日々の雑記
誰だっけ?

誰だっけ?

『氷石』の感想を読んだ娘が「石売ってるの?石って売れるの?」と聞くので「ご利益がある石だと偽って売ってるの。それは最初のうちで、後で呪文を書いた木札に替えるけど」と答えた。

「そういえば石売る漫画あったよね」
「あったあった、『石を売る』ね」
「誰だっけ?『もっきり屋〜』とか描いてた」
「うん、『無能の人』とか、メメクラゲとか」
「あー、ねじ…ねじ…ねじめ…?」
「いや、それは違う人。だからさ、メメクラゲ…」
「ねじめじゃない…」
「だからメメクラゲなのよ〜」

親子とも『ねじ式』に引きずられ過ぎて肝心の作者の名が出てこない。
検索してようやく判明。

「つげ義春」そうだよそうだよ何ですぐに出てこなかったんだろう、この名前が?頭を叩く。間違えて名前を上げた「ねじめ正一」さんもすみませんでした。
『千に染める古の色』

『千に染める古の色』

『千に染める古の色』久保田香里・著 紫昏たう・絵 アリス館 2022年
時代は平安時代なので『駅鈴』『氷石』の時代より300年後。都も平城京から平安京になり、藤原道長が権勢を誇っていた時代。
主人公の千古は藤原実資の娘、貴族のお姫様である。裳着という成人の儀式を間近に控えている。
目次の章題がそれぞれかさねの色目になっているのが、カラーの色見本みたいでとても洒落ている。染色場面も興味深く、植物の名と色の名前の美しさにときめいてしまう。
登場人物のなかに上総と呼ばれる少女が出てくるが、明らかにあの菅原孝標女だ。千古と女童の小鈴と上総が『源氏物語』に出てくるかさねの色目を再現して遊ぶところはわくわくする。
でもこの時代の貴族の女性ってなんて不自由なんだろう。成人になれば実の父親とも御簾ごしでないと会えないとは。身軽に立ったり歩くこともできない。
印象的な場面がある。心ひかれるものがあるとじっとしていられない千古に対して、小鈴が「もっとゆったりしていてほしい、ちかよりたいなら、ひざでにじりよるべきで、さっさと立ち上がるなんて」と嘆くところ。この時代に(高貴な身分に)生まれなくてよかった。

上流社会の優雅な世界ばかりでなく権力抗争の陰の部分もちらりとのぞかせ、ほのかな恋模様もあり、千古が自分の生き方は自分で決めたいと思うようになる過程が素直に納得出来る。様々な美しい布が目に見えるような素敵な作品だった。

時代と主人公たちの身分のせいで『駅鈴』『氷石』とだいぶ雰囲気が違う。庶民の生活と貴族の生活。埃っぽい市井の喧騒と豪華なお屋敷の優雅な遊び。それぞれ魅力的だけど、どちらかといえばあの走り回っていた登場人物たちのほうが好みだ。だからちょっと物足りなく感じてしまったのも正直な気持ち。

あ、でも千古はお姫様のわりにはずいぶん活動的だったけど。
ちょっとネットで千古について検索してしまった。
「チャーリー」 WOWOW放送

「チャーリー」 WOWOW放送

映画「チャーリー」2024年公開のインド映画
WOWOW放送にて鑑賞


最初からチャーリー役の犬の名演技に、もうこれだけで名作じゃん!とすでに泣きそうになった。これは期待通り。
でも、うーん、偏屈な主人公と悪徳ブリーダーの虐待から脱げ出してきた犬とが出会い、次第にかけがえのない相棒になっていく前半は本当に良かったんだけど、後半旅に出てからがちょっと何というか「?マーク」が頭に浮かびっぱなしになった。サイドカーに犬を乗せバイクで旅する姿はとてもいい絵柄なのだけど、後半がやたら長くてそのエピソードいるか?というシーンが続く。ドッグショーのあたりからは「どうしょう?これ何を見せられているのか?」と困惑するばかり。後半が感動部分でここが重要部分なのかもしれないけど、わたしには逆効果で醒めていくばかりだった。もう少し短ければ前半の感動の涙が乾くこともなかったのに…。
犬の演技と音楽はとてもよかった。
エアコン直った

