朝洗濯物干そうとしたけど、風が強かったので中干しのままにした。その後風はどんどん強くなり、音はするし物干し竿がガタガタ揺れていた。
午後2時から4時まで読書会だったので、風の中歩いて行った。会場まで15分の道のり、行きは気温7℃で体感温度マイナス2℃、帰りはさらに寒く気温4℃で体感温度マイナス4℃だった。向かい風の中帰宅した。途中まで一緒だったメンバーと風に立ち向かいながら歩いた。2人とも昨今の政治社会世界情勢に憤っていたから、「ともかくしっかり生き抜いていこう」と話しながら。無事で生きていくことがせめてもの抵抗。
昨日の絵手紙サークルでは、冬らしいものというお題だったので、かぶを描いた。葉付きなのでいつものハガキではなく、半紙を縦半分にして描いた。ヒョロとした根っこがおもしろくて、そこを描こうと気を取られてかぶが小さくなってしまった。もっと丸く大きく描こうとしたのになあ。考えすぎると小さくまとまってしまうので、思い切りが肝心。
スマホは画面が小さくて読みにくいし、PCは古くなって見られないwebページが多くなったしで、1番使ってるのがタブレット(iPad)。ワイヤースタンドを使っていたけど、そのまま机に置くと視線が低くなり首に負担がかかるので、空き箱を台にしてその上に置いていた。とりあえずそれで使っていたが、今回思い切って書見台を買ってみた。元々は本を読むためのものだけど、iPadを置いてみたらちょうどよかった。安定もいいし当分これでやっていこう。本来の書見台として使う時はページ押さえを使うけど、あまり厚い本には無理そう。
「ストレイト・ストーリー」4Kリマスター版
デヴィッド・リンチ/監督 1999年 アメリカ
1/17 OttO にて鑑賞
ずっと見たかった映画。今月WOWOWでも放送があり、念のために録画したのだが、でも映画館でやるなら絶対そっちで見たかった。念願かなって見られた。入場者プレゼントの「アナザーデザインチラシ」ももらえた。右側の黒っぽいチラシ。
73歳のアルヴィン・ストレイトが、10年仲違いしたままの兄に会いに行くために、560kmの道のりを時速8kmのトラクターでゆっくり進んで行く。ストレイトは彼の名前であると共に、彼が目的に向かって愚直にまっすぐ進んで行くことも表しているのかと思った。進むごとにいろいろな景色が現れ、見ていて自分も一緒に旅をしている気分になる。その道中でのさまざまな人々との出会いとふれあいは、それほど深い関わりではないが、心にあたたかく沁み入ってくる。人々の踏み込み過ぎない距離感が心地いい。それでも進むうちに彼の事情がだんだんわかってくる。余計な説明がなくシンプルな作りなのに、多くのものを受け取れる。ものすごく撮り方が上手いんだなあと思った。主演のリチャード・ファーンズワースはじめ、俳優がみんな素晴らしい。
とにかく映像、音楽、俳優、すべてがよかった。いい映画を見られて幸せだった。
「名無しの子」
竹内亮/監督 2025年 日中合作ドキュメンタリー映画
1/16 OttO にて鑑賞
日中共同取材チームが100人以上の残留孤児とその家族を2年にわたって徹底取材したドキュメンタリー。
日中合作だからか字幕が日本語と中国語両方出ているのは良かった。そして監督が流暢に中国語を話せるので、取材相手と通訳を介せず話せるのがとても良かったと思う。日本語が分からず辛酸を舐めてきた中国残留孤児の方たちは、中国語で気持ちを話せる、聴いてもらえるということでほっとして、本音を素直に話せるのではないだろうか。「壁の外側と内側」でも思ったが、言葉の壁がないというのは強みだ。
映画のはじめの方で「残留孤児」について若者たちに尋ねていたが、その言葉を聞いたことのある人は皆無だった。最新の教科書にも取り上げられていないか、取り上げられてもわずか一行だという。驚いた。言葉くらいは聞いたことあると思っていたので。
