日々の雑記
『盆まねき』

『盆まねき』

『盆まねき』富安陽子・作 高橋和枝・絵 
偕成社 2011年

今朝の東京新聞に児童文学作家富安陽子さんが紹介されていた。富安さんの作品はとても多く、日本の妖怪や異界などちょっと不思議なモノたちが登場する物語を書いている。今までわたしが読んだのは『空へつづく神話』と「博物館の少女シリーズ」(続きが早く出ないか待ち遠しいシリーズ)
そんな著者が戦争と正面から向き合った唯一の作品がこの『盆まねき』だという。記事をみて俄然読みたくなって早速図書館で借りてきた。小学生向きで字も大きく読みやすくすぐに読み終えた。
お盆の3日間祖父母の家で過ごす主人公が聞かされる不思議な話。1章祖父、2章大伯母、3章曽祖母からの話にいつもさりげなく出てくる会ったことのない大伯父。3章でその大伯父が戦争で、しかも特攻隊で亡くなったことが知らされ、4章盆踊りの夜に主人公は不思議な体験をする。
田舎の家に親戚がたくさん集まるお盆の行事は、今は昔より少なくなったけどまだよく見られる夏の風物詩で、わたしも夏休みに親戚の家に行くのを楽しみにしていた思い出がある。だから読んでいてどこか懐かしい優しい気持ちになってくる。そんな中に少し淋しげな影を落としているのが大伯父の存在で、静かに戦争が描かれている。

そして本編の終わった後巻末に「もうひとつの物語ーさいごにほんとうのお話をひとつー」と題して、著者が伯父のことや自身の戦争への思いについて語っている。
新聞の記事で「伯父の死を誇ればよいのか、悔めばよいのか、恥じればよいのか。今も分からない」「あまり色をつけて伝えたくない」と、こういう形にしたという。著者の誠実さを感じた。新聞のおかげでこの作品を知り、読めて本当によかった。
『行く手、はるかなれどーグスタフ・ヴァーサ物語ー』

『行く手、はるかなれどーグスタフ・ヴァーサ物語ー』

『行く手、はるかなれどーグスタフ・ヴァーサ物語ー』菱木晃子作 徳間書店2024年

表紙に惹かれて手に取った。作者の菱木さんは翻訳者として知っていたけど、本も書いていたなんてと驚いた。えっとスウェーデンの話?何となく英米児童書かと思ってたけど、そういえばウルフ・スタルク、リンドグレーンなどの本で名前を知ったんだった。
主人公グスタフは「スウェーデン建国の父」としてスウェーデン国内では知らぬ人はいない、いわば英雄らしいけど、わたしはまったく知らなかった。わたしの世界史の知識が偏っているせいだけど。いまだに北欧3国の位置関係もあやふやだし、デンマークはどこだっけ?という有様で、地図で確認した。

16世紀初めデンマークの圧政に苦しむスウエーデンの独立のために立ちあがり、たった1人で味方を募るため困難な旅を続け、ようやく人々の賛同を得て希望を見出す話。道々で裏切りもあれば、手助けもある。地位のあるものが裏切り、名もない庶民が暖かい手を差し伸べる。
歴史上結果はわかっていても、行けども行けども仲間を得られないかなり辛い展開なので、終盤でようやく一緒に闘う仲間を得ることができた時はほっとした。

そしてこの希望を見出したところで終わったのもいいのだろう。あとがきによると、グスタフの評価は「偉大な建国の父」と「冷酷な独裁者」とに分かれるという。どんな理想を持っていても、長く君臨すると腐敗するのも世のならい。本編だけだと立志伝で終わってしまうところを、あとがきにきちんと後の出来事、評価を書いてくれた作者に感謝する。

500年たっても世界のどこかで戦闘のない日はない。世界に真の平和が訪れますように。
『迷い沼の娘たち』

『迷い沼の娘たち』

ルーシー・ストレンジ著 中野怜奈訳 佐竹美保絵 静山社

舞台である“沼のはざまの村”では本が禁じられている。文字を読んでいるのが見つかると魔女として処罰され、村が不作の時には責任をとらされ火あぶりにされることもある。人は何か悪いことが起こると自分ではなく誰かのせいにしたがる。そのときに魔女というのはなんとも都合のいい存在なのだ。
そんな村に住むウィラたち6人姉妹は、父親には内緒で祖母に字を学び本が読める。亡くなった母親は自分で物語も書いていた。
これはファンタジーの形をしているが、実に現在の世相そのままの世界。その器でもないのに賞賛を浴びたくて男らしさを誇示し、娘たちを抑圧し支配しようとする父親。家父長制の権化のような粗暴な村の男、理不尽なことにははっきり反対する祖母を敵視し魔女とみなす村人。そんな社会と戦った一家の物語。

