映画「ドマーニ!愛のことづて」 | 日々の雑記
映画「ドマーニ!愛のことづて」

映画「ドマーニ!愛のことづて」

映画「ドマーニ! 愛のことづて」2023年 イタリア

これも見たかったけど諦めていた映画。ミニシアターで上映してくれて感謝。

よかった、とてもよかった!もう大興奮!
この映画の感想はいくつか読んでいたけど、肝心のネタバレをみなさん避けていてくれて、本当にありがとう。おかげで最後の最後まで勘違いしたまま見ていて、あの場面でようやく「ああ〜!そうだったのか!」と叫びそうになった。それまでちらちら感じていた違和感の正体が、一気にグワーと押し寄せてきて、あの場面もこの場面もこういうことだったのか!といちいちパズルがはまっていく快感!幸せな鑑賞体験だった。

第二次大戦後のイタリア。デリアの一日は夫の暴力で始まる。のっけから驚いた。しかも夫からの暴力は言葉でも絶え間なく浴びせられる。理不尽すぎて呆れるばかり。こんな暴力に耐えながらデリアは朝から掛け持ちで仕事に出る。仕事と家事とおまけに義父の介護もこなす彼女は、本来なら有能なはずなのに夫からは「役立たず!」「少しは人の役に立つことをしろ!」と怒鳴られる。はあ?これほど家族のために働いている妻にその言い草は何?こんな仕打ちになぜ黙って従っているのか理解し難いけど、それはいまの時代だからそう感じるのかもしれない。いや、今だってまだまだ家父長制の下、男尊女卑の慣習は根強く世界中に残っている。ましてやこの時代では女性が声を上げることさえ許されない風潮だったろう。見かねて「出ていけばいいのに」という娘に「どこへ?」と答える姿に、これほど有能でも自立は難しいのかと、女性の社会的地位の低さ、生きづらさが感じられた。

しかしデリアはおとなしいだけではなく強かさも持っている。義父には口答えもするし、しっかりへそくりもしているし、友人と市場で煙草ふかして息抜きもする。めげない彼女の強さを感じればこそ、夫は自分の不甲斐なさを認めたくなくて、よけいに彼女を貶めようとするのかもしれない。
娘はそんな父を嫌い母に同情しながらも、言いなりになる彼女にも非難の目を向ける。自分は母のような人生を送りたくないと言い放つ娘の気持ちも分かるが、母としては辛いところだ。
しかもあの環境は息子たちの教育上にも良くない。父親を反面教師にしてくれればいいのだが、あの子たちはもうすでに父親の生き方を手本として学んでしまっている。せめて母親を労ってほしいけど、将来が心配だ。

状況は悲惨なのだが、描き方はコミカルですらある。夫の暴力場面をダンスに見立てるのも、そうだけど、おもしろかったのはデリアと昔の恋人との場面だ。2人でチョコレートを食べて見つめ合うシーン。甘いラブシーンになるかと思ったら、なんと2人の歯にチョコレートが張り付いてギョッとした。その汚れた歯を見せ合いながら見つめ合う2人の周りをカメラがグルグル回る。あ、これキスシーンなんだ。実際の抱擁もキスもない斬新なラブシーンだった。

デリアの強さは娘の婚約者への扱いで分かる。婚約した途端亭主関白ぶりを見せ、この男は夫と同じだと感じ取ってからの行動の素早さ。その思い切りの良さと行動力。いやもうこの場面、あっという間だったしあっけに取られた。本当に驚いた。

そして彼女に届いた手紙。迷った末に行動を起こすが、出かける予定の日にアクシデントがあり、なかなか出かけられない。もう間に合わないと思った時彼女がつぶやいたのが、
「まだ明日がある」
実はこの言葉が映画の原題だった。昨年イタリア映画祭で上映された時は、この「まだ明日がある」がタイトルだったそうだ。こちらの方が内容に合っていていいと思うのだが。

ずっと謎だった手紙の正体が分かった時は、それまでの伏線の回収が小気味良くてたまらなかった。
迷いながらも大きな一歩を踏み出した彼女。娘に向ける笑顔と、夫に向ける毅然とした顔が印象に残る。彼女にも娘にも、わたしたち女性全てに明日の希望があると信じたい。

name
email
url
comment