WOWOWで映画

WOWOWで映画

体調不良でごろごろしていた頃、外出も出来ず本も読めないでいた。そんな時はWOWOWの映画放送を時間つぶしに見ようと思った。
とりあえず気になった映画は録画してあるのだが、シリアスなものは真面目にしっかり見たいし気持ちに余裕がないと無理なので、気楽に見られそうなのを選んだ。

「アフター・ウェディング」2006年 デンマーク
ただただマッツが見たいだけで選んだ映画。でも思ってたのと違って、マッツよりももうひとりの男性ヨルゲン役のロルフ・ラッスゴードの方が主役みたいだった。この人の事情の方が複雑で演技も良かった。ただ何でインドの貧困と孤児の援助の話をここに持ってきたのか納得いかなかった。描くならもっとしっかり描いてほしい。援助する側が自分の都合を優先している態度には腹が立つ。すごくモヤモヤした。ラストで未練がましく可愛がっていた少年に「一緒にデンマークで暮らさないか」と提案して、あっさり断られたマッツ。少年のキッパリした態度と情けないマッツの表情の対比が印象的だった。

「山の郵便配達」1999年 中国
とっても良かった。風景がまるで水墨画のように美しい。しかし見ているぶんにはいいが、暮らすのは大変そう。そこ人住んでるの?そんな道通るの?と驚いてばかりだった。道なき道を徒歩で回る郵便配達人。3日かけて歩いて往復し、休む間もなくまた出かける。なんて過酷な仕事だろうか。引退する父親とあとを継ぐ息子が、引き継ぎのために一緒に歩く。ただ一度の同行。父親の表情がとてもいい。ちょっとぎこちなかった父子が次第にお互いを認めあっていく姿が心地よい。

「プレゼンス 存在」2024年 アメリカ
ホラーは苦手だけど、この映画はネタバレを読んでいたので安心して見られた。幽霊目線のカメラワークということで、家の間取りを案内してもらってる気分だった。しかし大きい家だなあ。幽霊の正体は知っていたので、あまり驚きはなかったけど、この家族最初からうまくいってないし、これからも大丈夫かと心配になる。母親が何やら違法なことをしていそうだったけど、その詳しい説明も最後までないし、父親が相談していたこととか、未解決な部分が多すぎる。不安定だった娘が落ち着いた様子になっていたのが救いだった。
手書き

手書き

映画「能登デモクラシー」を見て、滝井さんの発行する新聞の手書き文字に魅了された。なんて力強い字だろう。印刷のきれいに整った文字とは違う躍動感、この声を届けたいという強い意志が感じられる。ああ、手書きっていいなあとあらためて思った。
小学生の頃クラスで壁新聞作ったっけ。ネパール滞在時には、日本の祖父母に送るために子どもたちと「カトマンズ新聞」というものを、近況や漫画や連載など、紙面を工夫して作っていたなあ。手書きの文字は読みにくいし、元々字が下手なわたしは恥ずかしかったけど、今見るとそれぞれの個性が溢れた懐かしい思い出の品だ。

字が下手なのが悩みの種で、ワープロが普及した頃、これで下手な字を気にせず書けると喜んだものだった。
図書館で臨時職員として働いてたころ、児童書の紹介文を手書きで書くことを求められ、何で印刷にしないのかと不満だった。でも何回かやっているうちに、出来上がったリーフレットの担当者それぞれの個性ある字で彩られた味わい深さに、読むのが楽しくなっていった。なるほど手書きもいいものだなとその時思った。

ネパール滞在時に書いていた日記も当然手書きで、帰国後はきちんとワープロで清書しようと思っていた。結局やらないままになってしまったが、たまに読み返すと丁寧な字だったり乱暴な字だったり、それはそれでその時の気分や状況を想像できて、おもしろく読める。いつかは全部清書するつもりだったけど、もう今さらだし、これはこのままでもういいやと思っている。
映画「能登デモクラシー」

映画「能登デモクラシー」

五百旗頭幸男・監督 ドキュメンタリー映画
9/12 OttOにて鑑賞

能登半島の小さな町石川県穴水町。ここで手書きの新聞を発行する人がいる。その人滝井さんは過疎の町の町議会のあり方に警鐘を鳴らし続けている。

滝井さんの新聞に「二元代表制を理解していない議員がいる」という言葉が出てきて、わたしも理解していないので焦った。帰宅後遅まきながら調べました。

二元代表制とは、地方自治において首長と議会議員両方を住民が直接選挙で選ぶ、というもの。自覚していなかったけれど、確かに市長も市会議員も投票で選んでいる。これに対して国では議員が首相を選んでいる。なるほどそうだ。
で、二元代表制の特徴は共に住民を代表する首長と議会が、ある種の緊張関係を保つことにあるそう。

