日々の雑記
役員会

役員会

毎度のことながら、役員会が終わると動けなくなる。ただ聞いているだけなのに、気を張っているからだろうか。昨日はいつもより時間が長かったせいもある。それでも、どうしてこう毎回毎回ダウンしてしまうのか、体力の無さがいやになる。とても常任役員など引き受けられない。
夕食までに少しお腹に入れて布団に転がる。うとうとしたらしく、自分のいびきに驚いて目が覚める。喉の痛みと寒気を感じたので市販の風邪薬を飲む。夕飯食べずに寝ようかと思ったが、どうせ着替えたり歯を磨かなきゃならないし、起きたついでに少し食べる。風邪薬が効いたのか、ちゃんとご飯食べたのがよかったのか、その後はずいぶん体調が回復した。

睡眠と食事はやっぱり大事。

庭の水仙がだいぶ育ってきた。パンジーを植える時避けたつもりだったが、うっかり見当を誤ってギリギリになってしまった。来年は位置をもっと考えよう。
『死者の書』いろいろ

『死者の書』いろいろ

長岡良子『ナイルのほとりの物語』の2巻にあるツタンカーメンの話のタイトルが「死者の書」で、はじまり方(死者が眠りから覚めていく)が、折口信夫の『死者の書』によく似ている。長岡さんは『葦の原幻想』の最後にも『死者の書』について ”世の中にはこーいう小説もあったのか、と私の目をみひらかせてくれた名著“ と書いている。

『死者の書』折口信夫・著 中公文庫 1974年 

死者が目覚めていく冒頭にものすごい衝撃をうけた。さらに音の表現がすごい。ぞっとする。

「した した した」水の垂れる音。
「こう こう こう」魂呼ばいの声。

また読んでいるうちにこれは時系列通りではないな、とわかってくる。藤原南家の郎女が失踪した方が早いのだ。話の流れを掴むまで苦労したけど、実は何が起きていたのか今だにはっきり理解できないけど、雰囲気だけで充分だと感じられた。

その後『初稿 死者の書』が2004年に刊行された。
それを読むと冒頭が違った。だいぶ各章の順番が入れ替わっていた。初稿の方が話としてはわかりやすい。けれど、やはりあの死者の目覚めの冒頭が与える衝撃に勝るものはないと思う。


DVD「死者の書」川本喜八郎監督 2007年

2006年に公開された人形アニメーション映画。人形でよかった!これが実写なら生々しすぎるところ、人形のおかげで超自然というかどこか浮世離れした不思議な世界が感じられる。堀辰雄が『死者の書』を評して「あれだけは古代を息吹している」と言ったそうだけど、まさにそれ。


漫画『死者の書』上下 折口信夫・原作 近藤ようこ・著 KADOKAWA 2015〜2016年

近藤ようこの漫画は現代ものしか知らなかったけど、これはとてもよかった。彼女の単純なすっきりした線で描かれる絵は、この世界にぴったりで、くどくなく、あっさりしすぎず、神秘的。彼女の絵で読めてよかった。そして白状すれば、この作品を読んで初めて「死者の書」が理解出来た気がする。

上巻あとがきに
ー目指しているのは、折口信夫を全く知らない人のための「死者の書・鑑賞の手引き」です。原作を読んで、私の解釈は間違っているというような指摘をされるのこそが本望ですー
とある。

いえいえ、とても優れた手引き書でした。ありがとうございました。
なんらかの桜

なんらかの桜

市内ではカワヅザクラとカンヒザクラが咲いている。ソメイヨシノはまだだけど、いつも行く河川敷公園に、この時期ソメイヨシノより早く咲く桜がある。正式な名前がわからないので、娘と「あの早咲きの桜」とか呼んでる。

この「なんらかの桜」は今年も可愛いく咲いていた。

月末には桜祭りがありソメイヨシノが満開に咲き誇る。その頃にはこの桜は散ってしまうので、あまり人目をひかないのだけれど、わたしたちはキミのこと見てるよ。いつもかわいいね。ありがとう。
思い違い