「わたしはわたし自身のもの。ほかのだれのものにもならない!」
この言葉に拍手をおくりたい。
『駅鈴 はゆまのすず』

『駅鈴 はゆまのすず』

久保田香里・著 坂本ヒメミ・画 くもん出版 2016年

この作者の本は初めて。「駅鈴」を「はゆま」と読ませていることにまず興味を惹かれた。
天平年間の近江が舞台。まず戸惑ったのが次々出てくる見慣れない単語。
「駅鈴(はゆまのすず)」「飛駅(ひえき)」「駅家(うまや)」「駅路(はゆまじ)」「駅使(はゆまづかい)」「駅子(うまやのこ)」「駅長(うまやのおさ)」冒頭からバンバン見慣れない単語が続く。
一応説明はあるのだが、「駅」を「はゆま」「うま うまや」とふりがなが2種類あるせいで混乱する。読み方にこだわらず漢字だけの方が意味が通るのだが、ついついふりがなに引っ張られる。これに関しては巻末の解説を読むと納得するので、先にこちらを読んだ方がいいのかもしれない。
しかし戸惑ってるうちに話はどんどん進んでいき、それがすごい勢いで走り抜ける馬の疾走感、慌ただしい人びとの動き、事態の緊迫感を醸し出し、読者を否応なく話に巻き込んでいく効果がある。だから解説は後でもいいのかなと思い直した。
律令国家時代、中央の指令を全国に素早く行き渡らせるために、馬に乗った使者「駅使」が馬を乗り継いで「駅路」を駆け抜けていく。馬の乗り継ぎのための拠点が各地にあり、それが「駅家」。使者はその証しである「駅鈴」を鳴らし、それを見せて「駅家」で馬を乗り換える。緊急で重大な使者が「飛駅」。馬の世話と使者を案内する役目もある「駅子」
この物語は駅長の娘小里が駅子を目指して奮闘し成長していく話。女だから無理だと言われ悔しさに泣き、当時の政治情勢に翻弄され気力も失せ、それでも立ち直り自分の望みを貫き通す主人公。負けるな頑張れ!

聖武天皇のたびたびの都うつり、大友家持、安積皇子、藤原八束、行基、など、歴史上の出来事、人物も登場し、この時代を描いたわたしの大好きな漫画、長岡良子「古代幻想ロマンシリーズ」を思い出し嬉しくなった。久しぶりに読み返したくなった。

児童書でこの時代、しかもあまり取り上げられていないであろう「駅家」という題材、子どもにはややとっつきにくいかな。正直大人のわたしでも最初は戸惑った。しかし史実もしっかり描かれているしとても魅力がある。この作者の他の作品も読みたくなった。
映画「ピクニックatハンギング・ロック」WOWOW放送

映画「ピクニックatハンギング・ロック」WOWOW放送

「ピクニックatハンギング・ロック」という1975年の映画(日本公開は1986年)があることはいつの頃か知り、おもしろそうだなと思っていた。

その原作(1967年刊行)が翻訳出版された時に読んでみた(写真 ジョーン・リンジー著 2018年 創元推理文庫)
事前情報でピクニックに行った少女たちが行方不明になる話だと思っていたけど、それより、その後の騒動がメインという印象だった。