エアコン直った

メーカーの人がやってきて、エアコンを分解して中に巻き込まれていた掃除用シートを無事取り出してくれた。幸い部品の破壊は無かったので、取り出すだけで済んだ。
しかし紙1枚取り出すだけなのに、ほとんど全部の部品を1つ1つ取り外す作業は、側から見ていても大変そうで申し訳ない。途中で「一部部品が錆びついていて外せないのですが、何とかします」と言われドキドキしたけど、本当に何とかしてくれた。1番怖いのは巻き込んだ部品が破損していることで、それは大丈夫だったというのでホッとした。
分解のついでに目についた汚れもキレイにしてくれた。元々わたしが掃除しようとしたことが原因だったので、その汚れが無くなったのは本当に嬉しい。わたしがうっかり掃除しようとしたあの部分は、クリーニング業者に頼むしかないという事がよく分かった。高機能のエアコンの長所短所も教えてくれて、色々参考になってよかった。とても若い、まだ20代では?という見た目のお兄さんだったけど、手際よく短時間で作業を終え、爽やかに帰っていった。
ありがとうございました。
今度は平安時代

今度は平安時代

久保田香里さんの『駅鈴』と『氷石』を読んで、この作者の作品をもっと読みたくなった。図書館で3冊借りてきた。
『千に染める古の色』『きつねの橋』『きつねの橋2』どれも平安時代を舞台にした作品らしい。この他に『青き竜の伝説』があったが、とりあえずこの3冊だけ借りてきた。
どれも現代ものではなく古代から中世の物語。歴史ものは大好きなので読むのが楽しみ。

『氷石』を含めて市の図書館にはこれら5冊しかなかった。『駅鈴』は他館から取り寄せてもらった。『駅鈴』がないのはもったいないな。全ての作家の全ての作品を購入するわけにはいかないのはわかる。でも最近、近隣の他館では所蔵ありなのにウチの図書館にはない、とがっかりすることが多い。予算が厳しいのかな。淋しいな。
『氷石 こおりいし』

『氷石 こおりいし』

『氷石(こおりいし)』久保田香里・作 飯野和好・画 くもん出版 2008年
『駅鈴ーはゆまのすずー』を読んでこの作者の作品をもっと読みたいと思い、同時代を描いたこの作品を読んだ。
天平9年(737年)痘瘡(もがさー天然痘)の流行で平城京は悲惨なありさまだった。その都の市で小石を売って日銭を稼ぐ少年千広。遣唐使船で唐に渡った父を待つ間に母は痘瘡で死に、薄情な伯父には頼れず、優しいいとこ八尋にも背を向けただ1人生きていこうとしている。世を拗ねて人の好意にも素直になれない千広。しかしあるお屋敷きの下女宿奈(すくな)や施薬院の法師伊真(いしん)との出会いが、彼の運命を変えていく。
母親の死の悲しみから、それを約束の1年で帰らず唐に残った父親のせいにしてしまうのは無理のないこと。世話になる伯父の仕打ちに我慢できないのも仕方ない。まだまだ子どもなのだ。それが歴史上の人物も含めてさまざまな人との出会いや別れを通じて、もがきながらだんだん自分の本当にやりたかったこと(父のように学問がしたい!)を見出していく。最初は危なっかしい千広が成長していくさまが頼もしく嬉しい。千広の将来が楽しみだ。

今回も藤原八束が登場する。名前だけだが八束の叔父麻呂も。そして光明皇后。
遣唐使の話もあり、長岡さんの『初月の歌』の時代と重なっておもしろい。『駅鈴』は天平11年(739年)から天平17年(745年)のことだから、この『氷石』の方が時代が近い。
エアコン

