映画「摩文仁 mabuni」
映画「摩文仁 mabuni」
新田義貴/監督 2025年
8月22日 OttOにて鑑賞
沖縄本島南端、摩文仁。映画の最初のシーンはこの摩文仁の丘を空から撮っている。美しい海、切り立った崖。沖縄戦最後の激戦地と紹介され、そこに建つ慰霊塔が映る。
その慰霊塔の紹介に愕然とした。「黎明の塔」と名付けられたその塔は、沖縄戦司令官の牛島満中将と長勇参謀長を祀ってあるという。
衝撃だった。沖縄戦の犠牲者全てではなく、その司令官だけが祀られているなんて!
冒頭の衝撃からなかなか立ち直れないでいたが、その慰霊塔とは別に、沖縄戦の死者を弔う最初の慰霊塔「魂魄之塔」の紹介で、ようやくほっとした。終戦直後に米軍の許可を得て、住民が散乱していた遺骨を拾って納めた骨塚がやがて塔になったという。住民の手によって建てられたこれこそが本当の慰霊碑だろう。今も多くの遺族がここを訪れるという。そこで参拝用の花を売る大屋初子さんの姿がある。
驚いたのは慰霊碑はこれだけではなかったこと。沖縄戦の兵士のそれぞれの出身地、各都道府県の慰霊碑あったのだ。どの慰霊碑も整備された大きな敷地に、なんだかモダンな美術作品のような凝った慰霊碑が建っていた。そこに祀られているのは本土からの日本軍兵士だ。
沖縄戦で犠牲になった住民の慰霊碑は、住民たちがそれぞれ建てている。そして遺骨収集は今も続いている。ガマの中にはまだ遺族の元にかえれない多くの遺骨が残っている。
そして摩文仁を訪れる人々の間の断層を映画は描く。
肉親の死を悼みに訪れる沖縄の人々。日本軍の英霊の顕彰のため訪れる本土の人々。元沖縄県知事太田昌秀さんはその断層を憂い、全ての戦没者を慰霊する碑の建立に尽力する。
そして1995年「平和の礎(いしじ)」が建立された。民間人、軍人、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった全ての犠牲者の名が刻まれている。だから朝鮮半島出身者の名前もアメリカ軍兵士の名前もある。これは素晴らしい。
整備された沖縄平和祈念公演。自然の残る「魂魄之塔」行けるならその両方に行きたいと思う。
映画には沖縄戦の2人の司令官の孫の姿もあった。牛島中将のお孫さんは、祖父の出した命令により兵士や沖縄住民に多くの犠牲者を出した事、それを冷静に批判して今もその真意を問い続けている。
もう1人海軍司令官の大田実中将のお孫さん。この大田司令官は海軍次官への電報に、沖縄県民の戦闘ぶりを述べ「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ」と発信している。彼には県民に対する配慮があったのだ。当時の日本軍にもこういう人がいたのかと思うと、少し救われる。
このお孫さんの言葉「弱いところに負担を押し付けて、日本社会が社会構造として成り立っている」が重く響いた。
沖縄戦は本土決戦を少しでも遅らせることだけが至上命令であり、沖縄はその捨て石にされた。対馬丸もひめゆりもその犠牲者だ。その構造は戦後もなお変わる事なく、負担を沖縄に負わせ続けてきた。そのことを今まであまり深く考えないでいた自分を恥じる。
そして映画は終盤にとてつもない光景を見せる。「黎明の塔」を訪れた集団が、オカリナの演奏に合わせて「海ゆかば」を歌い、海に向かって感極まった様子で英霊を顕彰していた。正直ゾッとしてしまった。
「魂魄之塔」で花売りを続ける大屋初子さん。彼女は集団自決間際に「生きたい」と望み、家族ともども生き残った。戦後ずっと参拝用の花を売り続け、今はお孫さんも手伝っている。
彼女の明るくあたたかい笑顔に、参拝する遺族もどれだけ癒されるだろうか。その笑顔が曇ることのないように、二度と戦争が起きませんように。世界から戦争をなくすために、わたしたち1人1人が何ができるかを、常に考え続けていきたい。
新田義貴/監督 2025年
8月22日 OttOにて鑑賞
沖縄本島南端、摩文仁。映画の最初のシーンはこの摩文仁の丘を空から撮っている。美しい海、切り立った崖。沖縄戦最後の激戦地と紹介され、そこに建つ慰霊塔が映る。
その慰霊塔の紹介に愕然とした。「黎明の塔」と名付けられたその塔は、沖縄戦司令官の牛島満中将と長勇参謀長を祀ってあるという。
衝撃だった。沖縄戦の犠牲者全てではなく、その司令官だけが祀られているなんて!