確かに穴水町の議会の映像で驚いたのは議会が質問も答弁もほとんどなく議員全員の起立で全て決まっていったところ。傍聴人もほとんどいない。小さな町で昔からの付き合いがあるから「なあなあ」な惰性と忖度で進んでいることがわかる。うちの市だって似たようなものだ。地方の町ほどそういうところは多いだろう。住民もそれに慣れっこになって特に不平不満も批判もしない。でもそれじゃあいけないんだ。映画を見ていて声を上げ続けることの大切さを思い知らされた。

能登半島地震を経て少しずつ良い方へ変わっていくきざしが見えてきたので、ほっとした。滝井さんの活動は(新聞だけでなく、いくつものボランティアもこなしている)これからも続いていく。奥さんの順子さんともどもいつまでもお元気で、と祈らずにはいられない。
「ゴースト&レディ」雑感ー原作より

「ゴースト&レディ」雑感ー原作より

雑感で書ききれなかったこと。

藤田和日郎・原作の漫画とは色々違うところもある。
原作ではフローもボブもジョン・ホールも生まれつきゴーストが見える体質だった。舞台ではフローは神からの啓示の後、ボブは瀕死状態から生還した後に見えるようになっている。ジョン・ホールは怪しげな呪術を学んだとか言ってたかな。
ボブが生還する時の歌が「あなたの物語」。これサントラでいい歌だなと聴いていたのに、どの場面で歌われていたのかすっかり忘れていて、エイミーに歌っているのかなと思っていた。今回の配信で、死にかけているボブを呼び戻そうとフローが歌いかけている歌だと気がついた。この場面いいなあ。幽体離脱したボブの表情が、最初キョトンと自分の亡骸を見つめて、次に光に向かって歩き出し(たぶん行き先は天国)、彼に向かってフローが歌いかけてボブが呼び戻される。ここの歌詞の「ハッピーエンディングストーリー♪」に呼応して、フローを見送るボブが「とても美しい物語のハッピーエンドを」と言っていた。
舞台ではボブは17才、原作だともっと幼く12〜3才くらいに見えたけど、でもれっきとした少年兵だからもしかしたら見た目よりは年上だったのかもしれない。

エイミーとアレックスの存在も原作にはない。アレックスがフローに「サムシングフォー」を歌うけど、その4つが原作で生前にグレイが恋人シャーロットに用意したものとほぼ同じだった。

デオンの設定も違う。男でも女でもない、とデオン自身が言っているし、史実でもはっきりしない。原作者の言葉だと一応女装の美剣士という設定らしい(つまり男性?)生命が消える時にその目のなかに宿る「絶望」を見るのが好き、というやばい性癖の持ち主。舞台でのデオンさまとは違う。

どうするのか興味があったのが、ジョン・ホールの部下フィッツジェラルドの最期。わたしは原作を読みながら、いつか必ずこのフィッツジェラルドがジョン・ホールに反旗を翻すと思っていた。理不尽な命令に毅然と立ち向かうフローの姿にいつか絆されるのでは、と期待していたのだ。
だがそんな甘い感傷を、原作者は見事に打ち砕いてくれた。そこに原作の凄みがあった。彼は最期まで命令に忠実にフローを殺そうとした。「命令に従っただけだ」という言葉を残して。その姿にフローの怒りが爆発する。
「命令にただ従ううちに心が麻痺する。これが戦争の本当の恐ろしさ」
そうなのだ、古今東西の戦争でどれだけの善良な人間が「命令に従う」という言葉で残虐行為に手を染めてきたか。先月読んだ『ペンツベルグの夜』でもそうだった。「命令だったから」その言葉を免罪符にして人間はいくらでも悪魔になれる。その恐ろしさ。ここが作者が本当に言いたかったことではないか。

四季版ではフィッツジェラルドは最後に命令に逆らってフローを逃そうとする。ここはほっとした。脚本家も彼には人間らしくあってほしかったのだろう。原作の意図とは違うが、これはフローとグレイの物語なので、そこはあえて改変したのだろう。ボブのいう通り「とても美しい物語のハッピーエンド」にするために。

こうしてみると舞台版「ゴースト&レディ」は原作『ゴーストアンドレディ』とだいぶ違う。それでもちゃんと原作リスペクトが感じられるし、何よりミュージカル作品として曲もストーリーも素晴らしい。長く愛される作品になるに違いない。いつか生で観劇したいと願っている。
「ゴースト&レディ」雑感

