映画「私たちが光と想うすべて」を見て、インドの言語について思い出したことがあった。
2014年10月に見たインド映画2本「マダム・イン・ニューヨーク」「めぐり逢わせのお弁当」でも言語について不思議に思ったのだ。
「マダム・イン・ニューヨーク」では娘の学校の教師と話す場面で、教師が「自分は英語しか分からない(ヒンズー語はわからない)」と言ったのだ。驚いた。ヒンズー語が公用語なのに、教師が分からないって?この時までわたしはヒンズー語は全国民が話せて、一部のエリートが英語を話せるのだろうと思っていた。(もちろん生活のために片言の英語を話す国民もいるだろうが)
「めぐり逢わせのお弁当」では間違って届けられたお弁当が縁で、主人公の男女はお弁当に添えて手紙を送り合う。男性のサージャンが住んでいる地区では英語を話していた。この時インドでも地区によって英語が主な言語なんだと驚いた。女性のイラは明らかに英語ではない言語を話していた。すると2人は何語で手紙を送り合っているのだろう?と疑問に思ったのだった。サージャンが職場で話していたのは何語だったかよく覚えていないけど、英語じゃなかったような気がするので、サージャンは英語もヒンズー語も話せるのだろう、手紙はヒンズー語で書いているのだろうと思っていた。
そしてパンフレットを見直して、舞台がムンバイだったのに気がついた。あー、ここもムンバイだったのか!
この「めぐり逢わせのお弁当」はとても好きな映画で、今でも懐かしく思い出す。もう一度見たい映画。
インドなのでヒンズー語、という思い込みがあったので驚いたのだけど、そういえばインド映画ではヒンズー語の映画の他に、タミル語、テグル語の映画があることを最近知った。インドが多言語多民族の国だということをあらためて思い知った。
「私たちが光と想うすべて」
パヤル・カパーリヤー監督 2024年 フランス インド オランダ ルクセンブルク
1/5 OttOにて鑑賞
ああ、いい映画を見たな、という思いが後からじわじわとわいてくる。
インドの大都市ムンバイ、最初にそこに暮らす人々の様々な声が聞こえてきて、一瞬ドキュメンタリーかなと思った。実際に街の人々の声らしい。その中に「みんな親戚の中で誰か一人はムンバイに居る」という言葉があり、ムンバイの活気は地方からの労働者が支えている現状がわかる。
そのムンバイに地方から出てきて働いている3人の女性、同じ病院で働く看護師のプラバとアヌと食堂のパルヴァティ。彼女たちの日常を描きながら、それぞれが抱える事情が次第に明らかになってくると、何とも言えない息苦しさを覚える。
プラバは親の勧めるままに結婚した夫が、結婚後すぐにドイツに仕事に行きもうしばらく連絡もない。これで結婚していると言えるのか?同じ病院の医師から思いを寄せられているが、既婚者の身ではその思いに応えることもできない。さっさと夫に見切りをつければいいのにと思うが、たぶん家族の許しなく勝手は出来ないのだろう。きちんとした職につきしっかり自立しているのに、自分自身についての重大な決定権はないのだ。
アヌには親に内緒のイスラム教徒の恋人がいる。母親からはしょっちゅうお見合い相手の写真が送られてくるが無視している。しかしふたりにこの先の展望があるのか?もし結婚するとしたらどちらかが改宗しなければならないのでは?恋人も今のところ家族には隠しているようだし、このことが知られたら大変な事になるのでは? 下手すれば名誉殺人の危険だってあるのに。恋人が家族の留守に彼女を家に呼ぶ時、周囲に合わせるためにヒジャブ(ブルカ?)を着て来い、と言った時、なんだこの男はと思った。
パルヴァティはビル建設のため住んでいる住居を追い出されそうになっている。亡くなった夫が住居についての正式な書類を彼女に残しておかなかったため(そもそもそんなものがあったのか、彼女には何も知らせずにいたのか)居住権を訴えようにも書類が見つからず、弁護士もお手上げだ。長年そこに住んでいたという証明どころか、彼女が彼女である証明すら出来ないという。
彼女たちは自立して真面目に生活しているのに自由ではない。家族の束縛、カースト制、経済格差、宗教の問題等々が彼女たちを縛りつける。インド特有のものもあるが、家父長制やジェンダー差別など現代のわたしたちに共通することでもある。工事現場の看板に石を投げて鬱憤を晴らす場面があるが、その看板に「階級は特権です。豊かな暮らしを」と書いてあるのにギョっとした。
