『小さなことばたちの辞書』 | 日々の雑記
『小さなことばたちの辞書』

『小さなことばたちの辞書』

『小さなことばたちの辞書』ピップ・ウィリアムズ著 最所篤子訳  小学館 2022年 

マレー博士を中心に『オックスフォード英語大辞典(OED)』の編纂事業に携わった人々。その中の1人の男性にエズメという娘がいた。
彼女の存在はフィクションだけど、この物語に登場するイーディ・トンプソン姉妹は実在する。こういう協力者としての女性たちが確かにいたのだ。
エズメは幼い頃から父親に連れられ、辞書編纂作業のためのスクリプトリウム(写字室)に出入りしていた。そこで「ことば」というものを知り、生涯それに関わっていく。プロローグでエズメが父親が火にくべた「ことば」のカードを救おうとして火の中に手を突っ込む場面がある。彼女の手はそれで酷い火傷を負う。詳しい描写はないがたぶんそのため火傷の跡が醜く残ったのだろう。それは彼女の人生そのもののような出来事に思える。厳しい環境、理不尽な扱い、それでもわずかな理解者に助けられ、彼女は辞典からこぼれ落ちた「ことば」を集め続ける。

「全ての言葉を記録する」という壮大な目標を持ちながら、男性ばかりの編集者の手になるその辞典には、記録されない「ことば」たちがあった。それは女性たち、身分の低いものたち、低所得層の間で使われている、いわば俗語、下品な「ことば」。彼女はそういう切り捨てられた「重要でないとされたことば」を採集していく。
マレー博士宅のメイドリジーから、サフラジェットで女優のティルダから、庶民でごったがえす市場の人々から。それらは彼らが日常よく使っている「ことば」で、ある人が渡してくれた母親が使っていたという「ことば」には、その人の母親への愛情と思い出が満ちていた。でもそういう「ことば」はご立派な辞典には載らないのだ。
そういった「ことば」たちを切り捨てて『大辞典』は出版される。そしてエズメの集めたさまざまな「重要でない、下品な、意味のない」とされた「ことば」たちは、製本され彼女の手に残る。その『女性のことばとその意味』は出版もされず、立派な『大辞典』と比べたらささやかだが、なんと美しい愛情と力強さに満ちた辞書だろう。

切り捨てられた中に「ボンドメイド」ということばがある。
意味は「奴隷娘 はしため 契約に縛られた召使、または死ぬまで奉仕することが定められている者」
これを聞いたリジーが言った言葉
「それ、あたしだね。あたしは死ぬまでマレー家にお仕えするんだから」

そのリジーが終盤でエズメに言う。
「あたしは奴隷じゃないけど、でも自分はボンドメイドだと思っちゃう。
言葉は誰が使うかで意味が変わるとあんたは言う。だからボンドメイドもそのカードの意味と少し違ってもいいじゃないか。
あたしはあんたがこんなちっちゃい頃からあんたのボンドメイドだった。そしてそれを喜ばなかった日は1日だってない」

このリジーの言葉からエズメは「ボンドメイド」の意味を書き加える
「Bondmaid ボンドメイド
愛情、献身、あるいは義務によって生涯結ばれていること」

貶められた「ことば」が、美しい「ことば」に変わったことに、その深い思いに胸が熱くなった。

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