「ゴースト&レディ」雑感

名古屋公演千秋楽配信を見て感じたこと。

演出が変わった?いくつか違いを感じた場面があった。
東京公演の配信を見てから時間がたっているので記憶も薄れていたり、その間にサントラ盤を聴いて音から想像していたこともあり、果たして今回の公演で変わったのか、元からだったのをカメラワーク等で気づかなかっただけなのか、はっきりしないが。

2幕冒頭のグレイが観客に話しかけるところ。ここは多くの人が今回の変更点としてあげているので間違いないだろう。1幕冒頭でグレイがこの物語が彼が語る芝居であることを明言しているので、2幕もそれにならってこの物語の構造を観客にあらためて意識させる作りになっている。グレイが楽しそうで可愛い。

終盤フローの臨終場面、魂が抜け出たフローを見てボブが声を上げてフローに「シー!」と言われる場面。東京ではこれだけだったと思うけど、今回はさらにフローとグレイを見たボブが声を上げ、何を見ているのかと聞かれて、「とても美しい物語のハッピーエンドを」と答えるところ。別に無くてもいい場面だけど、ボブがこれでフローの幸せを感じられたのなら、ボブの心の平安のために良かったと思う。

1幕、デオンが「クリミアの天使」の存在を知り、「天使?やっと見つけた!」と歓喜の声を上げ、舞台下手の上方にチラっと姿を見せるところ。ここは以前は声だけだったと思うけど、カメラに写っていなかっただけかもしれない。
この場面の前にグレイがジョン・ホールの魂を麻痺させた時に声だけで「何者だ?」と誰何してたのと合わせて、思い切りデオンの登場に期待を持たせる場面だ。以前はここでも声だけだったので、1幕最後の満を持しての登場のインパクトが凄かった。あの名曲「不思議な絆」せっかくのフローとグレイのデュエットの余韻を吹き飛ばしてのデオンさまの登場だったもの!

本国から派遣された衛生委員会が病院の構造を調査して、床下の下水管の破損を発見した場面。汚水を吸い上げ汚染された壁を触ったエイミーに、アレックスがハンカチを渡し、お礼を言ってハンカチを返したエイミーに小さな花を渡す場面。こんな場面あったっけ?と驚いたが、ここも前回は舞台の上方での芝居に気を取られて見逃していた可能性もある。この場面があった方がエイミーの結婚宣言の唐突さは薄れる。

印象が変わったところもある。
グレイが馬車の中でフローにじぶんは他の幽霊たちと違うと説明するところ。こんなにいろいろゴースト出さなくてもいいのにと思っていたけど、何回も見てるうちにそれぞれのゴーストたちの動きがおもしろくなってきた。グレイがどんなゴーストかという説明にもなっている。

2幕、ヴィクトリア女王の場面。素っ頓狂な歌声に最初はちょっとイラついた。でもここも慣れてくると、女王やお付きのものたちの動きが面白く、その素っ頓狂さも高貴な存在の悪意なき傲慢というか、ちゃんと慈悲の心もありつつでも自ら手を汚すことはしない支配者の立場があらわれていた。「御自ら手紙を書き」って、普通は手紙も自分で書かない身分なんだなあ。ましてや戦場に慰問に行くなんてことはしないんだろうなあ。ここは滑稽さを楽しめばいいと悟った。
この素っ頓狂な「限りなき感謝を」という歌が、終盤フローの危篤の報に市民たちが歌うリプライズで荘厳なレクイエムになる。同じメロディなのにこんなに違うのかと感心した。

2幕、ジャック(=生前のグレイ)とシャーロットが酒場で飲み比べをする場面。ここは長いなあ、もっと短くてもいいのに、とちょっと飽きてくる場面だったけど、考えてみるとこの時が生前のグレイにとって1番幸せな時間だったんだなあ。そう思ったら切なくなった。せめてこの時だけでも思いっきりハメを外して騒げばいいさと、応援したくなった。

最後にデオンさまについて。
たぶん原作者も意外だったほどの人気でしょう。正直原作のデオンはちょっと気持ち悪い性癖の人物で、あまり魅力は感じなかった。でもキャストが岡村美南さんと宮田愛さんという、「ノートルダムの鐘」でエスメラルダだった二人だと知った時から楽しみにしていた。2回鑑賞した「ノートルダムの鐘」でそれぞれのエスメラルダを見ていたので、美しさと踊りには期待できたから。そして期待以上でした!
いやもうデオンさまデオンさまで、我が家では「君がクリミアの天使か」という1幕最後の台詞を何度も繰り返し、それに対して「はい、はい!わたしがクリミアの天使です!」と図々しくも自分から名乗ってデオンさまに注目してもらおうとする、アホな寸劇を繰り広げている。