中国残留孤児については1980年代に始まった「残留孤児訪日調査団」のニュースで、テレビで肉親に呼びかける姿を毎年目にしていた。しかしいつのまにかその話題は聞かなくなり、帰国した孤児たちのその後についての報道が時折あるだけになった。孤児たちのその後は概ねあまり幸せそうではなく、気の毒に思うと共に無理に帰国しなくても良かったんじゃないか、などと無責任に思っていた。テレビで見る孤児たちはもう40代50代で、中国語で呼びかける姿に、日本人というより中国人を見るような気になっていた。彼らがどうしてそうなったか、その理由について深く考えることもせずにいた事を恥ずかしく思う。
そもそものはじまり。日本が柳条湖事件から満州を攻撃し住民を殺戮し占領し、満州国を建国した、とはっきり言っている。ここでこの映画は信用できると思った。映画の中で孤児たちが中国を訪問し、舞台で芝居を上演していたが、その中でも「ああ、そうだ、私たちが彼らの土地を奪ったのだ。だからそこから去らなくてはいけない」ときちんと日本の加害について述べている。
貧しい農民を大量に満州に送り込み、日本人村が各地に出来た。その一方で土地を追われた中国の住民がいた事。その姿に現在のイスラエルに追われるパレスチナの人々が重なった。同じことがおきている。
しかし敗戦で事態は一変する。関東軍は住民を守るどころか真っ先に逃げ出し、残された住民は必死に逃げるが、逃げ足の遅い女子どもは足手まといになると振り捨てられる。文字通り切り捨てられる女性もいれば、自ら身を投げる女性もいた。置いておかれた子どもを優しく保護してくれたのが中国人養父母だった。極貧の中で、それでも優しく育ててくれた養父母に対する感謝の言葉は、どの孤児からも聞かれた。帰国を果たした後も、何度も訪中しお墓参りを欠かさない人もいた。
監督が長野県にある「満蒙開拓平和記念館」を訪ねた時、そこで見せられた2つの文書に愕然とした。
「居留民は出来る限り定着の方針を執る」
「満鮮に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとす」
要するに国籍捨ててもかまわないから出来るだけ現地に留まれ、日本に帰ってくるな、ということ。国内の住民でさえ生きていくのが大変で困窮している中に、大勢で帰ってきてもらっても困る、ということだろう。国から移民として送り込まれ、その結果国から棄民された。なんという残酷なことだろう。
1958年の最後の引き上げ船に間に合い、若いうちに帰って来れた人はまだいい。日本語も習得できた。しかしその後1980年代まで帰国が叶わなかった多くの孤児たちは、年齢的に日本語の習得もままならず仕事にも就けず生活は困難である。生活保護を受ける人も多く、今度はそれに対して批判される。中国では日本人だといじめられ、日本では今度は中国人だと理不尽な扱いを受ける。どちらにいても幸せではない。
映画はこの後残留孤児2世の話に移る。この移行がスムーズだった。1人暮らしの高齢の孤児をディサービスに迎えに来た女性が2世だった。残留孤児の父親と一緒に来日し、その父親と高齢になった孤児たちのための介護施設を立ち上げたのだ。入居者の中には日本の介護施設に馴染めず自殺未遂を起こしてこちらに来た人もいた。自宅を改装し事業を始めた2世の女性。彼女も日本の高校で壮絶ないじめにあったという。中国にいる時は友人も多く明るい性格だったという。1世だけでなく2世も差別を受けたのだ。
その差別に抗うために暴力に走った2世も取材していた。「怒羅権(ドラゴン)」という暴走族か暴力団か?と思う怖いグループのボスだけど、彼にとっては居場所を作るためだったという。彼も中国にいた時は日本人の子ということでいじめられていて、日本に行けばいじめられずにすむと思っていたのに、日本でもやはりいじめられたのだそう。やりきれないけど、普通に刑務所に6回入ったと言うのでビビった。
