『他者の靴を履くーアナーキックエンパシーのすすめ』追加感想

『他者の靴を履くーアナーキックエンパシーのすすめ』追加感想

『他者の靴を履くーアナーキックエンパシーのすすめ』ブレイディみかこ・著 文春文庫 2024年

先日読了した後、とんでもないことに気がついた。何と目次の前の「はじめに」を読んでいなかったのだ。読んでいればエッセイでなく「エンパシー」についての考察本だということを最初から理解して、ある程度身構えて読んでいただろうし、最初の戸惑いはもっと小さかっただろう。
感想自体はそれを読んでいてもいなくても大して変わらないが、自分の勝手な思い込みが内容に入り込むのを遅らせたのでそれが残念だった。

読書会で言われていたけど、エンパシーの入門書だという言葉に、なるほどと思った。頭を悩ませたさまざまな文献は、もっと知りたければこれを読めばいいという親切な案内だったのだ。
そういう定義についての部分より、具体的な事柄人物がでてくるとやはりわかりやすくなる。また著者の経験からイギリスの幼児教育の現場でなされる「感情を言語化することを教える」部分にはとても引きつけられた。確かにこれは自然に身につくこともあるだろうが、ある程度訓練で皆に身につけられる。日本で導入するのは無理かな。

「エンパシー」の定義については、すこしずつ言葉と表現を変えて何度も出てくるけど、結局はこれかと思ったのが

「自分自身が感情的に巻き込まれて判断力に影響をおよぼすことなく、他者の感情を理解する能力」

感情的に巻き込まれる、という文言が耳に痛い。
わたしは若い頃「自分の事ばかり考えないで、人のためになる生き方をしなさい。人を思いやりなさい」とことある事に言われていたので、反発しながらも自然とそういう考えかたになり、気がついたら自分より他者を優先する習慣がついていた。その時今度は「お前には自分というものがないのか」と非難された。

それこそ「他者の靴を履くこと」と「他者の顔色を窺う」ことが紙一重になり混ざりあってしまった苦い経験だった。

まず自分の靴をしっかり履いていないと、他者の靴を履くことは出来ない。つくづくそう思う。

この本で「アナーキー」の本来の定義を知ることが出来たのは大きい。ではアナーキーをもっと学び実践していけば、正しいエンパシーを身につけることができるのか。それはこの今の社会をより良くしていく力になり得るのか。はっきりとはわからない。

少なくとも「わたしはわたし自身のもの。誰の支配も受けない」と堂々と言えるような生き方をしたい。

この言葉は先月読んだ児童書『迷い沼の娘たち』の最後に出てきた言葉と重なる。こういうつながりがあると読書がより楽しくなる。

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