『崖の上のヒバリたち』

『崖の上のヒバリたち』

『崖の上のヒバリたち』

シヴォーン・ダウド/著  エマ・ショード/絵  宮坂宏美/訳  東京創元社  2024年


シヴォーン・ダウドの最初の作品であり、彼女の死後最後に書籍として出版された(2017年)作品。最初の出版は、人種差別をテーマにした短編集(2004年)の中の一編としてだった。その短編集向けに、移動生活者の子どもの物語を寄稿してくれる作家を推薦してほしいという依頼があり、彼女からの申し出があったという。国際ペンクラブに所属し、作家たちの人権擁護活動に長く携わっていた彼女が、それまで出版経験がなかったにもかかわらず名乗りをあげたという(序文より)。どうしても書きたいという強い思いがあったのだろう。
この出版から2年後に『すばやい澄んだ叫び』で作家デビューを果たす。

移動生活という生活スタイルについては、映画「ノマドランド」でそういう生き方をしている人がいるのは知っていたが、ホームレス等になりやむなくそういう生活をしていると思っていた。
しかし訳者あとがきの「アイリッシュ・トラベラー」の説明を読んで驚いた。
「アイリッシュ・トラベラー」とは、移動しながら生活するアイルランド系の人々のことで、アイルランドに約3万人、イギリスに約1万5千人、アメリカに約1万人いると言われている。その起源は諸説あるが、何百年も前から存在していて、古くは徒歩や馬車、近年はトレーラーハウスなどで移動を繰り返してきたという。
近年は公的に認可された居住地に住む人も多いが、未認可の場所に住み立ち退きを迫られる人もいて、経済的困難、教育問題、差別などの不当な扱いを受ける人もいる。

物語は主人公のジムが嫌々ながら地元の学校に通うところから始まる。移動生活を続けるジムは学校に通ってもすぐ移動するので満足な教育を受けたこともなく、字も読めない。本人も学校ではいい思い出がないので行きたくない。この学校でも生徒たちに蔑まれ、理不尽な暴力を受ける。ジムは学校で浮いた存在である少女キットと親しくなる。図書室のマケーナ先生もジムの事を気にかけてくれ、ジムに鳥の本をくれる。(その本にヒバリの写真があり、日本語のタイトルはここからきている)キットの境遇も悲惨なもので、傷つき憤りやるせない思いを抱く二人は、束の間暖かい交流を持つ。だがジムのいとこが酷いいじめに遭いジムの怒りが爆発する。

こういう人たちがいたのか、という初めて知る事実に驚いた。ジムだけでなく両親もそしてその上の世代も、ずっとこの移動生活をしている。だから親たちも字が読めない。これは生活する上でとても不便な事なので、母親はジムを学校へやるのに積極的だ。でも父親は必要ないと思っていて、母親はそんな父親に批判的だ。祖先からの生活をそのまま継承しようとする者と、状況に合わせて変えていこうとする者。トラベラーたちの考えも時代と共に多様になってくる。少なくとも教育は受けた方がいいと思うが。定住者たちが彼らを差別するのは読んでいて怒りがわいてくる。そしてキットも家庭に問題を抱える社会的弱者である。
ジムの旅立ちもキットのこれからも、困難な毎日は続いていくだろう。それでも二人はこの出会いを胸に、明日へと進んでいく。思い出が力を与えてくれますようにと祈りたい。
短いがとても考えさせられた作品。毎ページ添えらた絵が墨絵みたいでとてもいい。

作中にいろいろ出てきた呼び方についても、訳者あとがきにある。ジムは、自分たちのことを「パヴィー」と呼び、定住者のことを「バッファー」と呼ぶ。原書タイトル「The Pave and the Buffer Girl」はここから。
ジムの学校の生徒たちはジムのことを「ティンカー」と呼んでいて、これは「ティンスミス(錫職人)」いう言葉から来ていて、現在では侮蔑敵な意味で使われるという。

ティンカーって、ジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』で、「鋳掛け屋」という意味だったっけ。


著者シヴォーン・ダウドの作品はいつも弱者に寄り添ったものだが、その原点がこの作品だったのだ。元々人権擁護活動に従事していた彼女が、この物語を書いたのは必然であったのだろう。この作品がきっかけで彼女の中にあった熱い思いが次々と作品として生み出されていった。そしてこれからという時に病に倒れた。つくづくもっと彼女の作品を読みたかったと思う。

これも訳者あとがきからだが、2017年にこの作品が単行本として出版された同じ年の3月1日に、アイルランド政府がアイリッシュ・トラベラーをひとつの「民族」として正式に認めたという。

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