WOWOWで放送があるのを知り、これは絶対見る!と楽しみにしていた。

原作では後半の印象が強く、少女たちの印象は薄かったのだけど、映像で見るとそれはもう美少女ぞろいで眼福。1900年という時代もあり、服装などクラシカルで美しい。この少女たちがピクニックに行くのである。さぞかし美しい絵であろうと期待するではないか。
ところが、少女たちのビジュアルと風景のチグハグさに、落ち着かない気分になった。ピクニックという言葉から緑の草原を連想したのに、何やら埃っぽく、木は緑というより黒々してるし、小川は清流のせせらぎなんて程遠い小汚さだし、山もゴツゴツした岩だし。岩=ロックなのでまあ確かにタイトル通りではあるけど。あんなところにピクニックに行くのか?なんか美しいものが汚されそうな不穏な気分になる。グロテスクですらある。
生徒3人と教師1人が行方不明になり大騒ぎになり捜索が続くが一週間後に見つかったのは生徒1人だけ。その生徒も記憶ははっきりせず何があったのかは依然としてわからない。
謎は最後まで解けず生徒は帰らず、残された生徒教師校長を含めた学院全体が混乱の中で崩壊していく。生徒の1人の行く末が哀れ。なにより校長の壊れっぷりがすごい。
生徒たちにとっては抑圧されていた学院生活からの息抜きで、課外授業としてのピクニックが楽しみであったのだろうなあ。だからあんな場所でもはしゃいでいたのだろう。
岩山を登って行った少女たちはどこに消えたのか?1人はどうやって戻ってきたのか?言葉で説明されただけでその場面の映像もなく、いつのまにか行方不明になっていた教師はどこへ?少女たちと合流したのか?最後まで何もわからない。
ただその事件がきっかけで、校長が作りあげた学院という名の彼女の王国が崩れ去ったという事実だけはわかった。

期待していた内容とは違ったけれど、とても不穏でグロテスクだけれど、おもしろかった。

ミランダはとても美しい少女でした。
「十角館の殺人」ドラマ版

「十角館の殺人」ドラマ版

綾辻行人『十角館の殺人』を初めて読んだ時の衝撃は凄かった。それこそ「あの一行」で叫び声を上げた。その後綾辻作品は「館シリーズ」をはじめ色々読み、好きな作品というなら『霧越邸殺人事件』と迷うのだが、この作品に勝る衝撃はなかった。

そんな作品がドラマ化されると知ったのは一昨年の終わり頃。まさか!嘘だろう?無理だろう?と思った。怖いもの見たさで見たいとは思ったけど、Huluの配信なのでどうせ見られないと諦めていた。キャスト発表されても、年齢的に大人の出演者ばかりで、学生はどこ?と思っていた。その後の出演者の発表もあったらしいけど、何となく気になりながらも時を過ごしていた。
 
ドラマは見られないけど娘がコミック版を電子書籍で買って読ませてくれた。
江南が女性になっていたり、そもそもの発端の出来事が原作と違っていたり、色々工夫されていた。あの1番の衝撃は、漫画ならではの手法で、ああ〜なるほどこれなら可能だな、というもので面白く読めた。
でもこの手法は漫画だからできたのであり、これを実写でやっても無理だろうな、と相変わらず冷めた見方をしていた。

そしてとうとう昨年末地上波で年末年始深夜に放送されると知り、わくわくしながらしっかり録画予約してその日を待った。

はい、お見事でした!
漫画と違い時代も出来事もほぼ原作通り。ちょっとイメージと違うキャストもいたけど、だんだん気にならなくなったし、漫画だから可能だと思っていたトリックも映像でも見せ方の工夫で無理なかった。なるほどなあと感心しながら1〜3話を見ていって、4話のラストで「あの一行」が来て、うわ〜!と鳥肌がたった。絵的には漫画と同じだったのに、漫画は「うん、そうなるよね」で終わったけどこちらでは変貌が鮮やかすぎて、ゾっとした。その衝撃のままにエンドロール。ああ、そういえばこれまでエンドロールがなかったっけ!この場面の後でないと出せないものな!よく考えてある。大興奮のまま翌日の最終話を迎えた。改変部分も少しはあるけどほぼ原作と同じ。違ったのは江南の推理で彼女の心情を思いやるところ。でもこれがある事で原作の虚無感がよくあらわれていたと思う。ラストシーンも台詞は聞かせずに上空からの鳥瞰図で状況を見せる。演出とカメラワークと俳優の演技でとても良い映像化になったと思う。
大満足のドラマ化だったけど、CMの多さには参った。しかもそれがここで?というところで入るので気が削がれる。出来ればCMなしで一気見したいので、Blu-rayが出たらこれはぜひ買いたい。
読書会

