日々の雑記
『ホシムクドリがうたう歌』

『ホシムクドリがうたう歌』

『ホシムクドリがうたう歌』オクタヴィー・ウォルタース・作 潮ア香織・訳 アチェロ 2024年

ネットで見かけて一目惚れして購入。
表紙カバーがクラフト紙っぽくて、つるつるしてなくてぬくもりのある手触り。版画なのでモノクロだけど、ホシムクドリのクチバシと足だけが黄色い。

ー歌をうたおう、ホシムクドリはおもった。
こうやってみわたせば
せかいはすてきなものにあふれているという歌。
それをみんなのまえでうたうんだ。ー

ホシムクドリはさまざまな鳥に自分の思いを話し、鳥たちはそれぞれが素晴らしいと思うことを告げる。
みんなの思いをのせてホシムクドリはうたう。

ーホシムクドリはうたった。
空からみおろす、まるい大地の歌を。ー

ホシムクドリのうたう世界はこんなにも美しい。それを感じられるように生きてゆきたい。
『きつねの橋 巻の三 玉の小箱』

『きつねの橋 巻の三 玉の小箱』

『きつねの橋 巻の三 玉の小箱』 久保田香里・作 佐竹美保・絵 偕成社 2024年

ちょっとこの巻は辛かった。主人公貞道の話より、葉月と姫宮の話が気にかかった。

人ときつね、幼い頃は一緒に遊んでいればよかった。いや姫が庶民だったら、大きくなってもそれほど問題はなかったろう。しかし姫は貴族、しかも皇女の身分で母方も身分高い貴族だ。この時代の貴族の姫なら当然身につけねばならないことが多くある。そしてそれは葉月では教えられない。お付きの女官がどうしても必要になってくる。姫が嫌がってもそれは必要なことなのだ。姫を思う葉月の心根だけではどうにもならないのだ。謎の玉のせいで思いがけなく姫の評判を傷つけてしまった葉月の苦悩。一度は去ろうとするが、姫の「葉月はそのままで、そばにいて」という言葉に、これからも心から姫を支えようと決心する。
姫もわかっているのだ。葉月といつまでも子どものようにじゃれあうことは出来ない。貴族の姫として生きるためには、楽しいことだけでなく、辛いこと、時には見たくないことも見なければならないこと。そんな時、幼い頃共に過ごし、変わらぬ思いで自分を支えてくれる葉月がいてくれたら耐えられる。だから変わらずそのままでいてほしい。
人ときつねの垣根を越えて、変わらぬ2人でいてほしい。だがいつまでこのままでいられるだろうか。姫も成長すれば葉月も成長する。どんな形であれ、支え合う2人でいてほしい。

怪しい玉のこと、あやめ丸のこと、厳しい女官中務のこともおもしろかったのだけれど、もう今回はこの2人の感想しか出てこなかった。


元々道長や、前作では源倫子も出てきたので、斎院を辞したこの姫宮も実在の人物だろうとは思っていた。物語にあまり先入観を入れたくなかったのだけれど、この先の展開が推測できたので、姫宮ー尊子姫について調べてみた。

冷泉天皇の第2皇女で道長と同年の生まれ。十五代斎院を務め母の逝去で辞している。とても美しい姫だったらしい。また作中でもあった「火の宮」と呼ばれていたのは事実だった。
作品では母方の祖父が一条摂政とあったが、これは藤原伊尹のことだった。藤原北家、名門だ。最初に調べておけばよかった。一条邸が寂れた感じなのは、彼の死去により権力が弟の兼家に移っていったためか。皇女であり、母方の出自も申し分なかったのに、あまりこの方のことは知らなかった。
尊子姫のその後は、円融帝、一条帝をめぐる兼家、道長一家の栄華の影で、わたしの目に触れずにひっそり進んでいた。この方のことを知ることができてよかった。この作品に感謝したい。

尊子姫の次代の賀茂斎院が大斎院と呼ばれた選子内親王(村上天皇皇女)。大斎院の文学サロンについては国文科の授業で習ったので懐かしい。

ちょっと余計なこと連想した。もし尊子姫が宮中にあがったら葉月もついていくのかな。そのときは葉月も大人になっていて、妖艶な美女になり、殿方と浮名を流したりして。でもこれじゃ違う話になってしまう。まるで玉藻の前みたい。
玉藻の前といえば、子どもの頃わたなべまさこの漫画『青いきつね火』を読んだ。(岡本綺堂の『玉藻の前』が原作)怖くて切なかった。もう一度読みたいな。
オスカー・ワイルドとベラスケス

