「ゴースト&レディ」雑感
名古屋公演千秋楽配信を見て感じたこと。
演出が変わった?いくつか違いを感じた場面があった。
東京公演の配信を見てから時間がたっているので記憶も薄れていたり、その間にサントラ盤を聴いて音から想像していたこともあり、果たして今回の公演で変わったのか、元からだったのをカメラワーク等で気づかなかっただけなのか、はっきりしないが。
2幕冒頭のグレイが観客に話しかけるところ。ここは多くの人が今回の変更点としてあげているので間違いないだろう。1幕冒頭でグレイがこの物語が彼が語る芝居であることを明言しているので、2幕もそれにならってこの物語の構造を観客にあらためて意識させる作りになっている。グレイが楽しそうで可愛い。
終盤フローの臨終場面、魂が抜け出たフローを見てボブが声を上げてフローに「シー!」と言われる場面。東京ではこれだけだったと思うけど、今回はさらにフローとグレイを見たボブが声を上げ、何を見ているのかと聞かれて、「とても美しい物語のハッピーエンドを」と答えるところ。別に無くてもいい場面だけど、ボブがこれでフローの幸せを感じられたのなら、ボブの心の平安のために良かったと思う。
1幕、デオンが「クリミアの天使」の存在を知り、「天使?やっと見つけた!」と歓喜の声を上げ、舞台下手の上方にチラっと姿を見せるところ。ここは以前は声だけだったと思うけど、カメラに写っていなかっただけかもしれない。
この場面の前にグレイがジョン・ホールの魂を麻痺させた時に声だけで「何者だ?」と誰何してたのと合わせて、思い切りデオンの登場に期待を持たせる場面だ。以前はここでも声だけだったので、1幕最後の満を持しての登場のインパクトが凄かった。あの名曲「不思議な絆」せっかくのフローとグレイのデュエットの余韻を吹き飛ばしてのデオンさまの登場だったもの!
本国から派遣された衛生委員会が病院の構造を調査して、床下の下水管の破損を発見した場面。汚水を吸い上げ汚染された壁を触ったエイミーに、アレックスがハンカチを渡し、お礼を言ってハンカチを返したエイミーに小さな花を渡す場面。こんな場面あったっけ?と驚いたが、ここも前回は舞台の上方での芝居に気を取られて見逃していた可能性もある。この場面があった方がエイミーの結婚宣言の唐突さは薄れる。
印象が変わったところもある。
グレイが馬車の中でフローにじぶんは他の幽霊たちと違うと説明するところ。こんなにいろいろゴースト出さなくてもいいのにと思っていたけど、何回も見てるうちにそれぞれのゴーストたちの動きがおもしろくなってきた。グレイがどんなゴーストかという説明にもなっている。
2幕、ヴィクトリア女王の場面。素っ頓狂な歌声に最初はちょっとイラついた。でもここも慣れてくると、女王やお付きのものたちの動きが面白く、その素っ頓狂さも高貴な存在の悪意なき傲慢というか、ちゃんと慈悲の心もありつつでも自ら手を汚すことはしない支配者の立場があらわれていた。「御自ら手紙を書き」って、普通は手紙も自分で書かない身分なんだなあ。ましてや戦場に慰問に行くなんてことはしないんだろうなあ。ここは滑稽さを楽しめばいいと悟った。
この素っ頓狂な「限りなき感謝を」という歌が、終盤フローの危篤の報に市民たちが歌うリプライズで荘厳なレクイエムになる。同じメロディなのにこんなに違うのかと感心した。
2幕、ジャック(=生前のグレイ)とシャーロットが酒場で飲み比べをする場面。ここは長いなあ、もっと短くてもいいのに、とちょっと飽きてくる場面だったけど、考えてみるとこの時が生前のグレイにとって1番幸せな時間だったんだなあ。そう思ったら切なくなった。せめてこの時だけでも思いっきりハメを外して騒げばいいさと、応援したくなった。
最後にデオンさまについて。
たぶん原作者も意外だったほどの人気でしょう。正直原作のデオンはちょっと気持ち悪い性癖の人物で、あまり魅力は感じなかった。でもキャストが岡村美南さんと宮田愛さんという、「ノートルダムの鐘」でエスメラルダだった二人だと知った時から楽しみにしていた。2回鑑賞した「ノートルダムの鐘」でそれぞれのエスメラルダを見ていたので、美しさと踊りには期待できたから。そして期待以上でした!
