村上雅郁の本 『りぼんちゃん』他 | 日々の雑記
村上雅郁の本 『りぼんちゃん』他

村上雅郁の本 『りぼんちゃん』他

以前つけていた読書ノートを見つけた。その頃思いたって、読んだ本の記録を少しでも残しておこうと書いていたのだ。いつからつけなくなったのかとたどっていったら、コロナ感染した頃で止まってた。その後リフォームの為の引っ越しとか入院とか体調不良とかで、すっかり記録が止まっていた。読み直してると、忘れてることの方が多くて、やっぱり記録は残しておくものだなと思った。

簡単なメモが多いその中で、ものすごい熱量で書いてあるのが、村上雅郁の『りぼんちゃん』だった。詳しい内容は書いてなくてただただ感情のままに書き殴ってあった。何だこれは。
お行儀よくまとめた文を読むより、めちゃくちゃだけど、胸と瞼が熱くなる。書き抜いてみよう。

村上雅郁の本は当時は市の図書館には入ってなかったので『あの子の秘密』と『キャンドル』は他館から取り寄せてもらって読んだ。(今はこの2作品も推薦図書になったこともあり、所蔵している)少しだけ感想メモがあった

『あの子の秘密』2019年 フレーベル館
 なんかみんなそれぞれ秘密があったけど、意外な子の秘密に「ああ!」となった。

『キャンドル』2020年  フレーベル館
 村上雅郁の本は心にぐさぐさくる。構成も上手い。ずっと追いかけたい作家。

『りぼんちゃん』は新刊の時にリクエストしたので運良く購入してくれた。

『りぼんちゃん』2021年 フレーベル館

タイトルと表紙のかわいい絵でだまされるな!とんでもない苦いクスリだぞ!
子どもだから大人にまじめに相手にされないってつらい。本当に精神的虐待を受けている理緒はもちろんだけど、朱里の描写に思い当たることがいっぱいあって辛い。これ全ての子どもに経験あると思う。
言いたいこと、思ってること、正確に伝えられなくて、そのうち思ってもいないことを言ってしまい、呆れられ、ますます相手から(親からも姉からも友人からも)侮られる存在になってしまう。悔しくて悲しくて、読んでて何度も涙が出てしまう。大人は忙しくてかまってられないとか言い訳だ。いや少しは本当か。自分はこんな大人に絶対ならないと決心していたのに、いつのまにか同じことを自分の子どもにもしている。反省。いや、親になるといろいろ忙しいんだよと言いたいけど…それは本当に言い訳だ。

朱里の言葉がいちいち突き刺さる。

ーわたしの言葉なんてまともに聞いてくれない。体がちいさい、子どもっぽいから軽んじてじていい存在だとみなされる。困っていてもどうせ大したことないと思われる。大人になりたい。だれかを守れる人になりたいー

ーひどいよね、子どもだから何もできないのに、子どもだから助けがほしいのに、だからもういい。大人のことはどうでもいい。どうせ助けてくれない。だったら自分で何とかするしかない。
聞いてほしいときは無視しておいて、子どもだからってあなどっておいて、虫がよすぎる。わたしたちそういつまでもおとなに期待なんかしてあげないんだからー

でもこの子はちゃんと一歩を踏み出す!

ーどうせわかってもらえないじゃダメ。わかってもらえなきゃいけない。話して、伝えて、おとなたちを動かさないといけないー

そして自分の説明では両親は聞いてくれないので中学生の姉を頼る。この姉もたいしたもの。この案件は児相に報告すべきという。そして厚生労働省の「子ども虐待対応の手引き」を調べあげる。

ーこの国にはちゃんと子を守る制度があってそのためにたくさんの大人たちが働いている。だからまかせてみよう、信じてみよう。
この世界ってサイアクなおとながたくさんいて子どもは傷つけられてばっかりで、ほんとうにいやになるけど、子どもが信じる価値のある大人だっている。いるところにはいるんだよ、ちゃんとー

わたしたちはこの言葉に恥じない大人でいなくては。

このままだとあまりに大人の分が悪いので、朱里の父親の言葉でしめよう。
「子どもの心を大事にできるおとなでありたいよな。がんばらなくちゃ」

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