映画「手に魂を込め、歩いてみれば」追記
映画「手に魂を込め、歩いてみれば」
2/6に見た直後一気に書いたけど、書ききれなかったことを、もう少し。
ファトマと監督の通信は、基本それぞれの自宅からのだけど、時にはそれぞれ違う場所からのことがある。そしてその事情は大きく違う。監督の場合は仕事の都合なのだろう、自宅のフランスの他にカナダやイタリアからの通信があった。ファトマはわざわざWi-Fi環境の良い友人宅へ赴いたり、自宅からやむなく避難させられたシェルターからだったりした。場所が変わることが、国を跨ぎ行きたい場所へ行ける監督の自由さと、そうせざるを得ないファトマの不自由な環境の差を表していて、たまらない気持ちになった。でもそんな時ファトマは本当に無邪気に「わあ羨ましい!私もいつか行きたい」と笑顔で言う。ああ、この彼女の笑顔がいつか本当に外の世界で見られる日が来てほしかった。
写真を撮る為外出する際にはビルの上にスナイパーが居ないか確認する、という言葉にはぞっとした。ビルの上で通話している最中に、近所で爆撃があり彼女の居るそのビルも揺れている。爆撃があった時はビルの上か下かどちらに行くのか、という質問には「下に行く」と答える。向こうに爆撃されたビルが煙を上げているのが見える。今まさに爆撃の最中なのだということが、ひしひしと感じられる。
こんな状況下ではいつ彼女の身に何が起こるかわからない。だから監督がファトマと通話するたび、呼び出し音が何回か聞こえファトマの笑顔が現れると、ホッとしていたけど、それは当然のことだ。今日も彼女の無事を確認できたのだから。スマホ越しに話すファトマの映像をずっと見ているので、わたしたちも監督と同じ気持ちになる。どうぞ無事でいてと祈る。
ネットがつながり現れる彼女はいつも笑顔だ。でも時間がたつにつれ、厳しい表情疲れた表情も見せるようになる。それでも少しだけど笑顔は見せてくれる。監督がいつもヒジャブをつけている彼女に「あなたの髪が見たい」と言うと、「これは録画しているからだめ」と言う。たしか宗教上の決まりで、女性の髪は親しい人にしか見せられないのだったか。でもその後の映像で、どうもヒジャブを付け直す様子があったので、撮影してない時に監督にだけ見せたのだと思う。ファトマが監督に心を許しているのがわかってよかった。
監督が、何がしたいか希望を聞いた時「外に出たい!いろんなところに行きたい!」と世界中に向けて宣言するように大きな声で叫んだファトマ。街をどんどん歩いて行く、でもそこには壁がある、と言う言葉に、ガザを取り巻く壁の存在があらためて意識された。そうなのだ、ガザはイスラエルによって周囲を壁やフェンスで囲まれ、人や物資の移動が制限され「天井のない牢獄」と呼ばれている。これが国際社会で許されていることが納得できない。昨年見た映画「壁ぼ外側と内側」でヨルダン川西岸地区にも、壁が存在することを知って驚いた。
モールス信号の話が出た時監督が「刑務所にいた時覚えた。収容者同士で話をするために」と言った時は驚いた。いつのことだろう、と思ったら、パンフレットに16歳で投獄され18歳で故郷イランを離れた、とある。監督の経歴もなかなかだ。監督がファトマに母国イランのことを「かつてイランには国王がいて、国王を倒したら良くなると思っていたら、そうはならなかった。どんどん悪くなった。もう45年もたつのに」と話していた。パーレビ国王の国外追放ってもう45年も前なのか、とそれにびっくりした。13歳から反体制活動をしていたという監督は、宗教にも少し距離を置いているようだ。
ファトマが「この世の出来事には全て意味がある。アラーが言っている」と言った時「それには賛成できない」とさらっと言っていた。その宗教感の違いに、お互い深く干渉していない様子も好ましかった。
最後の通信で、カンヌ映画祭出品の話に歓声を上げていたファトマ。「パスポート送ってくれた?」と監督が聞いていた。彼女がカンヌに行くのは、実際には無理だとしても手続きしようとしていたのだろう。でもファトマは「必ずガザに帰ること」を条件にしていた。ここが自分の生まれた場所で自分のいるべき所だという、強い思いがあったのだろう。
その翌日イスラエルのミサイルが彼女の家を爆撃し、彼女と彼女の家族は亡くなった。殺された。
2025年5月2日に確認されたガザ地区のジャーナリストの殺害は211人、このうち28人が女性ジャーナリスト。ガザには外部のジャーナリストは入れない。ガザで起きていることを知るには、ガザにいるジャーナリストたちだけが頼りだ。それを知っているのだろう、イスラエルはジャーナリストを標的にしているという。これ以降もジャーナリストの殺害は続いている。自分たちに都合の悪い報道をするジャーナリストは、容赦なく排除しようとしている。ファトマもその犠牲になった。
なぜこんな非人道的な行いが見過ごされているのか。ガザだけでない。ヨルダン川西岸地区も同じだ。世界はいつまでこんな非道を許しているのか。どうすればこの虐殺は終わるのか。監督の言葉「アメリカがイスラエルを支持しなくなったら…」もうそれしかないのかもしれない。どんなに小さな希望でも、希望を捨てたら終わりだ。せめてその希望を持ち続けていきたい。
