映画「イマジナリーライン」

映画「イマジナリーライン」

映画「イマジナリーライン」
坂本憲翔/監督・脚本 2024年

3/30 OttOにて鑑賞

本作は監督の東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作作品として制作された。

俳優の演技と映像はとても良かった。テーマもいい。いいんだけど、その描き方が甘いというかもどかしかった。これは学生の卒業制作であり、予算も時間も限られた中でのことなので、そこを批判するのは酷だとは思うのだが。感想が難しい。

序盤の文子と夢、親友2人の日常が楽しそうで、だからその幸せな日常が、夢が突然入管に収容されたことで崩れてしまってからの展開が辛かった。これは夢のような立場の人にはいつでも起こり得ることで、そこはとてもリアルだった。文子が、幼馴染で入管職員の船橋君とのやりとりや自分で調べる姿を見せるが、ここは観客にこの制度の理不尽さを訴え考えさせる狙いがあるのかなと思った。ただそれにしてはその描き方がとてももどかしい。あまりにもふんわりとたんなるイメージ、雰囲気にとどまってているように思える。そこをもっと正確にしっかり描いてほしかった。ここが予算の限界(入管のセットや俳優の人数など)かなと思った。

夢の来歴を夢自身が語る場面が終盤あるのだが、それなら収容前の夢の状況をもっときちんと見せるか、きちんとした説明がほしい。仮放免で未成年(母親が強制送還された6年前の時点)の夢が生活するためには、それこそ弁護士や支援者がいないと成り立たないはずなので。(冒頭で夢が仕事をクビになり荒れている姿、手持ちのお金を数えてため息つく場面、旅館で文子の言葉に傷つく姿などで一応あらわしてはいるが)
文子がそんな夢の状況を知らされてなかったことはもちろんあり得る。だが初めてそのことを知った文子が、弁護士として自分の叔母を夢に紹介するのはおかしい。そこは今までの支援者を登場させる方が自然では?今まで夢をサポートしてきた支援者や弁護士などが、文子に夢のことや入管制度について説明して、文子が今まで何も知らないでいたことを悔い、夢に寄り添おうと決意する、という展開にすればよかったと思う。

文子が最後に夢のことを映画にしようとするが、それが文子が今できる精一杯のことなのだろう。そして船橋君は、これからどうするのか。何らかの支援活動してくれればいいなと思う。

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