エアコン

やらかしてしまった…。
リビングの掃除していた時、ふと見上げるとエアコンの吹き出し口付近の汚れが目についた。「これ、ちょちょっと拭き取ればいいんじゃん?」とたいした考えもなしに、クイックルワイパーのシートを使って汚れを取ろうとした。エアコン止めるとフタが閉まって掃除出来ないからゆっくり作動してる今のうちに、と浅はかにも思ったのだ。汚れは思ったより吹き出し口から遠くて、もうちょい中へと手を伸ばした瞬間スルスルとシートが内部に吸い込まれていった⁉︎えっ?何?何が起こったの?とっさにヤバい!と思ってすぐ電源スイッチを切りプラグも抜いた。しばらく呆然として、あ〜バカバカ!と自分を罵って、何とか取り出せないかと、普段の掃除の手順でフタを開けダストボックスとフィルターを取り出して中を覗いた。シートは影も形もない。いったいどこにいったのか?
途方に暮れたが、これは家庭では無理と判断して、購入した電気店に電話した。店長さんによると「ウチでは無理でメーカーに頼んで分解して取り出さないと」とのこと。「ウチからメーカーに連絡するので、メーカーからの連絡を待つように。危ないのでそれまで使わないように」と言われた。そうよね、そうなるよね。我が家の暖房はエアコンだけで、よりによって1番使うリビングのエアコンなので、修理完了まで寒さに震えることになる。なるべく早くしてと伝えるからと言ってくれたけど、まあ今日は無理だろうなあ、と覚悟した。とりあえずメーカーからの連絡待つしかないので、出来ることはない。せっかく取り外したのでダストボックスのホコリは取り除いた。しおしおと掃除の続きをして、生協の配達があったので受け取って、昼食の用意をした。
それでまたやらかした。いつもお昼はシェントウジャンを作るのだけど、うっかり豆乳を突沸させてしまい、電子レンジ内に盛大にこぼしてしまった。泣く泣くレンジ内を掃除した。あまり味も分からず黙々と食べ終わった。
娘は午前中からボランティアサークルに出かけ、そのまま新年会に出席している。電気店へ連絡した後、娘から様子を知らせる写真がメールで届いた。楽しみを邪魔しては悪いので、エアコンの事は何も言わずにおいた。帰宅後事情を知った娘は「ひとりで辛かったでしょ?知らせてくれればよかったのに」と気遣ってくれた。うん、ありがとね。ほんと1人で心細くて泣きたくなってたのよ。
その後検索した娘が「それけっこうやらかしている人いるよ!」と教えてくれた。へ〜わたしだけじゃないのか、となんかちょっとほっとした。

その後メーカーからの連絡で、来てくれるのは早くても明後日になるという。いや、それで充分ですよ。一週間なんて言われたらどうしようかと思ってたから。
メーカーの人の作業が終わるまで、リビングの隣の和室のエアコンをつけて凌ぐしかない。今はどうか明後日1日だけで作業が終わりますようにと祈るだけ。
パレスチナのこと

パレスチナのこと

パレスチナについてはもっと知りたいしもっと学ばなければと思っている。
昨年『ガザとは何か』と『中学生から知りたいパレスチナのこと』を読んで、少しはわかった気になっていた。ところがこれらの本を貸した友人が「ちょっと読んだけど難しくてわからないから」と返してくれた時「これ片方からの見方ってことはない?」と言った言葉に衝撃を受け、混乱してきちんと説明出来なかった。

片方の側?じゃもう片方とは?この場合はイスラエル?イスラエルの言い分も聞かなければ公平ではないということか?
きっかけはハマスのテロ行為だとイスラエルは正当性を主張している。だが公平に双方の主張を聞くというのなら紛争の発端イスラエルの建国まで遡らなくてはならない。あの本にはその経緯がきちんと書かれているのでそれこそ公平だと思う。
もう片方というならそれはイスラエル建国を許可しそれによって生まれたパレスチナ難民、そこからの紛争に責任を取らなかったわたし達を含めた国際社会だ。

こういう事を言えばよかったのに、とっさに言えなかった自分が情けない。それ以来このことを考え続けている。それはわたしが正しく理解していないせいなのだ。今まで知らないでいたし知ろうともしないでいた。
それまでホロコーストの被害者ユダヤ人はかわいそう、だから国が出来てよかったね、でも周辺諸国は認めてなくて今も紛争している、テロ組織とも戦っている、せっかく国が出来たのに気の毒だなあ、話し合いで解決出来ないのかなあ、などと思っていたのだ。
ガザの状況がきっかけで少しばかり知った気になっていたけど、人にきちんと説明出来ない中途半端な知識じゃないか。

もっと知らなければならないと切実に思い、上記2冊に加えて新たに本を注文した。

明石書店の『パレスチナを知るための60章』と『パレスチナ/イスラエルの〈いま〉を知るための24章』
岩波ブックレット『イスラエルとパレスチナ』
の3冊。
なかなか道は遠いがこれからしっかり読んで勉強していきたいと思っている。
とりあえず『イスラエルとパレスチナ』の「日本版への序文」と「訳者あとがき」だけを読んだ。今の自分がかろうじて読み切ることができるのはこれくらいだ。たとえおぼろげでも自分が理解するには一度では無理で、何度も何度も読み込まねばならないだろう。体力気力時間が必要だと思う。でも少しずつでも読み進めていきたい。
着物

着物

実家が呉服屋だったこともあり、幼い頃から着物には慣れ親しんでいた。習い事も琴と茶道だったので発表会など着物を着る機会も多かった。昔なのでまだ小学校の入学式など着物で参列する母親も一定数いた。でもお店はあまり売れていないようだし、着物の人も普段は見かけないし、倒産しないかといつも心配していた。ジリ貧の店舗を手放し訪問販売に転換して母が家業を支えていた(父はお金使うばかり)
店は結局兄が継いだのだけど、もう30年前から「さっぱり売れないのでタクシー運転手をしている」と聞いて、無理もないと思っていた。開店休業だった呉服屋を、最近ようやく廃業届を出して正式にたたんだそうだ。何か工夫すればもっと売り上げも伸びたのではないかと思う事はあったけど、わたしが口を出すことではないし、母の苦労を見ていたから自分ではあんなこと絶対出来ないと思っていた。