このままやるせない気持ちのまま終わるのかと思ったら、3人でパルバティの故郷の村に行く終盤で雰囲気が変わる。都会の喧騒を離れて海や森や洞窟などの自然にふれ、見ていても開放的な気分になる。パルヴァティは故郷の家に住み仕事を得る。プラバとアヌはそれぞれ一歩を踏み出す。根本的な問題は解決していないが心の解放はある。夜の海辺の店先で(日本の海の家みたいな作り)光に包まれながら海を見つめる3人(もう1人いるけど)のラストシーンは美しい。
見た直後よりも後からいろいろ思うところが湧いてきて、長く心に残る映画だった。
パンフレットを読んで初めてプラバとアヌが話しているのが、マラヤーラム語だということがわかった。インドは公用語はヒンズー語であるけど、憲法で正式に22 言語が使用言語として認定され、各州の公用語として使用されている。
プラバに思いを告白した医師が、今の病院を辞める理由の一つに「言葉もよくわからない」と言い、プラバが「ヒンズー語は難しくない」と慰める場面があったけど、彼も母語がヒンズー語ではなかったのか。ムンバイの公用語はヒンズー語。冒頭の人々の声もたぶん様々な言語が飛び交っているのだろう。
アヌがプラバをお姉さんと呼ぶ言葉、正確な発音はわからないけど「ティティ」のように聞こえた。以前ネパールにいた時、ネパール語で姉は「ディディ」だったので、ちょっと似てるなと思った。
病院の看護師の制服がアヌとプラバで違っていたのが不思議だった。アヌは普通の事務服みたいでプラバはサリーだった。役職の違いかなと思ったけどどうなのだろう。
『いま、日本は戦争をしているー太平洋戦争のときの子どもたちー』
堀川理万子/絵と文 小峰書店 2025年
作者は太平洋戦争の時代に子どもだった17人から、当時の様子を聞き取り、それをもとに絵と文章にした。それぞれの人から「これでいい」と言ってもらえるまで、何度も何度も手を入れたという。話を聞いた人たちの居住地は北海道から沖縄までの日本各地だけでなく、上海、満州、樺太という海外の地まで及ぶ。その思い出の鮮明さに驚く。ひとつひとつは今まで見聞きしてきた事と大きく異なるものではない。しかしあの時代を実際に生活していた子どもの視線からの様子、それが日本全土を網羅して描かれいる事で、国をあげての戦争だったのだ、それが日常としてある生活だったのだということがよくわかる。高齢者が多い中、この本の完成を待たずに亡くなられた方も何人かおられたという。平和が崩れて世界が戦争へ進むかもしれない不安を抱える今この時に、よくこの作品を世に出してくれたと感謝したい。何度でも何度でも、戦争は二度としてはならないと、強く強く訴え続けていかなければならない。
「まなざしの川をわたる』
齋藤陽道/詩 もりやままなみ/写真 株式会社せかいはことば 2025年
あとがきに
ーこの詩集で成したいことは、単に「ろう者の物語」を描くことではなく、「眼の喜びを糧として生きる者が、世界をどう感じ、どう生きのびるのか」という問いに向き合うことだったー
とある。
陽道さんの文章にはこれまでも触れて来ていたが詩は初めて。これまで繰り返し書かれていた事ではあるけど、詩の形だと著者の思いがより強く伝わってくる気がする。
そこにまなみさんの写真。まなみさんの写真はいつも物凄い迫力で圧倒される。これもあとがきに「もりやままなみの写真は、闇夜の底でけろけろと鳴くカエルの眼にうつる月光のような底知れなさがある」とあるがその通り。まなみさんの作品をもっと見たいと思う。
陽道さんの詩にまなみさんの写真、そして版元も「せかいはことば社」という自社刊行本。さらに予約特典として、まなみさんの書き下ろしエッセイもついてきた。おふたりの活動をこれからも応援していきたい。
参加している読書会で読んだ本。自分と同じ感想でも、的確な表現で話されるのを聞いて感心したり、違う見方違う感想を聞いて、新しい気づきを得られるのが読書会の醍醐味。昨年もいろいろ勉強になり楽しかった。
『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』ブレイディみかこ
『複眼人』呉明益
『普通という異常 健常発達という病』兼本浩祐
『ウーマン・トーキング』ミリアム・ティヴズ
『ババヤガの夜』王谷晶
『ハンチバック』市川沙央