冒頭の衝撃からなかなか立ち直れないでいたが、その慰霊塔とは別に、沖縄戦の死者を弔う最初の慰霊塔「魂魄之塔」の紹介で、ようやくほっとした。終戦直後に米軍の許可を得て、住民が散乱していた遺骨を拾って納めた骨塚がやがて塔になったという。住民の手によって建てられたこれこそが本当の慰霊碑だろう。今も多くの遺族がここを訪れるという。そこで参拝用の花を売る大屋初子さんの姿がある。
驚いたのは慰霊碑はこれだけではなかったこと。沖縄戦の兵士のそれぞれの出身地、各都道府県の慰霊碑あったのだ。どの慰霊碑も整備された大きな敷地に、なんだかモダンな美術作品のような凝った慰霊碑が建っていた。そこに祀られているのは本土からの日本軍兵士だ。
沖縄戦で犠牲になった住民の慰霊碑は、住民たちがそれぞれ建てている。そして遺骨収集は今も続いている。ガマの中にはまだ遺族の元にかえれない多くの遺骨が残っている。
そして摩文仁を訪れる人々の間の断層を映画は描く。
肉親の死を悼みに訪れる沖縄の人々。日本軍の英霊の顕彰のため訪れる本土の人々。元沖縄県知事太田昌秀さんはその断層を憂い、全ての戦没者を慰霊する碑の建立に尽力する。
そして1995年「平和の礎(いしじ)」が建立された。民間人、軍人、国籍を問わず沖縄戦で亡くなった全ての犠牲者の名が刻まれている。だから朝鮮半島出身者の名前もアメリカ軍兵士の名前もある。これは素晴らしい。
整備された沖縄平和祈念公演。自然の残る「魂魄之塔」行けるならその両方に行きたいと思う。
映画には沖縄戦の2人の司令官の孫の姿もあった。牛島中将のお孫さんは、祖父の出した命令により兵士や沖縄住民に多くの犠牲者を出した事、それを冷静に批判して今もその真意を問い続けている。
もう1人海軍司令官の大田実中将のお孫さん。この大田司令官は海軍次官への電報に、沖縄県民の戦闘ぶりを述べ「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ」と発信している。彼には県民に対する配慮があったのだ。当時の日本軍にもこういう人がいたのかと思うと、少し救われる。
このお孫さんの言葉「弱いところに負担を押し付けて、日本社会が社会構造として成り立っている」が重く響いた。
沖縄戦は本土決戦を少しでも遅らせることだけが至上命令であり、沖縄はその捨て石にされた。対馬丸もひめゆりもその犠牲者だ。その構造は戦後もなお変わる事なく、負担を沖縄に負わせ続けてきた。そのことを今まであまり深く考えないでいた自分を恥じる。
そして映画は終盤にとてつもない光景を見せる。「黎明の塔」を訪れた集団が、オカリナの演奏に合わせて「海ゆかば」を歌い、海に向かって感極まった様子で英霊を顕彰していた。正直ゾッとしてしまった。
「魂魄之塔」で花売りを続ける大屋初子さん。彼女は集団自決間際に「生きたい」と望み、家族ともども生き残った。戦後ずっと参拝用の花を売り続け、今はお孫さんも手伝っている。
彼女の明るくあたたかい笑顔に、参拝する遺族もどれだけ癒されるだろうか。その笑顔が曇ることのないように、二度と戦争が起きませんように。世界から戦争をなくすために、わたしたち1人1人が何ができるかを、常に考え続けていきたい。
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