『ヤギと少年、洞窟の中へ』

『ヤギと少年、洞窟の中へ』

『ヤギと少年、洞窟の中へ』
池澤夏樹/文 黒田征太郎/絵 スイッチ・パブリッシング 2023年 

帯に「沖縄戦で亡くなったひめゆりの生徒211名に捧ぐ」とある。

ヤギに導かれガマ(洞窟)に入った少年の前に、女生徒が現れる。自身も含めて3年前の沖縄戦でここで亡くなった人々の遺骨を運び出し、供養してほしいと頼む。
真っ暗なガマで彼女が語る沖縄戦。黒い画面に白い文字。ぼんやり浮かぶ人々の姿。絵の迫力と語られる非情な状況に息苦しくなる。3年前という言葉に、戦後3年でもまだガマの中には家に帰れず打ち捨てられた多くの遺骨があったのか。
(遺骨については今でもまだ収集が続いている)


絵本の後半は沖縄戦の詳しい解説。そしてひめゆり学徒隊で亡くなった少女たちの名簿が、それぞれの亡くなった日と場所とともに記されている。1人1人の名前に花の絵を添えて。

亡くなった日付順で記載されている、その1番最初の日付と場所に驚いた。
「昭和19年(1944年)8月22日 鹿児島県悪石島付近」
この日付と場所。これは対馬丸ではないか。ここに3人の名前がある。『対馬丸』(大城立裕 理論社)の巻末付録を見たが、それは学童名簿だったので、彼女たちの名前はなかった。彼女たちは学童の家族だったか、一般疎開者だったのか。

さらにその年の10月と12月の日付けもあり、これはたぶんアメリカ軍の空襲などの犠牲者なのだろう。

また死亡日、場所とも不明の少女たちも何人かいる。「〇〇付近で消息不明」という文字には胸がつぶれそうだ。その時まで誰かと一緒にいたのだろう。そのあと見た人がいないということか。

米軍の地上部隊が迫る中6月18日に、突然に軍から解散命令が出たという。軍はもう関与しないから、ガマの外へ出てそれぞれの判断で生き延びろ、と。散々傷病兵の世話をさせておいて、最後は放り出すのか。軍に見捨てられ死んでいった彼女たちを思うとやりきれない。


わたしはひめゆりの少女たちは沖縄地上戦の最中に亡くなったのだと思っていたが、それだけではないのだと巻末の日付を見て初めて知った。
対馬丸のことはそれ単独ではなく、沖縄戦全体の事として捉えなくてはならないのだ。

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