オスカー・ワイルドとベラスケス

『幸福の王子 オスカー=ワイルド童話集』
ワイルド・作  井村君江・訳 偕成社文庫 1989年

『ベラスケスの十字の謎』エリアセル・カンシーノ・作 宇野和美・訳 徳間書店 2006年

『ナイチンゲールが歌ってる』の作中バレエ作品「王女の誕生日」の原作がオスカー・ワイルドだと知り、本棚からワイルドの童話集を出してきた。この本の中では「スペイン王女の誕生日」とあるのがそれにあたる。そうそうこういう話だった。酷い話なので覚えていたのだ。
その他の話も久しぶりに読んでみたけど、ほとんど不幸に終わる話で驚いた。唯一「わがままな巨人」だけが、ほっとするいい話だった。これ子どもが読んでいいのか?むしろ大人向きではないかと思う。さし絵が美しい。

そしてこの「王女の誕生日」のアイデアの元になったのが、ベラスケスの絵画「ラス・メニーナス」ということなので『ベラスケスの十字の謎』を思い出した。この絵には王女と女官たちの他にたしかに小人らしき人がいる。当時の王宮では道化として小人が仕えていたのは事実だ。この絵の中に描かれた人物は実在していて、身元が特定されているという。ただ1人だけ特定されていない人物がいることと、絵の中に描かれた作者ベラスケス自身の胸にある十字架が謎として残っているという。その謎を解き明かすのがこの『ベラスケスの十字の謎』で、たいそうおもしろかった。

この「ラス・メニーナス」は世界三大名画のひとつということを初めて知った。あとの2つは
エル・グレコ「オルガス伯の埋葬」
レンブラント「夜警」
ダ・ヴィンチ「モナリザ」
えっと、3つあるんですが?
なんでも「ラス・メニーナス」を含めたこの4点から、説によって3点選ばれているとか。そんな面倒なことしないで、素直に四大名画ってことにすればいいんじゃないですか?

そしてどの説でも「ラス・メニーナス」は入っているとか。それだけ「ラス・メニーナス」が評価されているってことかな。たしかにちょっと見ない不思議な構図だと思う。
自治会役員会

自治会役員会

自治会の役員会に出席した。活発な意見交換があったが、わたしは感心しながらおとなしく拝聴するだけだった。
後半ある件についての対処が議題に上がり、これについても会長はじめ役員方の判断に賛成しただけ。気にはなっていたが詳しい事情を知らないでいたので、この場である程度わかってよかった。役員会に出ていろいろ知ったことも多く、やってよかったと思えた。一年限りだからそう言えるのだけど。
役員の大変さを間近に見ていたので、出来るだけお手伝いしたいという気持ちはある。だだ今年度限りの1年なので出来たけれど、常任となると申し訳ないけど今の体調では無理だ。2年前の怪我がなければ、やれたかもしれないが。
午前中1時間半の会議だったけど、帰ってからぐったり疲れて、夕方まで横になっていた。ほとんど聞くだけだったのにこのありさま。

早めの夕食を終え、6時から帝劇コンサートの配信を見る。途中休憩をはさんで終演は9時40分過ぎ、10時近かった。とても良かったけれど、午前の疲れもあり終演後またもやぐったり疲れてしまった。こんな状態で実際の観劇に行くなんてはたして出来るのだろうか。
積読

積読

ずっと迷ってた『エジプト人シヌへ』を思い切って購入。さあ、読むぞと張り切ったが、返却期限のある図書館本を優先しなければ、と後回しに。
そして図書館に返却に行くと、次のリクエスト本が待っていて、さらに館内を回ってると目についた本があり(おっこれ新刊出てたんだ、とか、今読んでる本にこの本出てたな、とか)ついつい貸出カウンターへ。おかしいな、いっぱい返却したはずなのに、行きと帰りのバッグの重さが変わらない。
そうこうしてる間に『図書館の魔女』の新刊、シヴォーン・ダウドの新刊も届いて…こうして積読本が増えていく。
『ナイチンゲールが歌ってる』