いやもうデオンさまデオンさまで、我が家では「君がクリミアの天使か」という1幕最後の台詞を何度も繰り返し、それに対して「はい、はい!わたしがクリミアの天使です!」と図々しくも自分から名乗ってデオンさまに注目してもらおうとする、アホな寸劇を繰り広げている。
デオンがなぜフローを殺したいかという理由が切ない。女性でありながら男性として生き、シュヴァリエ・デオンとして栄光の日々を送ったが、後半生は輝き失い女性と知られて惨めな最期を遂げた。人間としての最期が惨めなものだったからこそ、ゴーストとしての最期は栄光に満ちたものでありたいと願った。小物を殺して消滅するなど論外、最期に相応しい人間を殺して華々しく散りたいと歌う。
でも「女はつまらん」という言葉こそデオンにかけられた呪いだと思うが、その呪い自体を解く考えには至らなかったのは残念だ。女であることに価値を見出せなかったのは、時代のせいもあるけど彼女の限界だったのか。そこいくとフローは本当に強かったなあ。
原作のデオンにはこんな思いを抱かなかったので、これはミュージカル独自の解釈。
そもそも実在のデオンは謎の人で、wikipediaによると、前半生は男性として、後半生は女性として生きた、って何それ? 本当はどっちだったのか、正確には分かっていないそうだけど、実に興味深い人物で、これでは色々脚色したくなるだろうなあ。
演出が変わった?いくつか違いを感じた場面があった。
東京公演の配信を見てから時間がたっているので記憶も薄れていたり、その間にサントラ盤を聴いて音から想像していたこともあり、果たして今回の公演で変わったのか、元からだったのをカメラワーク等で気づかなかっただけなのか、はっきりしないが。
2幕冒頭のグレイが観客に話しかけるところ。ここは多くの人が今回の変更点としてあげているので間違いないだろう。1幕冒頭でグレイがこの物語が彼が語る芝居であることを明言しているので、2幕もそれにならってこの物語の構造を観客にあらためて意識させる作りになっている。グレイが楽しそうで可愛い。
終盤フローの臨終場面、魂が抜け出たフローを見てボブが声を上げてフローに「シー!」と言われる場面。東京ではこれだけだったと思うけど、今回はさらにフローとグレイを見たボブが声を上げ、何を見ているのかと聞かれて、「とても美しい物語のハッピーエンドを」と答えるところ。別に無くてもいい場面だけど、ボブがこれでフローの幸せを感じられたのなら、ボブの心の平安のために良かったと思う。
1幕、デオンが「クリミアの天使」の存在を知り、「天使?やっと見つけた!」と歓喜の声を上げ、舞台下手の上方にチラっと姿を見せるところ。ここは以前は声だけだったと思うけど、カメラに写っていなかっただけかもしれない。
この場面の前にグレイがジョン・ホールの魂を麻痺させた時に声だけで「何者だ?」と誰何してたのと合わせて、思い切りデオンの登場に期待を持たせる場面だ。以前はここでも声だけだったので、1幕最後の満を持しての登場のインパクトが凄かった。あの名曲「不思議な絆」せっかくのフローとグレイのデュエットの余韻を吹き飛ばしてのデオンさまの登場だったもの!
本国から派遣された衛生委員会が病院の構造を調査して、床下の下水管の破損を発見した場面。汚水を吸い上げ汚染された壁を触ったエイミーに、アレックスがハンカチを渡し、お礼を言ってハンカチを返したエイミーに小さな花を渡す場面。こんな場面あったっけ?と驚いたが、ここも前回は舞台の上方での芝居に気を取られて見逃していた可能性もある。この場面があった方がエイミーの結婚宣言の唐突さは薄れる。
印象が変わったところもある。
グレイが馬車の中でフローにじぶんは他の幽霊たちと違うと説明するところ。こんなにいろいろゴースト出さなくてもいいのにと思っていたけど、何回も見てるうちにそれぞれのゴーストたちの動きがおもしろくなってきた。グレイがどんなゴーストかという説明にもなっている。
2幕、ヴィクトリア女王の場面。素っ頓狂な歌声に最初はちょっとイラついた。でもここも慣れてくると、女王やお付きのものたちの動きが面白く、その素っ頓狂さも高貴な存在の悪意なき傲慢というか、ちゃんと慈悲の心もありつつでも自ら手を汚すことはしない支配者の立場があらわれていた。「御自ら手紙を書き」って、普通は手紙も自分で書かない身分なんだなあ。ましてや戦場に慰問に行くなんてことはしないんだろうなあ。ここは滑稽さを楽しめばいいと悟った。
この素っ頓狂な「限りなき感謝を」という歌が、終盤フローの危篤の報に市民たちが歌うリプライズで荘厳なレクイエムになる。同じメロディなのにこんなに違うのかと感心した。
2幕、ジャック(=生前のグレイ)とシャーロットが酒場で飲み比べをする場面。ここは長いなあ、もっと短くてもいいのに、とちょっと飽きてくる場面だったけど、考えてみるとこの時が生前のグレイにとって1番幸せな時間だったんだなあ。そう思ったら切なくなった。せめてこの時だけでも思いっきりハメを外して騒げばいいさと、応援したくなった。
最後にデオンさまについて。
たぶん原作者も意外だったほどの人気でしょう。正直原作のデオンはちょっと気持ち悪い性癖の人物で、あまり魅力は感じなかった。でもキャストが岡村美南さんと宮田愛さんという、「ノートルダムの鐘」でエスメラルダだった二人だと知った時から楽しみにしていた。2回鑑賞した「ノートルダムの鐘」でそれぞれのエスメラルダを見ていたので、美しさと踊りには期待できたから。そして期待以上でした!
いやもうデオンさまデオンさまで、我が家では「君がクリミアの天使か」という1幕最後の台詞を何度も繰り返し、それに対して「はい、はい!わたしがクリミアの天使です!」と図々しくも自分から名乗ってデオンさまに注目してもらおうとする、アホな寸劇を繰り広げている。
デオンがなぜフローを殺したいかという理由が切ない。女性でありながら男性として生き、シュヴァリエ・デオンとして栄光の日々を送ったが、後半生は輝き失い女性と知られて惨めな最期を遂げた。人間としての最期が惨めなものだったからこそ、ゴーストとしての最期は栄光に満ちたものでありたいと願った。小物を殺して消滅するなど論外、最期に相応しい人間を殺して華々しく散りたいと歌う。
でも「女はつまらん」という言葉こそデオンにかけられた呪いだと思うが、その呪い自体を解く考えには至らなかったのは残念だ。女であることに価値を見出せなかったのは、時代のせいもあるけど彼女の限界だったのか。そこいくとフローは本当に強かったなあ。
原作のデオンにはこんな思いを抱かなかったので、これはミュージカル独自の解釈。
そもそも実在のデオンは謎の人で、wikipediaによると、前半生は男性として、後半生は女性として生きた、って何それ? 本当はどっちだったのか、正確には分かっていないそうだけど、実に興味深い人物で、これでは色々脚色したくなるだろうなあ。
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