そしてさらに3世の話も。介護施設運営の2世女性の高校2年の息子さん。中国語は聞くのは出来るが、喋れないという。人には自身を「ハーフ」か「日本人」と紹介するという。母親である2世は北京大学に留学してもらいたいと思っているけど、本人は拒否している。(姉はすでに留学しているという)それでも中国の母親の実家を一緒に訪ねたり、施設に顔を出したり、母親がもし死んだら自分があとを継ぐとまで言っている。高校生男子にしては親との関係がとてもいいなと思う。
彼ら残留孤児の問題は今も解決していない。国を相手に起こした訴訟にもほとんど負けたそうだ。彼らを生んだ責任は国にあるのに、彼らの苦難に寄り添う姿勢はない。満蒙開拓平和記念館の運営さえ民間だ。孤児たちの今後が、少しでも心安らかなものであることを、祈らずにはいられない。
「ひとつの机、ふたつの制服」
ジュアン・ジンシェン(荘景樂)/監督 2024年 台湾
1/9 OttOにて鑑賞
1997年台北、名門女子高校の受験に失敗し、母親の強引な勧めで不本意ながら同校の夜間部に入学した小愛は、机友(同じ教室で同じ机を使う)の全日制の敏敏(ミンミン)と仲良くなる。自分が憧れた全日制生徒で美人で成績優秀な敏敏が、夜間部の自分と友人になってくれたことはどれほど嬉しかったろうか。制服を交換したり、一緒に学校を抜け出したり、ライブハウスに行ったり、楽しい学校生活を送る。そりゃ浮かれちゃうし、見栄くらい張りたくなる。小愛の小さな見栄と嘘はいじらしい。ちょっと学業がおろそかになってるけど。
同じ男の子路克(ルー・クー)を好きになり、敏敏が嫉妬から小愛に軽く意地悪した気持ちも分かる。でもその後の小愛がさらに傷つく姿を見て、後ろめたさと小愛を気遣う表情を見ると、敏敏自身も傷ついている。この子もとても良い子。路克との思い出の卓球場で1人ピンポン玉を打ち返し続け、ついには床に倒れ号泣する小愛の姿が辛かった。
敏敏に借りていた全日制の制服を返したとき、メモで「違う世界を見せてくれてありがとう」と告げる。楽しい時間が終わってしまった。
「世界が違う」という言葉は悲しいけど、全日制と夜間部の違いだけでなく、家庭事情も違う。シングルマザーの母親の徹底した節約生活にウンザリしている小愛。その母親との親子喧嘩がとても良かった。こういう時母親も感情的になり、泣き叫んだり引っ叩いたり捨て台詞で出て行ったりする展開になりがちだけど、そうはならない。母親は怒鳴りながらもしっかり自分の考えを告げる。小愛が批判した「こんな生活が幸せなの?」に「幸せだ。この生活が将来の安心につながるから。今わたしが死んだらどうなる?年老いた私が病気になったら?この生活のおかげで貯金も出来る」動じない逞しい姿に惚れ惚れする。夫が借金を残して急死し、2人の娘を女手一つで育てる苦労は並大抵ではない。子どもたちには見せないが、夜にため息をつく姿も描かれている。敏敏との時もこの母親との喧嘩も、もっと愁嘆場になりそうな場面なのに、そうはならないのがとてもいい。
1997年の入学から1999年の台湾大地震を経て、大学の合格発表までの青春物語。よくある話といえばそうだけど、とても気持ちいい作品だった。
全日制と夜間部、ずいぶん日本と違うと思ったが、パンフレットに説明があった。台湾でも夜間部は日本と同じ、昼間働いている人のためにある。ただある一時期にだけ、全日制に落ちた生徒が、より良い大学に進学するために、他の全日制でなくあえて名門校の夜間部に通うことが多かったそうだ。小愛の母親が夜間部を強引に勧めたのもこの理由だった。それだけ大学受験競争が過熱していたのだろう。今は本来の目的から逸脱しているということで、夜間部を廃止した学校もあるそうだ。
全日制の生徒であからさまに夜間部を見下している子もいたし、小愛自身「夜間部なんて恥ずかしい」と言っていたが、小愛の劣等感は無理もない。
本来の目的といえば、小愛の同級生于澄月は一旦就職した後やっぱり学業が必要と思い20歳で入学している。この澄月ともっと仲良くなればいいのにと思っていたのだけど、終盤で敏敏、路克、と一緒に小愛の誕生日を祝っていたので、いい仲間になったんだと嬉しかった。
映画「私たちが光と想うすべて」を見て、インドの言語について思い出したことがあった。
