか覚えたら)ろう者になってしまう!」と言われた時「私はろう者よ!」と言い返す。
しかし聴者の世界でも孤独な彼女は、人工内耳のアンバサダーをしたことで、ろう者のコミュニティからも「エセろう者」と非難され傷つく。これは仕方ないとはいえ彼女にとってはとても辛かったろう。
そして夜の街に向かって彼女は手話で独白する。「普通を目指してやってきたけど、普通のハードルは高い。選べるなら私は静寂を選びたい」
母親は彼女の選択を認めながら「でもあなたと話したい」と述べる。声で会話したいという母親の希望も切ない。(以前読んだ漫画『わが指のオーケストラ』でろうの子どもに手話でなく口話を選んだ母親が「我が子からお母さんと呼ばれたいんです」と切実な思いを口にする場面があったのを思い出した)2人が手話をしながら口語でも話す場面はとても良かった。

正解は一つだけではなく、その人にあったやり方を選べばいい。その選択肢が自然にある社会であってほしい。3人はそれぞれの道に進む。3人のこれからに幸あれと願う。

とにかくいっぱい思うこと伝えたいことがあって、とても言葉が足りない。今はとりあえずこれだけしか書けなかった。できればまた見たいし、多くの人に見てほしい映画だった。
『日本国憲法』

『日本国憲法』

『日本国憲法』
齋藤陽道/写真 港の人/発行
2022年(右)2026年(左)

日本国憲法の全文は、恥ずかしながらしっかり読んだことはなかった。2022年の初版で初めて真面目に読んだ。驚いた。齋藤さんの写真があることで、文字だけで読むよりしっかり頭に入ってくる。子どもや高齢者や障害のある方など、何もなき普通の人々(むしろ弱い立場の人々)の笑顔が並んでいる。そうだ、こういう人々のこの笑顔この生活を守るためにこそ、この憲法はあるんだということが、ものすごく素直に伝わってくる。
今回の新版では写真の数が増え、より一層その思いが強くなる。

たまたまだが、この新版は今朝郵便受けに入っていた。新聞を取りに行って一緒に入っているのを見つけた。こんなに早朝に配達されるわけがないので、たぶん昨日配達されたのに気づかなかったのだろう。偶然とはいえ、まさに憲法記念日のこの日に届いたことが、意味のあることに思えてならない。襟を正してしっかり読もうと思う。
いろいろ悩ましい

いろいろ悩ましい

5月なのになんでこんなに寒いのか。雨もかなり激しく降ってて、今日は一日中家の中に閉じこもっていた。本当はやることが山盛りでぼんやりしてる暇などないのに、天候のせいかどうも気力がわいてこない。

先月見た映画の感想がたまっているのだが、今月は読書会のレポーターなのでそちらのほうに気持ちが向いてしまっている。でも本の手配が遅れてしまい、レジュメの準備が進まない。困ったな。

今月も見たい映画がいっぱいで、本来ならうきうきするところなのに、いくつかは見るのを諦めなくてはならなくなった。仕方ない、こんな時もあるさ。

今日こんなに寒かったのに(暖房入れようかと思ったほど)明日は夏日ですと?いいかげんにして下さいよ、もう。

ご近所さんからいただいたミヤコワスレ。もう2週間にもなるけどまだちゃんと咲いている。