デオンがなぜフローを殺したいかという理由が切ない。女性でありながら男性として生き、シュヴァリエ・デオンとして栄光の日々を送ったが、後半生は輝き失い女性と知られて惨めな最期を遂げた。人間としての最期が惨めなものだったからこそ、ゴーストとしての最期は栄光に満ちたものでありたいと願った。小物を殺して消滅するなど論外、最期に相応しい人間を殺して華々しく散りたいと歌う。
でも「女はつまらん」という言葉こそデオンにかけられた呪いだと思うが、その呪い自体を解く考えには至らなかったのは残念だ。女であることに価値を見出せなかったのは、時代のせいもあるけど彼女の限界だったのか。そこいくとフローは本当に強かったなあ。

原作のデオンにはこんな思いを抱かなかったので、これはミュージカル独自の解釈。

そもそも実在のデオンは謎の人で、wikipediaによると、前半生は男性として、後半生は女性として生きた、って何それ? 本当はどっちだったのか、正確には分かっていないそうだけど、実に興味深い人物で、これでは色々脚色したくなるだろうなあ。
劇団四季「ゴースト&レディ」名古屋公演 ライブ配信

劇団四季「ゴースト&レディ」名古屋公演 ライブ配信

劇団四季「ゴースト&レディ」名古屋公演

8月31日の千秋楽公演のライブ配信を、「劇団四季ライブチャンネル」で視聴。
「UーNEXT」と「Rakuten TV」でも視聴出来たのだけれど、字幕付きの「劇団四季ライブチャンネル」を選んだ。
ライブ配信のあとは9/3〜9/10のアーカイブ配信を視聴している。気になるところを確認できるのでありがたい。

キャストはフロー役の谷原志音さんは東京公演のLIVE配信と同じで、グレイ、ジョン・ホール、デオン、エイミー、アレックス、ボブ、など主要な役がそれぞれ東京とは違っていた。演出も少し違うところもあったけど、キャストみんな素晴らしく感動は変わらなかった。いや〜やっぱりいいわ、この作品、大好きだ!

昨年のライブ配信以来サントラ盤を毎日聴きまくっていたけど、やはり作品全体を通して鑑賞すると、忘れていた部分もありキャストの違いで役の印象が違ったり、新しい発見があり楽しかった。もう今日で配信も終わりなので名残惜しい。

フローの谷原さんはより迫力を増した歌唱と演技。「絶望のどん底で」の覚悟を決めた時の凛々しさ、「走る雲を追いかけて」のスカートをたくし上げてぐいぐいと進む勇ましさ、雪原で「さあ、撃てばいい!とホールに対峙し、グレイに「今なのよ!」と絶叫する姿に、毎回涙してしまう。

グレイの加藤迪さん、幕開けではちょっと硬いかなと感じたが、だんだん気にならなくなった。萩原さんより若いので、フローとの関係が同年代の仲間っぽい。そして歌がすごく上手くて谷原さんとの声の相性がとても良かった。

ジョン・ホールの瀧山久志さんは、どっしりとした悪役で、怒鳴り声がマジで怖かった。低音のすごくいい声で聴き惚れる。

デオンの宮田愛さん、きゃーデオンさま!東京の岡村さんが妖艶だったのにくらべて宮田さんは冷徹な感じ。どちらも素敵❤️ グレイに蹴り入れるところとか、踏みつけるところ、「トレビアン!」と叫ぶところ、もういちいち素敵。

エイミーの竹田理央さん、理想に燃えた良家のお嬢さんが、現実の厳しさを知り自身の不甲斐なさを嘆く姿がリアルだった。クリミアへ行く船に乗船する時、伯母にボンネットのリボンを結んでもらい、意気込んだ「むん!」って表情するのが可愛くて可愛くて。無垢で純真でまだ挫折をしらない少女だった。

アレックスの分部惇平さん、イケメン過ぎないか? ちゃっかりエイミーを攫っていくのが憎らしい。今回見て、エイミーにハンカチ貸したり花を贈ったりしてるのに気がついた。前からそうだっけ?