2014年10月に見たインド映画2本「マダム・イン・ニューヨーク」「めぐり逢わせのお弁当」でも言語について不思議に思ったのだ。
「マダム・イン・ニューヨーク」では娘の学校の教師と話す場面で、教師が「自分は英語しか分からない(ヒンズー語はわからない)」と言ったのだ。驚いた。ヒンズー語が公用語なのに、教師が分からないって?この時までわたしはヒンズー語は全国民が話せて、一部のエリートが英語を話せるのだろうと思っていた。(もちろん生活のために片言の英語を話す国民もいるだろうが)
「めぐり逢わせのお弁当」では間違って届けられたお弁当が縁で、主人公の男女はお弁当に添えて手紙を送り合う。男性のサージャンが住んでいる地区では英語を話していた。この時インドでも地区によって英語が主な言語なんだと驚いた。女性のイラは明らかに英語ではない言語を話していた。すると2人は何語で手紙を送り合っているのだろう?と疑問に思ったのだった。サージャンが職場で話していたのは何語だったかよく覚えていないけど、英語じゃなかったような気がするので、サージャンは英語もヒンズー語も話せるのだろう、手紙はヒンズー語で書いているのだろうと思っていた。
そしてパンフレットを見直して、舞台がムンバイだったのに気がついた。あー、ここもムンバイだったのか!
この「めぐり逢わせのお弁当」はとても好きな映画で、今でも懐かしく思い出す。もう一度見たい映画。
インドなのでヒンズー語、という思い込みがあったので驚いたのだけど、そういえばインド映画ではヒンズー語の映画の他に、タミル語、テグル語の映画があることを最近知った。インドが多言語多民族の国だということをあらためて思い知った。
「私たちが光と想うすべて」
パヤル・カパーリヤー監督 2024年 フランス インド オランダ ルクセンブルク
1/5 OttOにて鑑賞
ああ、いい映画を見たな、という思いが後からじわじわとわいてくる。
インドの大都市ムンバイ、最初にそこに暮らす人々の様々な声が聞こえてきて、一瞬ドキュメンタリーかなと思った。実際に街の人々の声らしい。その中に「みんな親戚の中で誰か一人はムンバイに居る」という言葉があり、ムンバイの活気は地方からの労働者が支えている現状がわかる。
そのムンバイに地方から出てきて働いている3人の女性、同じ病院で働く看護師のプラバとアヌと食堂のパルヴァティ。彼女たちの日常を描きながら、それぞれが抱える事情が次第に明らかになってくると、何とも言えない息苦しさを覚える。
プラバは親の勧めるままに結婚した夫が、結婚後すぐにドイツに仕事に行きもうしばらく連絡もない。これで結婚していると言えるのか?同じ病院の医師から思いを寄せられているが、既婚者の身ではその思いに応えることもできない。さっさと夫に見切りをつければいいのにと思うが、たぶん家族の許しなく勝手は出来ないのだろう。きちんとした職につきしっかり自立しているのに、自分自身についての重大な決定権はないのだ。
アヌには親に内緒のイスラム教徒の恋人がいる。母親からはしょっちゅうお見合い相手の写真が送られてくるが無視している。しかしふたりにこの先の展望があるのか?もし結婚するとしたらどちらかが改宗しなければならないのでは?恋人も今のところ家族には隠しているようだし、このことが知られたら大変な事になるのでは? 下手すれば名誉殺人の危険だってあるのに。恋人が家族の留守に彼女を家に呼ぶ時、周囲に合わせるためにヒジャブ(ブルカ?)を着て来い、と言った時、なんだこの男はと思った。
パルヴァティはビル建設のため住んでいる住居を追い出されそうになっている。亡くなった夫が住居についての正式な書類を彼女に残しておかなかったため(そもそもそんなものがあったのか、彼女には何も知らせずにいたのか)居住権を訴えようにも書類が見つからず、弁護士もお手上げだ。長年そこに住んでいたという証明どころか、彼女が彼女である証明すら出来ないという。