読書会

2002年から月1回地元の読書会に参加している。児童書の読書会で何回か誘われて、最初は読書は個人的なものだし大勢で読むのはなあ、と躊躇っていた。でも一度参加してみて少し緊張したけど、自分とは違う感想を聞けたことで気づかされることがあり、こういうのもいいなあと思い参加を決めた。
自分では選ばない知らない本を読めることも新鮮な喜びだった。最初は聞くだけだったけど、年に1度順番でレポーターもするようになり、そうすると作者や作品について調べるようになり、そのおかげで色々関心が広がり、自分の世界が広がったような気がする。
最初は20人ほどのメンバーで公民館を借りていたが、だんだんメンバーも減り今は7〜8人。コロナ禍前はファミレスを使っていたが、コロナ禍最中はLINEでの感想会になり、一昨年秋からは市内に出来た小さなカフェで月一回開催している。メンバーが減ったので、年2回担当することもある。8月はお休み、12月は通常とは違い、自分のおすすめの本、1番感動した本、思い出深い本、など本以外漫画でも画集でもなんでも紹介する会になっている。
体調悪くて代わってもらったり、家庭の事情でしばらくお休みしたり、快く受け入れてくれる気心の知れた仲間たち。このゆるさが長く続いている理由だ。
メンバーも初期の人は高齢化して退会したり、でも最近少し若い方、と言っても中高年だけど、も加入してきている。30年の活動記録をまとめた冊子を作ったり、カフェ主催の朗読会に参加したり、新しいことも試みている。これからも続けられる限りはわたしも参加していくつもり。
写真は読書会で初めて出会いとても感動した本たちの一部。こういう出会いがあるので読書会はやめられない。
映画音楽はすばらしい NHKBS放送

映画音楽はすばらしい NHKBS放送

録画で見た毎回楽しみに見ている番組。
オーケストラの演奏やゲストの歌に合わせて映画の場面が見られるのがなんか得した気分。
「レ・ミゼラブル」とか「キャッツ」は元々舞台ミュージカルだから、映画音楽になるのかはやや疑問だったけど。

映画が洋画ばかりなので歌手の人みんな英語で歌ってるのがすごい。
島津亜矢、演歌歌手だと思ってたけど英語の歌をパワフルに歌っててすごかった。
遥海、鈴木瑛美子の2人もとてもパワフルで上手い!そういえば共にミュージカル「SIX」日本版に出演するんだった。
驚いたのがラブサイケデリコ。最初画面見ずに聞いていた娘が「ああ、なんか声似てるなと思ったんだ」と言った。そういえば娘はCD持ってた。昔聴いていたなあ。

映像で驚いたのが「青春白書」トム・クルーズが若くて可愛くてびっくり。こんな時代もあったんだ。
番組のラストが「風と共に去りぬ」だったのが嬉しかった。ああ、ヴィヴィアン・リー!クラーク・ゲーブル!
手話について

手話について

昨日の東京新聞社説「手話で笑顔を広げたい」を読んだ。その中で昨年の憂慮すべき裁判の判決として「日本手話で授業を受ける権利は、憲法で保障されているとは言えない」というものがあったことを知った。日本手話を使う小学生らが日本語対応手話で授業が行われため学ぶ権利を侵害されたとしておこした訴訟に対する判決だ。胸が痛む。慣れ親しんだ「母語」を奪われた子どもたちの悲しみと怒りが胸に迫ってくる。学校では日本手話に堪能な教師の退職により日本語対応手話の方へ移行が進んだという。日本手話を使いこなす人材が不足していること、日本手話に対する社会の無理解や軽視もあるという。
かくいうわたしも手話に「日本手話」と「日本語対応手話」があることを知ったのは丸山正樹さんの『デフ・ヴォイス』を読んだ時だった。それまで「日本語対応手話」が手話の事だと思っていたので驚いた。それから関連書籍を読んだりNHKの「みんなの手話」を観たりして、手話とろう文化について少し勉強して、以前よりは理解が深まったつもりでいた。だから手話について社会の理解がまだまだ進んでないことにショックを受けた。手話を習うでもなく何らかの活動をしているわけでもないくせに、いっぱしの理解者でいたつもりの自分が恥ずかしい。
そして今日、東京新聞の第一面に ー「手話は言語」を法律にー という見出しを見て感動した。超党派議連が法案を提出するというのだ。
やっとここまできた。ぜひぜひこの法案が成立しますように!祈ることしかできないけれど、まだまだだろうけど、見守り続け応援し続けたい。
NHKプラス

NHKプラス

B'zを見たいがためNHKプラスに登録したので、せっかくだからアルフィーも見たい、それならiPadよりTVの大画面で見たい。幸いスマートテレビなのでネットに繋がる!手続きにちょっと手間取ったけど無事TVで見られるようになった。
アルフィーの3人も変わらないなあと感心して、そのまま高橋真梨子、米津玄師、石川さゆり、玉置浩二、福山雅治、MISIAと結局最後まで流していた。思ったより楽しめた。

最近はあまりTVは見ないのだけれど、たまに気になる番組もあり、録画忘れても見逃し配信があるのはありがたい。
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