思い違い

わりと最近まで間違えて覚えていた名前がある。

カレル・チャペック
ヤヌシュ・コルチャック
マキシミリアノ・コルベ神父

この3人をごっちゃにしていた。
なぜ間違えたのか。チャペックとコルチャックはたぶん音の響きで混同してしまったのだろう。
コルベ神父のことは、昔遠藤周作の『女の一生』で強制収容所で身代わりで亡くなった話を読んで印象に残っていた。そのコルベ神父とコルチャックを混同したのは、コルチャックもまた収容所で亡くなっていることを知ったから。名前も「コル」までは同じだから余計に思い込んでしまった。

思い込みって怖い。チャペックをちゃんと読もうとして著作など調べていて、どうもコルチャックとは違うということはわかったけど、まだコルチャックとコルベ神父は混同していた。その時にきちんと調べていたらもっと早く間違いに気づいたのに、労力を惜しんではいけないな。

チャペック『長い長いお医者さんの話』はずっと積読本のまま。早く読まなくちゃ。

コルチャック『子どものための美しい国』は図書館にあるので、いつか読みたい。


もうひとつ
ディーノ・ブッツァーティとジャンニ・ロダーリも一時期混同していた。まるで違う名前なのに…。
ブッツァーティは先に『七階』『待っていたのは』というとてつもなくいや〜な怖い話を読んでいたので、児童書で見つけた時はびっくりした。それでどうもあのブッツァーティとは違う人だと思い込んだらしく、じゃああの人は誰だ?となってなぜかジャンニ・ロダーリの名が頭に浮かんで、そこからしばらく2人を混同していた。
昨年ブッツァーティのデビュー作が児童書だったことを知り、あらためて著作を調べてやはりあの「七階」は彼だったのかとわかった。
ロダーリは『チポリーノの冒険』の作者でした、ごめんなさい。『チポリーノの冒険』も昨年読んだけど、びっくりするほどおもしろかった。

思い込みはよくない。疑問に思ったら億劫がらずまず調べよう。
『ナイルのほとりの物語』 アクナトン関連

『ナイルのほとりの物語』 アクナトン関連

『ナイルのほとりの物語』全11巻 長岡良子・著 秋田書店ボニータコミックス 1993〜1998年

全11巻のうちアクナトンに関連した話は2巻、3巻、5〜7巻にある。

2巻 VOL.5「死者の書」
死の世界で目覚めた少年王ツゥトが、生前を思い出す形で話が進む。幼い時にアケト・アトンでアクナトン一家と暮らした輝かしい日々。アクナトンの死でアメン神官たちにかつがれテーベに戻り即位する。アトンは禁忌となり人々の記憶から消された。成長した彼はアトン神を復活させようとしてアメン神団に暗殺される。
彼ーツゥト・アンク・アメンがツタンカーメンであり、アトンという神を巡ってこんなことがあったのを初めて知った。

3巻VOL.9「エクソダス」
エクソダス=旧約聖書の出エジプト記。モーセがヘブライ人を連れてエジプトを脱出するまでの話を、アトン神(太陽神)に絡めて描いている。アトンとアクナトンについてモーセが知る場面で、「死者の書」で少し触れられていた顛末がわかった。多神教のエジプトにとって唯一神アトンを奉じ、愛と平等を説いたアクナトンは異端の王として忌避されアトンは封印された。いずれアメン神の祭司長にと期待されていながらアトンの教えに惹かれるモーセ。後世そのモーセの物語を聞く子どもの中にイエスがいる!ここからキリスト教に通じていくのか?