2/6に見た直後一気に書いたけど、書ききれなかったことを、もう少し。
ファトマと監督の通信は、基本それぞれの自宅からのだけど、時にはそれぞれ違う場所からのことがある。そしてその事情は大きく違う。監督の場合は仕事の都合なのだろう、自宅のフランスの他にカナダやイタリアからの通信があった。ファトマはわざわざWi-Fi環境の良い友人宅へ赴いたり、自宅からやむなく避難させられたシェルターからだったりした。場所が変わることが、国を跨ぎ行きたい場所へ行ける監督の自由さと、そうせざるを得ないファトマの不自由な環境の差を表していて、たまらない気持ちになった。でもそんな時ファトマは本当に無邪気に「わあ羨ましい!私もいつか行きたい」と笑顔で言う。ああ、この彼女の笑顔がいつか本当に外の世界で見られる日が来てほしかった。
写真を撮る為外出する際にはビルの上にスナイパーが居ないか確認する、という言葉にはぞっとした。ビルの上で通話している最中に、近所で爆撃があり彼女の居るそのビルも揺れている。爆撃があった時はビルの上か下かどちらに行くのか、という質問には「下に行く」と答える。向こうに爆撃されたビルが煙を上げているのが見える。今まさに爆撃の最中なのだということが、ひしひしと感じられる。
こんな状況下ではいつ彼女の身に何が起こるかわからない。だから監督がファトマと通話するたび、呼び出し音が何回か聞こえファトマの笑顔が現れると、ホッとしていたけど、それは当然のことだ。今日も彼女の無事を確認できたのだから。スマホ越しに話すファトマの映像をずっと見ているので、わたしたちも監督と同じ気持ちになる。どうぞ無事でいてと祈る。
ネットがつながり現れる彼女はいつも笑顔だ。でも時間がたつにつれ、厳しい表情疲れた表情も見せるようになる。それでも少しだけど笑顔は見せてくれる。監督がいつもヒジャブをつけている彼女に「あなたの髪が見たい」と言うと、「これは録画しているからだめ」と言う。たしか宗教上の決まりで、女性の髪は親しい人にしか見せられないのだったか。でもその後の映像で、どうもヒジャブを付け直す様子があったので、撮影してない時に監督にだけ見せたのだと思う。ファトマが監督に心を許しているのがわかってよかった。
監督が、何がしたいか希望を聞いた時「外に出たい!いろんなところに行きたい!」と世界中に向けて宣言するように大きな声で叫んだファトマ。街をどんどん歩いて行く、でもそこには壁がある、と言う言葉に、ガザを取り巻く壁の存在があらためて意識された。そうなのだ、ガザはイスラエルによって周囲を壁やフェンスで囲まれ、人や物資の移動が制限され「天井のない牢獄」と呼ばれている。これが国際社会で許されていることが納得できない。昨年見た映画「壁ぼ外側と内側」でヨルダン川西岸地区にも、壁が存在することを知って驚いた。
モールス信号の話が出た時監督が「刑務所にいた時覚えた。収容者同士で話をするために」と言った時は驚いた。いつのことだろう、と思ったら、パンフレットに16歳で投獄され18歳で故郷イランを離れた、とある。監督の経歴もなかなかだ。監督がファトマに母国イランのことを「かつてイランには国王がいて、国王を倒したら良くなると思っていたら、そうはならなかった。どんどん悪くなった。もう45年もたつのに」と話していた。パーレビ国王の国外追放ってもう45年も前なのか、とそれにびっくりした。13歳から反体制活動をしていたという監督は、宗教にも少し距離を置いているようだ。
ファトマが「この世の出来事には全て意味がある。アラーが言っている」と言った時「それには賛成できない」とさらっと言っていた。その宗教感の違いに、お互い深く干渉していない様子も好ましかった。
最後の通信で、カンヌ映画祭出品の話に歓声を上げていたファトマ。「パスポート送ってくれた?」と監督が聞いていた。彼女がカンヌに行くのは、実際には無理だとしても手続きしようとしていたのだろう。でもファトマは「必ずガザに帰ること」を条件にしていた。ここが自分の生まれた場所で自分のいるべき所だという、強い思いがあったのだろう。
その翌日イスラエルのミサイルが彼女の家を爆撃し、彼女と彼女の家族は亡くなった。殺された。
2025年5月2日に確認されたガザ地区のジャーナリストの殺害は211人、このうち28人が女性ジャーナリスト。ガザには外部のジャーナリストは入れない。ガザで起きていることを知るには、ガザにいるジャーナリストたちだけが頼りだ。それを知っているのだろう、イスラエルはジャーナリストを標的にしているという。これ以降もジャーナリストの殺害は続いている。自分たちに都合の悪い報道をするジャーナリストは、容赦なく排除しようとしている。ファトマもその犠牲になった。
なぜこんな非人道的な行いが見過ごされているのか。ガザだけでない。ヨルダン川西岸地区も同じだ。世界はいつまでこんな非道を許しているのか。どうすればこの虐殺は終わるのか。監督の言葉「アメリカがイスラエルを支持しなくなったら…」もうそれしかないのかもしれない。どんなに小さな希望でも、希望を捨てたら終わりだ。せめてその希望を持ち続けていきたい。

コメントを書く...
Comments