ボブの菱山亮祐さん、東京の平田了祐さんより体格はいいけど、丸顔で童顔でより原作のボブに近かった。この舞台では17才だけど、原作の漫画ではもっと幼かったから。

ヴィクトリア女王の近藤きららさん(東京でも同じ)フローの母親役も兼ねているけど、この女王さま相変わらずパワフルで面白い。シリアスなストーリーの中で唯一おかしくって楽しい場面。「デイア ミス ナイチンゲール!」や「大変であろう」の言い方、体と手の使い方に毎回爆笑している。


ストーリーと役者さんの演技が素晴らしく、ラストには画面に向けて自然と拍手していた。出来れば生で見たかった。これから大阪公演があるけど、また絶対東京でも再演あることを信じて待っている。
『最後の晩ごはん』21

『最後の晩ごはん』21

『最後の晩ごはん 21 さびしんぼうと大きなシュウマイ』
椹野道流・著 角川文庫 2025年

このシリーズももう21巻。料理が美味しそうなのと、いずれも傷ついた過去を持つ登場人物たちの、ぎこちない交流から生まれる優しい雰囲気が心地よくて、続けて読んでいる。
霊が視える体質の海里、無骨だが繊細で腕のいい料理人の夏神、海里に救われた眼鏡の付喪神のロイド(人間に変身できる)。この3人で営業する日没から日の出までという変わった営業時間の「ばんめし屋」が舞台。この世に心残りのある幽霊に、最後の晩ごはんを振る舞い成仏するのを見送ったり、大切な人の思い出と鎮魂のために料理を再現したり、その間に様々な人間模様が描かれる。
著者の体調不良のため最初の頃より刊行頻度が落ちているけど、これからも楽しみにしている。
『対馬丸』

『対馬丸』

『対馬丸ーさようなら沖縄ー』
大城立裕・原作 理論社フォア文庫

大城立裕『対馬丸』を元にしたアニメ映画を、紙芝居のようにページの上段にアニメの一場面、下段に文章を配している。

子ども用だけど、原作『対馬丸』を忠実に再現してあり感心した。戦時中の状況も学童疎開がはじまったいきさつもちゃんと描かれおり、立派な平和教育になっている。『海鳴りのレクイエム』の中にも、このアニメ映画の成功に尽力した事が書かれていた。
原作を読むのが無理なら、この作品だけでもぜひみんなに読んでほしい。原作の伝えたいことがわかりやすくしっかりと描かれている。
『海鳴りのレクイエム』

『海鳴りのレクイエム』

『海鳴りのレクイエムー「対馬丸そうなん」の友と生きるー』
平良啓子・著 1985年 民衆社

副題にもあるとおり、著者は対馬丸の生存者であり証言者である。インタビューでなく彼女の生の声を知りたくて読んでみた。
映画のインタビューでも感心したが、とても聡明で意志の強い人だ。生い立ちから対馬丸事件、救助後の事、終戦後の生活、沖縄の本土復帰、今も抱える問題など、丁寧に書かれている。一貫しているのは、戦争への怒りと平和への強い思い、故郷沖縄への深い愛情、そして対馬丸で逝った多くの人々への鎮魂の思いだった。それがストレートに伝わってくる。

著者は2023年に逝去。長く教職にあり、常に子どもたちに戦争の残酷さと平和の尊さを伝え続けてきた著者の、真摯な思いをしっかりと受け止めていかなければならないと、あらためて思った。
5年半ぶり

5年半ぶり

土曜日にネット友人たちとランチ会があり、5年半ぶりに有楽町へ行ってきた。コロナ禍前の2020年2月に行ったのが最後だった。この日の為に体調を整えていたが、当日になるまで不安だった。

場所は国際フォーラム地下のベトナム料理店。国際フォーラムへはいつもコンサートかミュージカルの鑑賞で来ていたので、わりと馴染みはあったけど地下の店は初めてで、行くのに少し戸惑った。
メンバーは娘とわたし、そしてあとお三方。無事合流できて、食事も美味しくお喋りもいっぱいできて、その後店を変えてコーヒーとケーキでまたお喋り。
食事はランチメニューでフォーのセットを頼んだ。サイドメニューは生春巻きと揚げ春巻きにした。食べる前はサイドメニューは無理かと思って生春巻き一つは娘に頼むつもりだったのに、美味しくてつい全部食べてしまった。お腹の調子を見て別店でのケーキはやめてコーヒーだけにした。

Zoom 読書会で顔を合わせていたので、そんなに久しぶりという感じはしなかったけど、やはりリアルに会えるのは嬉しくて話も弾む。先日の新宿御苑に欠席なさったお一人とは、本当に5年半ぶりにお会い出来た。
思えばもう20年以上のお付き合いになる。それぞれ話題が豊富でいつまでも聞いていたいし、こちらもつい勢いこんで話してしまう。毎回幸せな時間をいただいている。

5時近くに散会。この後教文館にも行きたかったけど時間的に今回は諦めた。またの機会を楽しみにしている。

これで新宿に続き東京都内への遠征も無事済んだ。今はまだ県内への外出がメインだけど、ぼちぼち遠出にも慣れていこう。
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