作者は「モーセの教え“法の下には何人も平等である”はナザレ人イエスに受け継がれ現在に生きています」と書いている。
しかし約束の地カナンが今のパレスチナ周辺だと思うと、なんだか複雑な気持ちになる。


5〜7巻VOL.13「黄金の地平」
ここでようやくアトンとアクナトンの話になる。主人公は「エクソダス」でモーセにアトンの護符を渡す老人アイザック。若き日の彼が友人ホレムヘブとカエムワセトと共に、夜明けの太陽に祈る少年アクナトンと出会う場面が美しい。アイザック自身の出自も交え、『アクナーテン』と同じように、アクナトンの宗教改革が崩れさるさまが描かれて痛ましい。

それまでの名前アメンホテプ(アメンは満足す)を、アトンを唯一の神とするため改名したのが
アクナトン=アクン・アトン=アトン神の栄光
(アク・エン・アトン=アトンを喜ばす者とも)

名前の意味がわかるのは楽しい。

ツタンカーメンが『アクナーテン』ではツタンカーテンだったのは、当時はアテン神を信仰し
ツゥト・アンク・アテンだったから。

『アクナーテン』の解説で吉村作治が「西欧におけるアクナーテン王の人気はすこぶる高い」と書いてあったが、やはりキリスト教に通じるものがあるからなのだろうか。アクナトンが報われたみたいで嬉しい。
アトン神とアクナトンについて初めて知ったのがこの作品だった。思い出深いとても好きな作品。
『アクナーテン』クリスティの戯曲

『アクナーテン』クリスティの戯曲

『アクナーテン』アガサ・クリスティー・著 中村妙子・訳 早川クリスティー文庫 2004年

早川クリスティー文庫の一覧に『アクナーテン』という作品を見つけ驚いた。え?アクナトンのこと?クリスティにこんな作品あったのか!戯曲らしいがどんなものかと思わず買ってしまった。
解説が吉村作治で、それによるとクリスティ自身この作品を気に入っていたという。作品が書かれたのが1937年で、出版されたのが晩年の1973年(1976年死去)。気に入っていたのに出版までずいぶんかかったのだなあ。さらに日本での翻訳が2004年。全然知らなかったので、この機会に読めてよかった。

戯曲なのと、アクナトンについては多少知ってるせいで、わりとすらすら読めた。
純粋で繊細な若き王がひたすら自分の理想を追い求め、その高潔さゆえ民や臣下から離反され、狡猾なアメン神官とのたたかいに敗れ去る。人々の幸せのために愛と平等を説いたのに、その人々に理解されないむなしさ痛ましさ。ネフェルティティとの間に深い愛情があったのはせめてもの救いだった。

登場人物もよく知ってる名前が多いなか、王妃ネフェルティティの姉ネゼムートだけがなじみなかった。ただホルエムヘブとの関係から彼女は長岡良子『ナイルのほとりの物語』でのムテムイアに当たる人物ではないかと見当をつけた。

ホルエムヘブとの間に主従を超えた深い友情と信頼関係があったのも嬉しい。だからこそ何度も何度も忠告し懇願した彼の最後の選択は、両者にとって辛いものだったろう。
アイがアテン神官なのは意外だったが、彼も王母ティイもアメン神官ともう少し上手くやるように忠告するのだが、アクナーテンは聞き入れない。せめてこの3人の忠告通り、改革をもう少し緩やかにしていればよかったのに、でも無理だったんだなあ。

この作品のアクナーテンは詩を詠む。その詩がアトン讃歌と呼ばれるものではないかと思う。またネフェルティティの胸像も彼が作ったものになっている。彼は政治家というより宗教家であり芸術家であった。なんとなく俗世では生きにくい人だったのかと、思いを馳せた。
アクナトン

アクナトン

『エジプト人シヌへ』に興味を持ったのは、アクナトンやツタンカーメン時代のことらしいということから。
わたしがアクナトンについて知ったのは、長岡良子の漫画『ナイルのほとりの物語』だった。予習のつもりでまた読もうと引っ張り出してきた。
エジプト時代といえば山岸凉子も書いていたなと思い出し、『ハトシェプスト』もついでに出してきた。『ツタンカーメン』もあったはずだけど、どうも処分したらしい。そして『ハトシェプスト』をぱらぱら読んで驚いた。登場人物に「王宮の医師シヌへ」と名乗る男がいたのだ。一瞬この男があのシヌへか?と思ったけど、時代が違うので同じ名前というだけだった。
そして最近クリスティー文庫のラインナップを見ていて、『アクナーテン』という作品を見つけて驚いた。こんな作品あったの?どうも戯曲らしい。解説が吉村作治。迷った末購入。クリスティの描くアクナトン。どんなふうに描かれているのだろう。わくわくする。

