『あの人と、あのとき、食べた。』
『あの人と、あのとき、食べた。』
椹野道流/著 二見書房 2025年
著者の作品をラノベで読んでいたのはもう25年くらい前だけど、コロナ禍の頃SNSとwebのエッセイを知り、特にエッセイはコロナに感染して寝込んでいた頃楽しみに読んでいた。
この本の内容も、ちょくちょくエッセイで読んでいたのと重複するところもある。でもそれを「誰かと何かを食べる」という括りでまとめると、訴えかける思いがさらに強くなる気がする。「食」にまつわる思い出は、それだけ人に懐かしさを与えるようだ。読んでいて色々思い出してきた。
著者は関西在住なので、わたしにとって懐かしい言葉が出てくる。
「かしわ」
鶏肉のことをこう呼ぶ。鶏肉は「かしわ屋」で買い、普通の肉屋では売ってなかった。そういえば豚肉ってあまり食卓に上がらなかったな。肉といえば牛肉だったから。
「煮る」を「炊く」と言う。
あー懐かしい。「〇〇を煮たもの」を「〇〇の炊いたん」と言ってたなあ。
デパートの大食堂やクリームソーダの思い出など、子ども時代の思い出には共通点がある。
我が家は商売をやっていたので食事の支度は祖母が受け持っていた。だからわたしのいわゆる「おふくろの味」はそのまま祖母の味である。
手際よくのり巻きを巻いていく祖母の手先を、わくわくしながら見ていた思い出。のり巻きを切った時の端っこをもらうのが楽しみだった。
魚料理はいつも鯖の煮付け。当日よりも翌日の煮凝りが美味しかった。
油揚げにひき肉、にんじん、椎茸、シラタキを詰めてかんぴょうで口を縛り、その形から巾着と呼んでいた料理は、わたしの1番の好物で、これも翌日のほうが味が沁みて美味しかった。祖母が具材を詰める時は、見るだけでなく手伝いも喜んでしていた。わたしが最初に料理らしい料理をしたのは、この巾着が初めてだった。具材を混ぜるのを忘れてそれぞれの具材ごとに固まってしまい、食べる時に家族に笑われたけど。
著者のエッセイでは、家を建てる話を楽しみに待っているのだが、こちらのほうが先に出てしまった。これはこれで楽しく読めた。
椹野道流/著 二見書房 2025年
著者の作品をラノベで読んでいたのはもう25年くらい前だけど、コロナ禍の頃SNSとwebのエッセイを知り、特にエッセイはコロナに感染して寝込んでいた頃楽しみに読んでいた。
この本の内容も、ちょくちょくエッセイで読んでいたのと重複するところもある。でもそれを「誰かと何かを食べる」という括りでまとめると、訴えかける思いがさらに強くなる気がする。「食」にまつわる思い出は、それだけ人に懐かしさを与えるようだ。読んでいて色々思い出してきた。
著者は関西在住なので、わたしにとって懐かしい言葉が出てくる。
「かしわ」
鶏肉のことをこう呼ぶ。鶏肉は「かしわ屋」で買い、普通の肉屋では売ってなかった。そういえば豚肉ってあまり食卓に上がらなかったな。肉といえば牛肉だったから。
「煮る」を「炊く」と言う。
あー懐かしい。「〇〇を煮たもの」を「〇〇の炊いたん」と言ってたなあ。
デパートの大食堂やクリームソーダの思い出など、子ども時代の思い出には共通点がある。
我が家は商売をやっていたので食事の支度は祖母が受け持っていた。だからわたしのいわゆる「おふくろの味」はそのまま祖母の味である。
手際よくのり巻きを巻いていく祖母の手先を、わくわくしながら見ていた思い出。のり巻きを切った時の端っこをもらうのが楽しみだった。
魚料理はいつも鯖の煮付け。当日よりも翌日の煮凝りが美味しかった。
油揚げにひき肉、にんじん、椎茸、シラタキを詰めてかんぴょうで口を縛り、その形から巾着と呼んでいた料理は、わたしの1番の好物で、これも翌日のほうが味が沁みて美味しかった。祖母が具材を詰める時は、見るだけでなく手伝いも喜んでしていた。わたしが最初に料理らしい料理をしたのは、この巾着が初めてだった。具材を混ぜるのを忘れてそれぞれの具材ごとに固まってしまい、食べる時に家族に笑われたけど。
著者のエッセイでは、家を建てる話を楽しみに待っているのだが、こちらのほうが先に出てしまった。これはこれで楽しく読めた。
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