2002年から参加している児童書の読書会。比較的新しい作品と古い作品を半分ずつ取り上げるので、時代の違いを感じながらもそれぞれのおもしろさを味わえる。古い作品新しい作品とも、これまで知らなかった作者との新しい出会いもある。会の始まりでは名作とされる作品を取り上げることが多かったので、どうしても英米の作品が多く偏りもあったが、最近は日本の新しい作家も取り上げるようになり、興味も広がっている。
『ベラスケスの十字の謎』エリアセル・カンシーノ
『活版印刷三日月堂』ほしおさなえ
『シチリアを征服したクマ王国の物語』ディーノ・ブッツァーティ
『白狐魔記 天保の虹』斉藤洋
『ノアの箱船に乗ったのは?』ローズマリー・ハリス
『なぞの鳥屋敷』阿部よしこ
『夜空にひらく』いとうみく
『夏のサンタクロース』アンニ・スヴァン
『霧のなかの白い犬』アン・ブース
『大きな木の下で』クレイトン・ベス
昨年もいろいろな本を読んだ。その中でベストというのは難しく、それぞれに違う味わい楽しみがあり、何を基準にするかで違ってくる。それでもこの2冊をやはりあげたい。
◎『対馬丸』大城立裕
関連本も含めて昨夏は「対馬丸」で過ぎて行ったと思う。考えることが多すぎて他の事が手につかないほどだった。
関連本『対馬丸 さようなら沖縄』『海に沈んだ対馬丸』『対馬丸とボーフィン』『海鳴りのレクイエム』『対馬丸記念館リーフレット』『ヤギと少年、洞窟の中へ』
そしてパレスチナ関連書。昨年から継続的にいろいろ読もうとしているが、気持ちが追いついていかなくてなかなか読めなかった。結局読めたのは1冊だけ。あとは関連本として岩波ブックレットが2冊。
◎『イスラエルについて知っておきたい30のこと』早尾貴紀
『イスラエルとパレスチナ』ヤコブ・ランキン
『国際法からとらえるパレスチナQ&A』 ステファニー・クープ
以上の2冊で昨年は終わったようなものだけど、それ以外で特に心に残った3冊。
◎『ペンツベルクの夜』 キルスティン・ボイエ
◎『かなたのif 』 村上雅郁
◎『サフラジェットの病院』 ウェンディ・ムーア
こうしてあげてみると、映画と同じようにノンフィクションが多い。読んだ本の数はフィクションの方が圧倒的に多かったけど。
今年は積読本を減らす努力をしようと思っている。そう、いつも思ってはいるのだ。でもついおもしろそうな本があると、図書館から借りてきてそちらを優先してしまうので、なかなか積読本が減らない。年末年始もついつい借りてきてしまった。そしてまだ読めていない。そこでまだ読んでない本でも、相互貸借本以外はいったん思い切って返却することにした。新年はイチからはじめよう。
舞台は今の体調ではまだ見に行けないけど、配信でいくつか見た。
「帝劇コンサート」
建て替えのため閉館する帝劇が、豪華なメンバーで2/14〜2/28 コンサートを開いた。
そのうち2/22と2/28の配信を見た。初めて聴く歌もあり、ミュージカル見たい気持ちが盛り上がってくる。
ミュージカルは3作品。
「二都物語」
ストーリーがちょっと納得いかないのと、浦井健治があまり活躍しないのが気になるが、井上芳雄はさすがに上手かった。しかしそれよりも橋本さとしと未来優希の夫婦が良かった。
「マタ・ハリ」
ダブルキャストだったので、2パターン見た。
A柚希礼音、加藤和樹、甲斐翔真
B愛希れいか、廣瀬友祐、加藤和樹
最初にB、次に千秋楽のAを見た。
元々ちゃぴちゃん(愛希れいか)が好きだったので、やっぱりちゃぴちゃんの演技はいいなあと思ってて、ちょっとちえさん(柚希礼音)は大ざっぱかなと思っていたのだけど、最後の最後でちえさんに持ってかれた。裁判での尋問場面、毅然として肝が坐っていて壮絶に美しかった。
ストーリーは色々言いたい。特にアルマンが法廷に現れるのはいくらなんでも無理じゃないかな。
「ゴースト&レディ」
2024年の東京公演以来待ちに待った名古屋公演の配信。一部キャストが変わり新鮮に見られた。多少演出も変わってたみたいだけど、相変わらず素敵な作品。何度でも見たい。
今の大阪公演もライブ配信があるので、楽しみに待っている。
上映期間が短くて予定が合わなかったり、体調の問題で見に行けない映画もたくさんあった。そんな時頼りになるのはWOWOWやBSなどのTV放送。ただせっせと録画しても追いきれなくて、見ないで消してしまったものもたくさんある。そんな中で印象に残った映画がいくつかある。
「ピクニックatハンギング・ロック」
少女たちは非常に美しいのだけど風景が美しくなく、そのチグハグさが不穏だった。学院という閉ざされた歪な王国が崩れさるさまが描かれていた。
「スープとイデオロギー」