彼女たちは自立して真面目に生活しているのに自由ではない。家族の束縛、カースト制、経済格差、宗教の問題等々が彼女たちを縛りつける。インド特有のものもあるが、家父長制やジェンダー差別など現代のわたしたちに共通することでもある。工事現場の看板に石を投げて鬱憤を晴らす場面があるが、その看板に「階級は特権です。豊かな暮らしを」と書いてあるのにギョっとした。
このままやるせない気持ちのまま終わるのかと思ったら、3人でパルバティの故郷の村に行く終盤で雰囲気が変わる。都会の喧騒を離れて海や森や洞窟などの自然にふれ、見ていても開放的な気分になる。パルヴァティは故郷の家に住み仕事を得る。プラバとアヌはそれぞれ一歩を踏み出す。根本的な問題は解決していないが心の解放はある。夜の海辺の店先で(日本の海の家みたいな作り)光に包まれながら海を見つめる3人(もう1人いるけど)のラストシーンは美しい。
見た直後よりも後からいろいろ思うところが湧いてきて、長く心に残る映画だった。
パンフレットを読んで初めてプラバとアヌが話しているのが、マラヤーラム語だということがわかった。インドは公用語はヒンズー語であるけど、憲法で正式に22 言語が使用言語として認定され、各州の公用語として使用されている。
プラバに思いを告白した医師が、今の病院を辞める理由の一つに「言葉もよくわからない」と言い、プラバが「ヒンズー語は難しくない」と慰める場面があったけど、彼も母語がヒンズー語ではなかったのか。ムンバイの公用語はヒンズー語。冒頭の人々の声もたぶん様々な言語が飛び交っているのだろう。
アヌがプラバをお姉さんと呼ぶ言葉、正確な発音はわからないけど「ティティ」のように聞こえた。以前ネパールにいた時、ネパール語で姉は「ディディ」だったので、ちょっと似てるなと思った。
病院の看護師の制服がアヌとプラバで違っていたのが不思議だった。アヌは普通の事務服みたいでプラバはサリーだった。役職の違いかなと思ったけどどうなのだろう。
『いま、日本は戦争をしているー太平洋戦争のときの子どもたちー』
堀川理万子/絵と文 小峰書店 2025年
作者は太平洋戦争の時代に子どもだった17人から、当時の様子を聞き取り、それをもとに絵と文章にした。それぞれの人から「これでいい」と言ってもらえるまで、何度も何度も手を入れたという。話を聞いた人たちの居住地は北海道から沖縄までの日本各地だけでなく、上海、満州、樺太という海外の地まで及ぶ。その思い出の鮮明さに驚く。ひとつひとつは今まで見聞きしてきた事と大きく異なるものではない。しかしあの時代を実際に生活していた子どもの視線からの様子、それが日本全土を網羅して描かれいる事で、国をあげての戦争だったのだ、それが日常としてある生活だったのだということがよくわかる。高齢者が多い中、この本の完成を待たずに亡くなられた方も何人かおられたという。平和が崩れて世界が戦争へ進むかもしれない不安を抱える今この時に、よくこの作品を世に出してくれたと感謝したい。何度でも何度でも、戦争は二度としてはならないと、強く強く訴え続けていかなければならない。
「まなざしの川をわたる』
齋藤陽道/詩 もりやままなみ/写真 株式会社せかいはことば 2025年
あとがきに
ーこの詩集で成したいことは、単に「ろう者の物語」を描くことではなく、「眼の喜びを糧として生きる者が、世界をどう感じ、どう生きのびるのか」という問いに向き合うことだったー
とある。
陽道さんの文章にはこれまでも触れて来ていたが詩は初めて。これまで繰り返し書かれていた事ではあるけど、詩の形だと著者の思いがより強く伝わってくる気がする。
そこにまなみさんの写真。まなみさんの写真はいつも物凄い迫力で圧倒される。これもあとがきに「もりやままなみの写真は、闇夜の底でけろけろと鳴くカエルの眼にうつる月光のような底知れなさがある」とあるがその通り。まなみさんの作品をもっと見たいと思う。
陽道さんの詩にまなみさんの写真、そして版元も「せかいはことば社」という自社刊行本。さらに予約特典として、まなみさんの書き下ろしエッセイもついてきた。おふたりの活動をこれからも応援していきたい。