映画「対峙」
映画「対峙」
フラン・クランツ監督 アメリカ 2021年
WOWOW放送を録画視聴
内容が内容だけに、録画してから半年もずっと見られないでいた。辛かったけど見てよかった。
銃乱射事件の被害者両親と加害者両親の話し合い。ほとんどこの2組の夫婦の会話で進む。行き詰まる緊張感。抑制された静けさがより緊張を呼び、垣間見える激情に胸が苦しくなり、片時も目をはなせない。実際のドキュメンタリーではないのか?と思うほど、それぞれの感情の発露の過程が自然で、優れた脚本と演じ切った俳優が素晴らしかった。最初硬い表情だった夫婦が、最後流れてくる讃美歌を聞くシーンがよかった。
こういう映画の感想なんて何を言っても陳腐で恥ずかしくなるけど、感じたことを少し書いてみたい。
最初はこの話し合いの会場となるある教会の場面から始まるが、この教会の責任者らしき女性の段取りの悪い行動に若干イラっとした。こういう状況に慣れてないのか、予定をきちんと把握できていないのか、とにかくせかせかドタバタしている。会場の設定もテーブルと椅子の設置も要領悪いし、人手不足なのかな。この人最後にもまた要領悪いことやらかすし、でもこういう重苦しい内容なので、あえて日常的な慌ただしさを見せているのかもしれない、とは思った。
最初にこの会談をセッティングしたセラピストがやってくる。その次に1組目の夫婦、その様子から被害者側だと分かる。妻がものすごく緊張していて、夫がそれを宥め、その様子からまだまだ事態を受け入れ難く、夫婦でそれを乗り越えようとしているふうに見えた。
一方の加害者側の夫婦は被害者側より落ち着いているようで、こちらは妻がおずおずと花を相手に差し出すなど気を使っているが、空気読んでないようなどこかぎこちなさがある。この夫婦は意思疎通がそれほど上手くいってないように見える。
セラピストは同席せず当事者だけで話し合いがはじまる。彼らは初対面ではないこと、6年間の間に何回も会ってるし、手紙のやり取りもしていることが会話からわかってくる。
少しずつ近況から話し出し次第に核心に触れていく。「なぜ事件の兆候に気づかなかったか」「どうすればよかったか」…
冷静に見えた双方の夫たちも声を荒らげ涙する。
「みんなは犠牲者10人を悼む。私達は11人を悼む」という言葉にハッとする。彼らはお互い子どもを亡くした親なのだ。
「どんな子だったかなんでもいいから話して」と言う加害者側妻に、答えようとする被害者側の妻。
ここからが凄かった。少し離れていた夫を「側に来て!一緒に居て!」叫び、夫の手を握り体を預けて息子のことを声をつまらせ涙ながらに語る。夫の支えがなければ崩れ落ちてしまいそうな姿から、この夫婦は本当に支え合っていると感じられる。そして彼女はついにある言葉を口にする。その時、ああ彼女はこの一言を言いたくてここに来たのかとわかった。最初にあんなに悩んで緊張していて、夫から今日はもうやめようかとも言われていたのは、このせいだったのか。この言葉を言うのにどれだけ悩み苦しんだろうか。
最後に流れる教会の讃美歌が美しかった。
ダラダラ書いてしまったけど、こんな言葉では伝えきれないほど気持ちが揺さぶれた映画だった。
フラン・クランツ監督 アメリカ 2021年
WOWOW放送を録画視聴
内容が内容だけに、録画してから半年もずっと見られないでいた。辛かったけど見てよかった。
銃乱射事件の被害者両親と加害者両親の話し合い。ほとんどこの2組の夫婦の会話で進む。行き詰まる緊張感。抑制された静けさがより緊張を呼び、垣間見える激情に胸が苦しくなり、片時も目をはなせない。実際のドキュメンタリーではないのか?と思うほど、それぞれの感情の発露の過程が自然で、優れた脚本と演じ切った俳優が素晴らしかった。最初硬い表情だった夫婦が、最後流れてくる讃美歌を聞くシーンがよかった。
こういう映画の感想なんて何を言っても陳腐で恥ずかしくなるけど、感じたことを少し書いてみたい。
最初はこの話し合いの会場となるある教会の場面から始まるが、この教会の責任者らしき女性の段取りの悪い行動に若干イラっとした。こういう状況に慣れてないのか、予定をきちんと把握できていないのか、とにかくせかせかドタバタしている。会場の設定もテーブルと椅子の設置も要領悪いし、人手不足なのかな。この人最後にもまた要領悪いことやらかすし、でもこういう重苦しい内容なので、あえて日常的な慌ただしさを見せているのかもしれない、とは思った。
最初にこの会談をセッティングしたセラピストがやってくる。その次に1組目の夫婦、その様子から被害者側だと分かる。妻がものすごく緊張していて、夫がそれを宥め、その様子からまだまだ事態を受け入れ難く、夫婦でそれを乗り越えようとしているふうに見えた。
一方の加害者側の夫婦は被害者側より落ち着いているようで、こちらは妻がおずおずと花を相手に差し出すなど気を使っているが、空気読んでないようなどこかぎこちなさがある。この夫婦は意思疎通がそれほど上手くいってないように見える。
セラピストは同席せず当事者だけで話し合いがはじまる。彼らは初対面ではないこと、6年間の間に何回も会ってるし、手紙のやり取りもしていることが会話からわかってくる。
少しずつ近況から話し出し次第に核心に触れていく。「なぜ事件の兆候に気づかなかったか」「どうすればよかったか」…
冷静に見えた双方の夫たちも声を荒らげ涙する。
「みんなは犠牲者10人を悼む。私達は11人を悼む」という言葉にハッとする。彼らはお互い子どもを亡くした親なのだ。
「どんな子だったかなんでもいいから話して」と言う加害者側妻に、答えようとする被害者側の妻。
ここからが凄かった。少し離れていた夫を「側に来て!一緒に居て!」叫び、夫の手を握り体を預けて息子のことを声をつまらせ涙ながらに語る。夫の支えがなければ崩れ落ちてしまいそうな姿から、この夫婦は本当に支え合っていると感じられる。そして彼女はついにある言葉を口にする。その時、ああ彼女はこの一言を言いたくてここに来たのかとわかった。最初にあんなに悩んで緊張していて、夫から今日はもうやめようかとも言われていたのは、このせいだったのか。この言葉を言うのにどれだけ悩み苦しんだろうか。
最後に流れる教会の讃美歌が美しかった。
ダラダラ書いてしまったけど、こんな言葉では伝えきれないほど気持ちが揺さぶれた映画だった。
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