監督の母親の日常を写していた映画が、韓国の済州市島4・3事件の時だけアニメーションになって驚いた。母親がなぜあんなにも北朝鮮に心を寄せているのか、その理由がようやくわかった。母親が韓国に不信感を抱くのも無理はない。
恥ずかしいが光州事件と混同していた。この二つの事件についてはまだまだ知らないことが多い。
「ある男」
安藤さくらの演技がすごくて目が離せなかった。先日のミュージカル版よりはこちらの方が好き。
「落下の解剖学」
裁判場面が息苦しくて辛かった。何があったのか正確なことは何もわからずすっきりしない。すべてが推測でしかない。
「対峙」
銃乱射事件の被害者両親と加害者両親の話し合い。ほぼこの4人の会話だけで進む。緊張感でこちらまで苦しくなってきた。被害者母親の一言が救い。
「山の郵便配達」
水墨画のような風景が美しい。配達人の仕事を受け継ぐ息子と、引き継ぐ父親が一緒に歩く。父親の佇まいがとてもいい。
「アフター・ウェディング」
マッツが見られればわたしは満足です。たとえどんなに情けなかろうと。でも実はマッツよりもう一人の男性の方が良かったなあ。
「プレゼンス 存在」
怖くないホラー。でもこの家族これから大丈夫かしら。
「ゴールド・ボーイ」
岡田将生がクズだった。子どもを侮ってはいけない。
「ラストマイル」
こちらはいい岡田将生。火野正平や阿部サダヲなど配送会社の人たちがいい。ドライバーさんたちもっと報われてほしい。
「ぼくが生きてる、ふたつの世界」
ろう者役はろう者の俳優が演じているのが良かった。飲食店で親切なつもりでろう者の分も注文していた主人公に、自分たちはちゃんと自分で注文出来ると言われる場面にハッとさせられた。ただなじるのではなく、陰に呼んで感謝も伝えながらだったのに感心した。主人公とろう者の母親との関係が、成長するに従って変わってくる様子が丁寧に描かれていた。
「ウイキッド ふたりの魔女」
シンシア・エリボーの歌声はもっともっと迫力あるはずだけど。アリアナ・グランデはとても良かった。ストーリーははっきり言って嫌い。学校の生徒がエルファバをあからさまに差別して笑いものにするのに、それに加えて最後に悪人に仕立て上げられるエルファバが気の毒すぎる。続編で救いはあるのか?
2025年は県内の比較的行きやすい場所にミニシアターができた事で、久しぶりに映画館での映画鑑賞が再開出来た。都内へ出ないでも見られるので、気になる映画は積極的に見に行くようにした。5月から合計16本見た。コロナ禍前にはもっと見に行けた年もあったけれど、今の体力ではこれで精一杯だった。これでも体調不良で行けなかった映画が何本もある。ベストを選出するほど見ていないので、見た順に全て挙げてみる。
5/22 ノー・アザー・ランド
5/29 教皇選挙
6/5 どうすればよかったか?
6/12 ドマーニ!愛のことづて
6/27 シンシン/SING SING
7/5 侍タイムスリッパー
7/18 フォーチュンクッキー
7/25 黒川の女たち
7/28 トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦
8/8 満天の星
8/12 パフィンの小さな島
8/22 摩文仁 mabuni
9/12 能登デモクラシー
9/26 リンダ リンダ リンダ
11/14 壁の外側と内側 パレスチナ・イスラエル取材記
12/22 非常戒厳前夜
ドキュメンタリーが半分の8本。この映画館に通うようになってドキュメンタリーを多く見るようになった。
数少ない中であえて自分のベスト1をあげるなら、やはりドキュメンタリーの「摩文仁 mabuni」だった。沖縄戦のことからはじまり、現在に続く様々な問題と真剣に向き合わなくてはならないと痛感させられた。
現在の問題といえば「ノー・アザー・ランド」「壁の外側と内側」も、パレスチナ問題を学び続けなければとの思いを強くさせられた。
「満天の星」は映画自体の出来は良くないし評価しないが、対馬丸について調べるきっかけをくれた。
「黒川の女たち」は見た時点では今年のNo.1だと思った。監督と直接話も出来てよかった。著作『刻印』はまだ読み途中。
ドキュメンタリー以外では期待通りのもの、意外にも心惹かれたもの、それぞれとても楽しめた。
そして「トワイライト・ウォリアーズ」は、まさかのファンフィクションの楽しみを教えてくれた、最高に熱い映画だった。
映画「非常戒厳前夜」
キム・ヨンジン/監督 2025年
OttOにて鑑賞 2025年12月22日