『ナイチンゲールが歌ってる』

『ナイチンゲールが歌ってる』ルーマー・ゴッデン・作 脇 明子・訳 網中いづる・絵 岩波少年文庫 2023年

以前偕成社から『トゥシューズ』というタイトルで出版されていた作品。
その時読んだはずなのに、苦しい生活の中バレリーナを目指す少女の物語、ということしか覚えていなかった。いろいろな要素がいっぱいつまっていて、王道少女漫画や連続ドラマを見ているようにハラハラしながら楽しめた。詰め込みすぎかなと思うところもあるけど、最後に大団円を迎えるあたり、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの、収集つかないほど広がった話が最後にシュッと収束するさまに似ている。あれほど疲れないけど(あまりに疲れるのでダイアナの作品は少し敬遠するようになったほど)。

バレエについては山岸凉子の漫画でしか知らないけれど、授業の場面などは漫画のシーンを思い浮かべて楽しめた。技術的なことなどは解説がついていてとても親切。王立バレエ学校のオーディションではミュージカル「ビリー・エリオット」のことも思い出した。

ラストでロッティが王立学院前に教わっていた恩師の言葉として「ナイチンゲールをきくのよ、とおっしゃいました」と言う。これがタイトルになっているのだけど、ちょっと抽象的すぎて戸惑う。考えてみた。容姿や才能や生活環境は生まれついたもので変えられない。技術は努力である程度身につけられる。その他に心を豊かにしてくれるものに多くふれなさいと言ってるのではないか。それは決してきらびやかな贅沢なものではなく、ロッティを支えてくれるもの。貧しい中で精一杯の愛情を注いでくれる伯母、隣人、厳しくも暖かく教え導く教師、栄養ある食事を提供してくれる学校の調理師など。自分を支えて愛してくれる人たちへの感謝を忘れず、また自分も相手の支えとなるよう勤めること。それらが自分の糧となり、たしかな技術と相まってバレリーナとしての自分を形作ってくれる。
同級生のアイリーンは裕福な家庭、美しい容姿、才能に恵まれていたけれど、基礎練習をおろそかにし、人の好意を無にする。彼女はナイチンゲールを聞こうとしなかったのだ。

しかしこの「ナイチンゲールを聞く」という言い方は英米では一般的なものなのだろうか。調べたらわかるのかもしれないが、とても素敵な言い方だと思った。

バレエ学校の舞台の演目「王女の誕生日」はオスカー・ワイルドの原作。そういえば聞いたことあるお話だった。そしてそのアイデアの元となったのが訳者あとがきによると、ベラスケスの絵画「ラス・メニーナス」だということで驚いた。ちょうど先月の読書会で『ベラスケスの十字の謎』という作品を取り上げたばかりだったので。ここでもまた本のつながりを感じた。
『杉森くんを殺すには』ー『りぼんちゃん』からの連想

『杉森くんを殺すには』ー『りぼんちゃん』からの連想

『杉森くんを殺すには』長谷川まりる・著 おさつ・絵 くもん出版 2023年

評判は聞いていた。興味はあった。しかしどうしてもタイトルに引いてしまい、なかなか手に取ることが出来なかった。タイトルの物騒さに比べてポップな感じの表紙にも戸惑った。

読んだのは昨年だったが、『りぼんちゃん』の感想を書きながら、タイトルと中身の違いといえばこれもそうだったな、と思い出した。
タイトル通りのことが起こるとは思っていなかった。ただインパクトを狙ってのタイトルなら、ややあざといかなと、そこに躊躇いがあった。

たぶん(いじめなどで)傷ついた主人公が再生する話だろうと想像はついた。だがのっけから「杉森くんを殺すことにした」と主人公のヒロが言い出したので、これはかなり深い傷だな、一筋縄ではいかないぞ、と思った。言葉の深刻さに比べて口調は軽く、文体もどちらかといえば明るい。この子はどうすれば立ち直れるのかと心配したが、相談した相手ミトさんが実に的確なアドバイスをくれた。
「どうしてそう思ったのかを、裁判で説明出来るようにきちんと言葉にしてしておくこと」
「今のうちにやり残したことをやっておくこと」
もうこれだけで立派なカウンセリングだ。こういうやりとりが出来るのは、2人の間にたしかな信頼関係がないと難しい。普通はその関係を作るのに時間がかかる。ミトさんがいてよかった。こうしてヒロはそのアドバイスを忠実に実行していく。