なかなか肝心の『エジプト人シヌへ』までたどりつけないけど、思いがけないつながりが見つかるのは大好きなので、この巡り合わせを楽しんでいこう。
『ジェリコの製本職人』追記

『ジェリコの製本職人』追記

この作品はさまざな要素がぎっしり詰まっていてそれぞれ印象的なのだが、やはり「ことば」についての部分が、前作と呼応していて興味深かった。

『女性のことばとその意味』の製本を手伝った時、ガレスがペギーたちに感謝し、ペギーもエズメに感謝を伝えたかった。

ーことばをありがとう このことばたちを集めて、理解して、敬意を払ってくれてー

ここを読んだとき「小さなことばたちの辞書」にこんな箇所があったのを思い出した。

ーことばを与えてくれた人々が、それぞれのことばに、わたしのカードに書ける以上の願いを託しているとは夢にも思わなかったー

ことばを集めたエズメと、そのことばを使う立場のペギー。2つの作品がここでつながっている。

またギリシャ語の勉強に悩むペギーに、図書館司書のミス・ガーネルがホメロスの『オデュッセイア』の翻訳についてペギーに語る場面がある。これが非常に興味深い。

ある場面で女性たちが殺される、その女性たちはどのように翻訳されているかというと、ある訳では「乙女」、ある訳では「侍女」、またある訳では「娼婦」だという。
どう呼ばれるかがなぜ大事なのか?と尋ねるペギーにミス・ガーネルは答える。

ーわたしたち女性を説明するために使われることばは、わたしたちの社会における価値を定義する。そして社会にどう貢献できるかを決める。また、わたしたちについてどんな感情をもつべきか、どう判断を下すべきかを人々に指示するものでもあるー

この部分、前作でも似たような文言があった。

ーわたしたちを定義するために使われることばは、わたしたちが他者との関係で果たす役割を説明していることがほとんどだー



では、この女性たちはどう呼ばれるのが正しいのか?と再び問うペギーに彼女は答える。

ーこの女たちは奴隷だった。古代ギリシャではあまりにも当たり前の境遇だったから、物語の語り手は説明する必要がなかった。でも現代のイングランドで、この物語を正しく理解するには、この女性たちの身分を明確にすることばを使う必要があるー

ここでペギーはボンドメイド(奴隷娘)と言う。あのエズメの辞書に載っていたことば。うわー、ここであの作品のキーワードが出てくるなんて、と興奮した。
『ジェリコの製本職人』

『ジェリコの製本職人』

『ジェリコの製本職人』 ピップ・ウィリアムズ・著 最所篤子・訳 小学館 2024年

同じ作者の『小さなことばたちの辞書』の姉妹編。前作とのつながりを感じながら楽しく読めた。
オックスフォード大学出版局で双子の妹モードと働くペギー。亡くなった母も同じ職人だった。ペギーの仕事は印刷された紙を折り、かがること。仕事中に印刷された断片を読み、製本に失敗した紙をこっそり持ち帰り、読書や勉学への渇望を募らせていく。どんなに望んでも労働者の彼女が大学で学ぶことはできない。だが第一次世界大戦がはじまり、奉仕活動で女子学生のグウェンと知り合ったことで、彼女の運命も変わっていく。
階級差別、経済的困難などを乗り越え、製本所の主任やグウェンやグウェンの通うサマーヴィル・カレッジの図書館司書など、周囲の人々の後押しでペギーが大学への道を切り開いていく姿には胸が熱くなる。