2024年12月3日の韓国戒厳令のニュースには驚いた。一国の大統領が出した命令なので、それなりの意味があるものだろうとぼんやり思っていた。だがニュースでその後の国会議員たちが国会に押しかける姿、多くの国民が抗議行動する姿を見て、何が起こってるのか何が正しいのか訳が分からなかった。韓国の情勢を知らないせいもあるが、お上の出した命令だから正しいはず、何か意味があるはず、と無条件に無批判に受け入れるクセがついていたのだろう。
結局戒厳令は無効となり、大統領はその後弾劾され罷免された。あの戒厳令はいったい何だったのだろう。それが知りたくてこの映画を見た。
見る前は勘違いしていたのだが、わたしはこの映画は戒厳令下での人々の行動を記録し、その解除までを追ったものだと思っていた。だがそうではなくその逆で、戒厳令に至るまでの記録だった。大統領に批判的な独立系メディア「ニュース打破」に対して、大統領が行った言論弾圧の日々が記録されていたのだ。権力者が自分に不利なニュースを流すメディアを狙い撃ちして徹底的に潰そうとしていた。それに対抗したメディアの闘いの日々の記録だった。監督のキム・ヨンジンは「ニュース打破」の代表を2025年2月まで務めていた。
「始まりは2023年9月14日だった」と言う記者の言葉から、映像は過去へ飛ぶ。「ニュース打破」の事務所への強制捜査だけでなく、二人の記者の自宅へ検察が家宅捜索に訪れる。事務所前で強引に入ろうとする検察を、弁護士到着まで待たせる緊迫した場面。こういう場面はニュースでも見ていたが、何となく検察が正義のように見えていた。でもこの映画で捜索を受ける側からの身になって見ることが出来た。
記者の自宅、まず令状の確認も短い時間ではちゃんと出来ない。弁護士が来てくれて二人で確認していても見逃すことはある。対して検察側は大勢でやって来て家中を荒らし回る。その異常な状況下では、とても頭が回らない。後日確認して捜索対象でない物品まで押収していったことがわかる。
後日のキム代表宅への強制捜査の時は、なぜかバールのような棒を持った人もいた。何でも捜査を拒否したら玄関をこじ開けるための要員だったらしい。この人たちは検察ではなく消防隊とか?らしいが、わざわざこのためだけに駆り出されたのだ。何とも馬鹿らしいがこれも威嚇のつもりなのだろう。こういうふうに精神的に相手を追い詰めていくのだろう。正義の味方だと思っていた検察が、権力者と手を組むと平気でこういうことをするのか。そもそも大統領が任命しているのだから当たり前か。恐ろしさに体が震える。
普通の人ならこんな事にはとても耐えられない。記者でさえ「自分はストレスには強いと思っていたが、さすがにきつかった」と言っている。
しかも権力側はニュース打破が「フェイクニュースを流す罪人」であるかのような印象操作を大々的にしてくる。記者の一人が、「世間での悪評があまりに凄いので、もしかしたら自分たちが間違っているんじゃないかと思ってしまう時もあった」と言っていたが、あまりひどい状況におかれると、正確な判断もできなくなってしまうのだろう。日本でも不確かな情報によるバッシングのひどさに耐えられない悲劇が何件も起きている。
記者たちは弾圧に屈せず立ち向かう。「ニュース打破」は報道の独立性を確保するため、企業広告をとらず市民からの支援で運営されているという。だからこういう活動が出来るのか。
検察に出頭したキム代表を待ち構えていた他のメディアが「今どんなお気持ちですか?」とインタビューする姿には呆れた。
あなたたちの仲間でしょ?自分たちにもいつ降りかかってくるかもしれない事なのに、何を呑気に聞いてるの?自分たちは正義で「ニュース打破」はフェイクニュースを流す悪いメディアだから、高見の見物を決め込んでいるの?
それに対する代表の言葉が痛烈だった。
「聞かせて下さい。本来ここに立つべきなのは誰なんですか?私たち記者は権力者の情報を丸呑みにして流してはならない。私たちは同じ記者です。いっしょに頑張りましょう」(ちょっと記憶が曖昧なので、パンフレットを参考にした。正確にこう言ったわけではない)
韓国メディアも日本のメディアと同じく、政府の発表をそのまま流すだけなんだと思った。それでも韓国にはこんな気骨のあるジャーナリストがいるのだ。日本はどうか。こういうジャーナリストを育てる土壌があるだろうか。暗澹たる気持ちになる。
パンフレットによると、この映画の原題は「押収捜索ー内乱の始まり」だという。映画の内容はまさにその通りだった。