映画「ホールディング・リアット」
映画「ホールディング・リアット」
ブランドン・クレーマー/監督 2025年 アメリカ
5/29 OttOにて鑑賞
2023年10月7日、ガザ地区の境界から2kmにあるイスラエル南西部の農業共同体、キブツ・ニールオズが、ハマスの武装勢力に襲撃され、住民およそ400人のうち30人が殺害、70人が連れ去られる事件が起きた。人質となった娘リアットを救出するため両親は必死の活動を開始する。
わたしは今まで見てきたニュースやドキュメンタリーや本などの情報から、イスラエルの非人道的なガザ攻撃に心を痛めてきたので、イスラエル側から見たこのドキュメンタリーがどういうものか少し構えていた。でも特にイスラエル寄りというわけでもなく、家族の活動を追いながら、歴史的政治的問題も映し出し、今のパレスチナ問題をきちんと描いていた。
ハマスの襲撃による被害は「ネタニヤフ調書」でも見ていたが、あらためて焼け爛れた家の中や血の跡が残る外壁などを見ると、被害の甚大さがわかる。これではハマスやパレスチナへの憎しみが増すばかりで、平和への道は遠いと思ってしまった。リアットの息子さんや妹さんが「彼らに対して感謝なんかしない」「これでどうやって共存できるの?」と言っていたけど、そう思うのも家族にしてみれば無理はないだろう。家族を奪われた人の悲しみと苦しみはイスラエルでもパレスチナでも同じはずだ。
リアットの父親イェフダはかなりネタニヤフに対して批判的だった。この批判も「壁の外側と内側」で見たことがある。
彼はリアットたち人質を救うために、アメリカに働きかける代表団の一員として、リアットの息子と共に訪米する。さまざまな集会に出席し人質開放を訴えていくが、思わせぶりに近づいてくる人物もいたり、自分の真意が伝わらない苛立ちも見せている。イスラエル絶対支持の集会もあればパレスチナ支援の集会もあった。
イスラエル支持の集会を見ていると、アメリカとイスラエルの結びつきの強さを感じて、これではどんなに国際的に非難されようと、イスラエルが平気で無視するのも当たり前だと思った。何があってもアメリカが味方なんだから大丈夫と信じているのだろう。
そんななかアメリカで中東史の教授をしているイェフダの兄の言葉が印象的だった。彼はこの問題は今に始まったことではなく、1948年のイスラエル建国の際のナクバから始まると言っていた。これは本当に真っ当な意見だった。
ここで彼ら家族がアメリカからイスラエルに移住したことが分かった。イェフダの兄も最初は移住したけど、その地がパレスチナ人の村の上に建てられたことを知りアメリカへ帰ったという。この兄はイェフダに「協力は惜しまないけど、政治的な考えは自分とは違う」と告げていた。
家族を救いたいという思いは同じでも、そこに各人の価値観の違いがあり、なかなか進まない開放に苛立ちぶつかり合う姿も、綺麗事で済ませずきちんと見せていた。
リアットが解放され家族と再会できたことは素直によかったと思う。そして驚いたのはこの再会で終わらず、リアットのその後を見せていたこと。
地元のラジオ番組でガザで暮らしていた時のことを話すリアット。自分を拉致した者の家族の世話になっていたこと。その家族といろいろなことを話したということ。それによって自分の知らなかったことを知ったのだろう。映画のラストに彼女が言っていた。彼女はガザの壁のすぐ近くに住みながら、その向こうのことは何も知らなかった。考えてもいなかった。これは多くのイスラエルの人たちがそうなのだろうと思う。リアットは高校の教師で、映画でホロコースト記念館で生徒にゲットーの説明をしている姿があった。その彼女でさえガザに連れ去られるまでは、壁の向こうのことに思いを致すことができなかったのだ。ゲットーと壁に囲まれたガザと何の変わりがあるのだろう。
リアットが解放されたのは2023年11月29日。一緒に連れ去られた夫の遺体が返還されたのが2025年6月11日。ハマスの衝撃イスラエル全体で約1200人が殺害、251人が人質となった。最後の人質の返還(遺体)が2026年1月26日。
人質の解放が終わってもガザへの攻撃はやまない。ヨルダン川西岸地区でもイスラエルの侵略が続いている。少しでも早く平和が訪れるように祈るしかない。
