「ゴースト&レディ」雑感ー原作より
雑感で書ききれなかったこと。
藤田和日郎・原作の漫画とは色々違うところもある。
原作ではフローもボブもジョン・ホールも生まれつきゴーストが見える体質だった。舞台ではフローは神からの啓示の後、ボブは瀕死状態から生還した後に見えるようになっている。ジョン・ホールは怪しげな呪術を学んだとか言ってたかな。
ボブが生還する時の歌が「あなたの物語」。これサントラでいい歌だなと聴いていたのに、どの場面で歌われていたのかすっかり忘れていて、エイミーに歌っているのかなと思っていた。今回の配信で、死にかけているボブを呼び戻そうとフローが歌いかけている歌だと気がついた。この場面いいなあ。幽体離脱したボブの表情が、最初キョトンと自分の亡骸を見つめて、次に光に向かって歩き出し(たぶん行き先は天国)、彼に向かってフローが歌いかけてボブが呼び戻される。ここの歌詞の「ハッピーエンディングストーリー♪」に呼応して、フローを見送るボブが「とても美しい物語のハッピーエンドを」と言っていた。
舞台ではボブは17才、原作だともっと幼く12〜3才くらいに見えたけど、でもれっきとした少年兵だからもしかしたら見た目よりは年上だったのかもしれない。
エイミーとアレックスの存在も原作にはない。アレックスがフローに「サムシングフォー」を歌うけど、その4つが原作で生前にグレイが恋人シャーロットに用意したものとほぼ同じだった。
デオンの設定も違う。男でも女でもない、とデオン自身が言っているし、史実でもはっきりしない。原作者の言葉だと一応女装の美剣士という設定らしい(つまり男性?)生命が消える時にその目のなかに宿る「絶望」を見るのが好き、というやばい性癖の持ち主。舞台でのデオンさまとは違う。
どうするのか興味があったのが、ジョン・ホールの部下フィッツジェラルドの最期。わたしは原作を読みながら、いつか必ずこのフィッツジェラルドがジョン・ホールに反旗を翻すと思っていた。理不尽な命令に毅然と立ち向かうフローの姿にいつか絆されるのでは、と期待していたのだ。
だがそんな甘い感傷を、原作者は見事に打ち砕いてくれた。そこに原作の凄みがあった。彼は最期まで命令に忠実にフローを殺そうとした。「命令に従っただけだ」という言葉を残して。その姿にフローの怒りが爆発する。
「命令にただ従ううちに心が麻痺する。これが戦争の本当の恐ろしさ」
そうなのだ、古今東西の戦争でどれだけの善良な人間が「命令に従う」という言葉で残虐行為に手を染めてきたか。先月読んだ『ペンツベルグの夜』でもそうだった。「命令だったから」その言葉を免罪符にして人間はいくらでも悪魔になれる。その恐ろしさ。ここが作者が本当に言いたかったことではないか。
四季版ではフィッツジェラルドは最後に命令に逆らってフローを逃そうとする。ここはほっとした。脚本家も彼には人間らしくあってほしかったのだろう。原作の意図とは違うが、これはフローとグレイの物語なので、そこはあえて改変したのだろう。ボブのいう通り「とても美しい物語のハッピーエンド」にするために。
こうしてみると舞台版「ゴースト&レディ」は原作『ゴーストアンドレディ』とだいぶ違う。それでもちゃんと原作リスペクトが感じられるし、何よりミュージカル作品として曲もストーリーも素晴らしい。長く愛される作品になるに違いない。いつか生で観劇したいと願っている。
藤田和日郎・原作の漫画とは色々違うところもある。
原作ではフローもボブもジョン・ホールも生まれつきゴーストが見える体質だった。舞台ではフローは神からの啓示の後、ボブは瀕死状態から生還した後に見えるようになっている。ジョン・ホールは怪しげな呪術を学んだとか言ってたかな。
ボブが生還する時の歌が「あなたの物語」。これサントラでいい歌だなと聴いていたのに、どの場面で歌われていたのかすっかり忘れていて、エイミーに歌っているのかなと思っていた。今回の配信で、死にかけているボブを呼び戻そうとフローが歌いかけている歌だと気がついた。この場面いいなあ。幽体離脱したボブの表情が、最初キョトンと自分の亡骸を見つめて、次に光に向かって歩き出し(たぶん行き先は天国)、彼に向かってフローが歌いかけてボブが呼び戻される。ここの歌詞の「ハッピーエンディングストーリー♪」に呼応して、フローを見送るボブが「とても美しい物語のハッピーエンドを」と言っていた。
舞台ではボブは17才、原作だともっと幼く12〜3才くらいに見えたけど、でもれっきとした少年兵だからもしかしたら見た目よりは年上だったのかもしれない。
エイミーとアレックスの存在も原作にはない。アレックスがフローに「サムシングフォー」を歌うけど、その4つが原作で生前にグレイが恋人シャーロットに用意したものとほぼ同じだった。
デオンの設定も違う。男でも女でもない、とデオン自身が言っているし、史実でもはっきりしない。原作者の言葉だと一応女装の美剣士という設定らしい(つまり男性?)生命が消える時にその目のなかに宿る「絶望」を見るのが好き、というやばい性癖の持ち主。舞台でのデオンさまとは違う。
どうするのか興味があったのが、ジョン・ホールの部下フィッツジェラルドの最期。わたしは原作を読みながら、いつか必ずこのフィッツジェラルドがジョン・ホールに反旗を翻すと思っていた。理不尽な命令に毅然と立ち向かうフローの姿にいつか絆されるのでは、と期待していたのだ。
だがそんな甘い感傷を、原作者は見事に打ち砕いてくれた。そこに原作の凄みがあった。彼は最期まで命令に忠実にフローを殺そうとした。「命令に従っただけだ」という言葉を残して。その姿にフローの怒りが爆発する。
「命令にただ従ううちに心が麻痺する。これが戦争の本当の恐ろしさ」
そうなのだ、古今東西の戦争でどれだけの善良な人間が「命令に従う」という言葉で残虐行為に手を染めてきたか。先月読んだ『ペンツベルグの夜』でもそうだった。「命令だったから」その言葉を免罪符にして人間はいくらでも悪魔になれる。その恐ろしさ。ここが作者が本当に言いたかったことではないか。
四季版ではフィッツジェラルドは最後に命令に逆らってフローを逃そうとする。ここはほっとした。脚本家も彼には人間らしくあってほしかったのだろう。原作の意図とは違うが、これはフローとグレイの物語なので、そこはあえて改変したのだろう。ボブのいう通り「とても美しい物語のハッピーエンド」にするために。
こうしてみると舞台版「ゴースト&レディ」は原作『ゴーストアンドレディ』とだいぶ違う。それでもちゃんと原作リスペクトが感じられるし、何よりミュージカル作品として曲もストーリーも素晴らしい。長く愛される作品になるに違いない。いつか生で観劇したいと願っている。
コメントを書く...
Comments