結婚した時まあまあの着物は持たされていた。あの頃はお正月とかに着物着ていたし、もっと余裕ができたら、母のように普段でも着物を着る生活をしようかなと夢みていた。生活様式も変わり、動きにくく手入れも面倒な着物を着る機会は減っていった。子育て、介護の期間はとにかくシャカリキに動きまわり、いつの間に着物はおろか、スカートすらはかずズボンで飛び回るようになり、そのラクさに慣れ今では普段着も外出着もズボンで、持っているスカートは喪服しかない。
母が介護施設に入所して実家じまいをした時、大量にあった母の着物の一部を貰い受けた。正直何も要らないと兄には伝えたのだが、大部分を友人に譲った兄が「せめてこれくらいはお前持ってろよ」と母の留袖や大島を持ってきてくれた。見るとやはり懐かしい。これを着ていた母を思い出す。自分の着物はもう若向き過ぎて着られないが、母の大島などはこれからのわたしにちょうどいいかもしれない、いつか着たいなと思っていた。

夫、義母、母と順に見送り、介護生活も一段落した頃思い切って家のリフォームをした。小綺麗になった部屋に、着ないまでも着物や小物を飾って楽しめたらいいなと夢想していた。
いざリフォームが済むと片付けに追われ、事故で入院したり、後遺症などで体調不良が続き、着物どころではなくなった。夢はまだ夢のまま。

最近着物の漫画が目につくようになった。
おざわゆき『またのお越しを』
佐悠『爛漫ドレスコード』
東村アキコ『銀太郎さんお頼み申す』

このうち『爛漫ドレスコード』は娘が気に入って電子版で買い、『銀太郎さんお頼み申す』はネットで無料話だけちょくちょく読んでいる。
わたしが買っているのは『またのお越しを』だ。着物を好きになった主人公が和小物の店を出す話。着物の話だけでなくお店作りの話にもなっているところに惹かれて読んでいる。
現在6巻まで出ている。4巻までは紙の書籍だったのが、5巻からは電子書籍のみの刊行になったので、5、6巻は電子版を買っている。売れ行き悪かったのかなあとがっかりしている。ネットで最新話は読めるが、作者によるとあと3話くらいで完結とのこと。開業までも開業後もいろいろ問題山積みで、これからの展開が気にかかる。
『盆まねき』

『盆まねき』

『盆まねき』富安陽子・作 高橋和枝・絵 
偕成社 2011年

今朝の東京新聞に児童文学作家富安陽子さんが紹介されていた。富安さんの作品はとても多く、日本の妖怪や異界などちょっと不思議なモノたちが登場する物語を書いている。今までわたしが読んだのは『空へつづく神話』と「博物館の少女シリーズ」(続きが早く出ないか待ち遠しいシリーズ)
そんな著者が戦争と正面から向き合った唯一の作品がこの『盆まねき』だという。記事をみて俄然読みたくなって早速図書館で借りてきた。小学生向きで字も大きく読みやすくすぐに読み終えた。
お盆の3日間祖父母の家で過ごす主人公が聞かされる不思議な話。1章祖父、2章大伯母、3章曽祖母からの話にいつもさりげなく出てくる会ったことのない大伯父。3章でその大伯父が戦争で、しかも特攻隊で亡くなったことが知らされ、4章盆踊りの夜に主人公は不思議な体験をする。
田舎の家に親戚がたくさん集まるお盆の行事は、今は昔より少なくなったけどまだよく見られる夏の風物詩で、わたしも夏休みに親戚の家に行くのを楽しみにしていた思い出がある。だから読んでいてどこか懐かしい優しい気持ちになってくる。そんな中に少し淋しげな影を落としているのが大伯父の存在で、静かに戦争が描かれている。

そして本編の終わった後巻末に「もうひとつの物語ーさいごにほんとうのお話をひとつー」と題して、著者が伯父のことや自身の戦争への思いについて語っている。
新聞の記事で「伯父の死を誇ればよいのか、悔めばよいのか、恥じればよいのか。今も分からない」「あまり色をつけて伝えたくない」と、こういう形にしたという。著者の誠実さを感じた。新聞のおかげでこの作品を知り、読めて本当によかった。
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