ペギーは植字工ガレスに頼まれてあの『女性のことばとその意味』の製本を手伝うことになる。あの辞書がこういうふうに作られていったのか、とわくわくした。ガレスが「後でもっと刷るために版はとってある」と言った時、『小さなことばたちの辞書』でも、彼が重版するつもりだった、と残っていた組版を見せてもらう場面が思い出された。あそこでは泣いたんだ。なぜ一冊だけ製本するのか、それは「特別なこの世で一冊だけの本」でなければならないから。そこに彼のエズメへの愛情を感じる。でも一冊だけだと思っていたあの本が、後にペギーたちによって数冊印刷されていたことを知って、わずか一冊だけで絶版になってしまったと思っていたのでとても嬉しい。

ペギーたちの母親が女優ティルダと友人で、母の死後もずっと交流が続いている。
前作で後半からあまり出番のなくなった彼女のことが気がかりだったけど、この作品で知ることができた。サフラジェットのWSPUを脱退してVAD(篤志救護隊)としてフランスの病院に派遣されている。これは『サフラジェットの病院』に通じる話で、こんなところにも関連があった!と嬉しくなった。
気になること

気になること

朝からずっと考えてきた。結論は出ないけれど書いてみる。

朝刊にノンフィクション作家の野村路子さんの「アウシュビッツとガザ」という文章が載っていた。内容は昨年11月に朝日新聞に載っていた記事と同じだったが(友人がコピーしてくれた)どうしても気になる部分があった。

野村さんはテレジン収容所で子どもたちが描き残した絵を紹介する「テレジン収容所の幼い画家たち展」を開く活動を長く続けている。
野村さんが活動を通じて交流しているアウシュビッツからの生還者のユダヤ人女性がいる。今回のガザ攻撃についての彼女とのやり取りで、イスラエルの行為の正当性を主張する彼女にショックを受けたという。「誰よりも戦争の恐ろしさ、子どもの命を奪う理不尽さを知る人なのに…」

そして
「ユダヤ人が不条理に差別され、命を奪われたホロコーストの重みは知っている。
生存者に、あのイスラエルという国が与えられた事実も。」

“生存者にイスラエルという国が与えられた”

この言葉に悩まされている。

与えられた?誰から?

現在イスラエルのある地域はそれまで誰のものだったのか?
その正確な経緯をわたしは知らない。
ただそれまではイギリスが統治していて、そのイギリスがユダヤ側とアラブ側両方に、それぞれの国家の独立を約束した(バルフォア宣言とフセイン・マクマホン協定)所謂二枚舌外交が紛争の元になったらしいことは何となくわかる。(サイクス・ピコ協定も含めて3枚舌外交とも)
昔オーストラリア人の友人が、中東問題の原因はイギリスにある、と言ってたけど、本当にそうだ。

イスラエルの建国は国連が承認した。ではアラブ国家はどうなったのか。ここらへんのことはもっと勉強しないと正確にはわからない。結局は植民地支配する宗主国の利益思惑があったのではないかと思うのだが。


野村さんの文章に戻ると、この文章からだと、ホロコーストの生存者に、お詫びとしてイスラエルという国が与えられたように読める。

岡真理さんの『ガザとは何か』で、ヨーロッパ各国が自分たちのホロコーストの罪をパレスチナに贖わせている、とあったが、たしかに言葉は悪いがパレスチナあげるからこれで許してね、と言ってるみたいだ。

野村さんの言葉尻を捉えて文句言ってるみたいで気がひけるけれど、わたしにもちょっと雑な認識(イスラエルはホロコーストの犠牲の上にユダヤ人がようやく得た安息の地)が、ずっとあって、最近ようやくそれに疑問を持ちはじめたのでこの言葉にひっかかったのだ。
子どもの頃から何回か中東戦争が起きた時、わたしはいつもイスラエルの方が正義のような気でいた。『アンネの日記』をはじめユダヤ人のホロコーストの情報に触れていたせいだろう。気の毒なユダヤ人、それをいじめるのは悪いやつ。PLOはテロ集団だと思っていた。パレスチナ難民のことは報道されていたはずなのに、わたしには見えていなかった。

わたしのこのもやもやを解決するには、腰を据えてしっかり勉強するしかないのだ。
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