ブランドン・クレーマー/監督 2025年 アメリカ
5/29 OttOにて鑑賞
2023年10月7日、ガザ地区の境界から2kmにあるイスラエル南西部の農業共同体、キブツ・ニールオズが、ハマスの武装勢力に襲撃され、住民およそ400人のうち30人が殺害、70人が連れ去られる事件が起きた。人質となった娘リアットを救出するため両親は必死の活動を開始する。
わたしは今まで見てきたニュースやドキュメンタリーや本などの情報から、イスラエルの非人道的なガザ攻撃に心を痛めてきたので、イスラエル側から見たこのドキュメンタリーがどういうものか少し構えていた。でも特にイスラエル寄りというわけでもなく、家族の活動を追いながら、歴史的政治的問題も映し出し、今のパレスチナ問題をきちんと描いていた。
ハマスの襲撃による被害は「ネタニヤフ調書」でも見ていたが、あらためて焼け爛れた家の中や血の跡が残る外壁などを見ると、被害の甚大さがわかる。これではハマスやパレスチナへの憎しみが増すばかりで、平和への道は遠いと思ってしまった。リアットの息子さんや妹さんが「彼らに対して感謝なんかしない」「これでどうやって共存できるの?」と言っていたけど、そう思うのも家族にしてみれば無理はないだろう。家族を奪われた人の悲しみと苦しみはイスラエルでもパレスチナでも同じはずだ。
リアットの父親イェフダはかなりネタニヤフに対して批判的だった。この批判も「壁の外側と内側」で見たことがある。
彼はリアットたち人質を救うために、アメリカに働きかける代表団の一員として、リアットの息子と共に訪米する。さまざまな集会に出席し人質開放を訴えていくが、思わせぶりに近づいてくる人物もいたり、自分の真意が伝わらない苛立ちも見せている。イスラエル絶対支持の集会もあればパレスチナ支援の集会もあった。
イスラエル支持の集会を見ていると、アメリカとイスラエルの結びつきの強さを感じて、これではどんなに国際的に非難されようと、イスラエルが平気で無視するのも当たり前だと思った。何があってもアメリカが味方なんだから大丈夫と信じているのだろう。
そんななかアメリカで中東史の教授をしているイェフダの兄の言葉が印象的だった。彼はこの問題は今に始まったことではなく、1948年のイスラエル建国の際のナクバから始まると言っていた。これは本当に真っ当な意見だった。
ここで彼ら家族がアメリカからイスラエルに移住したことが分かった。イェフダの兄も最初は移住したけど、その地がパレスチナ人の村の上に建てられたことを知りアメリカへ帰ったという。この兄はイェフダに「協力は惜しまないけど、政治的な考えは自分とは違う」と告げていた。
家族を救いたいという思いは同じでも、そこに各人の価値観の違いがあり、なかなか進まない開放に苛立ちぶつかり合う姿も、綺麗事で済ませずきちんと見せていた。
リアットが解放され家族と再会できたことは素直によかったと思う。そして驚いたのはこの再会で終わらず、リアットのその後を見せていたこと。
地元のラジオ番組でガザで暮らしていた時のことを話すリアット。自分を拉致した者の家族の世話になっていたこと。その家族といろいろなことを話したということ。それによって自分の知らなかったことを知ったのだろう。映画のラストに彼女が言っていた。彼女はガザの壁のすぐ近くに住みながら、その向こうのことは何も知らなかった。考えてもいなかった。これは多くのイスラエルの人たちがそうなのだろうと思う。リアットは高校の教師で、映画でホロコースト記念館で生徒にゲットーの説明をしている姿があった。その彼女でさえガザに連れ去られるまでは、壁の向こうのことに思いを致すことができなかったのだ。ゲットーと壁に囲まれたガザと何の変わりがあるのだろう。
リアットが解放されたのは2023年11月29日。一緒に連れ去られた夫の遺体が返還されたのが2025年6月11日。ハマスの衝撃イスラエル全体で約1200人が殺害、251人が人質となった。最後の人質の返還(遺体)が2026年1月26日。
人質の解放が終わってもガザへの攻撃はやまない。ヨルダン川西岸地区でもイスラエルの侵略が続いている。少しでも早く平和が訪れるように祈るしかない。
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