『森のユキヒョウ』 | 日々の雑記
『森のユキヒョウ』

『森のユキヒョウ』

『森のユキヒョウ』
C.C.ハリントン・作 中野怜奈・訳 岩波書店 STAMP BOOKS 2025年

吃音のある少女マギー。人と話す時にはどうしても言葉が出てこない。その苦しみは教師にも級友にも父親にさえ理解されず、かえって問題児扱いされ転校を繰り返している。とうとう矯正施設へ送られそうになるが、コーンウォールの母方の祖父のところでしばらく過ごす事になる。祖父の暮らす村には太古の森が広がっていた。その森でマギーは自分勝手な飼い主から捨てられていた、ユキヒョウの子ランパスに出会う。人間とは上手く話せないが、動物とならスムーズに言葉が出てくるマギーは、ランパスと次第に心を通わせていく。しかし森を伐採しようとする村の有力者と、ランパスを駆除しようとする村人たちの手が彼らに迫ってくる。

マギーに対する周囲の理解のなさには怒りを覚える。まだ障がいに対する理解も支援も行き届いていない時代(1960年代)のせいとはいえ、あまりにひどい。必死で言葉を出そうとしても上手くいかず、非難と嘲笑から居たたまれず教室から逃げ出せば、学校から問題行動と受け取られ矯正施設をすすめられる。母親を除いて誰も彼女の内面を知ろうともしない。
上手く話せないだけで彼女には知性も感情もある。これはろう者が口話でなく手話で話す姿を見て、時として知能が遅れていると見られることにも通じる。だから豊かな自然の中、優しい祖父のもとでしばらく過ごすことになった時は、彼女のために嬉しかった。

また今の時代にも通じるけれど、きちんとした飼育環境も覚悟もないまま、無責任にも飼い始めた大型動物を、飼育に困ると平気で捨ててしまう人間の勝手さにも腹が立つ。ユキヒョウのランパスもそうやって本来生息するはずのない場所に、たった一匹で捨てられてしまった。

そんな社会の犠牲者ともいえる彼らが出会った森には不思議な力があった。太古の森の木に身をゆだねていたマギーは、木からのメッセージを受け取る。この場面は神秘的で素敵だった。
 「自分にやさしくしてあげて
   人として生きるのは大変なことだから」
言葉としてはっきり聞こえたわけではないが、それはマギーの心を軽くしてくれた。

どうしても人とは上手く話せないマギーだったが、ランパスと森を守るために拙いながらも村人の前で主張する。自分のことではなく、誰かを何かを、大切なもののためなら勇気を出して話すことができた。決してスラスラ言葉が出てきたわけではないが、ゆっくりつかえながらも懸命に話す姿に、父親もようやく理解を示してくれた。

自然の描写が素晴らしく、この太古の森のやさしいおおらかさがマギーを包み込んで、傷ついた心を癒し生きていく勇気と力を与えてくれたのだろう。森や木にはそういう力がたしかにあると思う。

エピローグで、成長し自然保護活動に長年携わってきたマギーの姿が見られる。ランパスのその後も語られる。吃音はあるが、たしかな言葉で聴衆に向かって話すマギー。
「自分の言葉には力があると、マギーは知っていた。」という記述に胸が熱くなる。

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