「きちんと言葉にする」先日読んだ『他者の靴を履く』でも出てきたが、これは本当に大切なことだ。そう思った理由をひとつずつヒロが言葉にしていくたびに、杉森くんとは誰なのかが明らかになっていく。またやり残したことをやるのに、ちゃんと付き合ってくれる仲間も出来て、それがなんか楽しそうでいい。
喪失と再生。こういうふうな描き方もあるのか。タイトルも含めてこれが作者のスタイルなのだろう。最初の躊躇いに比べて読後感はよかった。
『きみの話を聞かせてくれよ』

『きみの話を聞かせてくれよ』

『きみの話を聞かせてくれよ』 村上雅郁 フレーベル館 2023年

ある中学校のほぼ1年間の物語。1年から3年の生徒たちの群像劇。7つの話それぞれのエピソードに中心となる生徒がいて、でもみんなが全てのエピソードにかかわり、にぎやかに話が進むさまは、ほんとうに中学の教室、校内にいるようで懐かしい。

ああ、そうだったなあ。この瑞々しくやっかいな気持ち。中学生かあ。
揺れ動き行き場のないいらだち、自分勝手に傷ついて、人を傷つけたことで自分もまた傷つく、青くさいけどだからこそ純粋さがまぶしくて。残念だけどもうわたしにはこういう感性はない。この世界はずうずうしくならないと生きづらいから。みんなみんな頑張って生きるんだよ!と声援を送りたくなる。

全編を通して不思議な存在感を示す2年生の黒野くん。最初「黒野」という名前が出てくるたび黒野→クロノ→クロノス?とついつい連想してしまい、この子が全ての鍵なのか?と深読みしていた。でもこの子は「クロノス」ではなく「クロノラ」だったんだ。クロノラ→くろノラ。
その黒野くん
「人間ほどおもしろいものほかにはない。どいつもこいつも、なんだかんだ、あれこれめんどくさいもの抱えて、それにしばられ動けなくなったり、逆にふりまわされたり。でもそういうのって、いとおしい」
これからもみんなの話を聞いてあげてね。

『りぼんちゃん』の時はあまりに入れ込んで苦しくなるほどだったけど、この作品はもっと落ち着いてそっと外から見守ることが出来た。この差は何なのか。小学生と中学生の違い?『りぼんちゃん』が扱っていた問題が深刻で辛かったのか?中学生はやはり世界が広がるから、その分関わる人も増えてなんとか気持ちの閉塞感が薄まるのかもしれない。
『りぼんちゃん』は読み返すのが辛いのだけど、こちらはむしろ読み返して反芻したくなる。この子たちのために未来が明るいものでありますように。そのために大人たちはもっと頑張らなくては。
村上雅郁の本 『りぼんちゃん』他

村上雅郁の本 『りぼんちゃん』他

以前つけていた読書ノートを見つけた。その頃思いたって、読んだ本の記録を少しでも残しておこうと書いていたのだ。いつからつけなくなったのかとたどっていったら、コロナ感染した頃で止まってた。その後リフォームの為の引っ越しとか入院とか体調不良とかで、すっかり記録が止まっていた。読み直してると、忘れてることの方が多くて、やっぱり記録は残しておくものだなと思った。

簡単なメモが多いその中で、ものすごい熱量で書いてあるのが、村上雅郁の『りぼんちゃん』だった。詳しい内容は書いてなくてただただ感情のままに書き殴ってあった。何だこれは。
お行儀よくまとめた文を読むより、めちゃくちゃだけど、胸と瞼が熱くなる。書き抜いてみよう。

村上雅郁の本は当時は市の図書館には入ってなかったので『あの子の秘密』と『キャンドル』は他館から取り寄せてもらって読んだ。(今はこの2作品も推薦図書になったこともあり、所蔵している)少しだけ感想メモがあった

『あの子の秘密』2019年 フレーベル館
 なんかみんなそれぞれ秘密があったけど、意外な子の秘密に「ああ!」となった。

『キャンドル』2020年  フレーベル館
 村上雅郁の本は心にぐさぐさくる。構成も上手い。ずっと追いかけたい作家。

『りぼんちゃん』は新刊の時にリクエストしたので運良く購入してくれた。

『りぼんちゃん』2021年 フレーベル館

タイトルと表紙のかわいい絵でだまされるな!とんでもない苦いクスリだぞ!
子どもだから大人にまじめに相手にされないってつらい。本当に精神的虐待を受けている理緒はもちろんだけど、朱里の描写に思い当たることがいっぱいあって辛い。これ全ての子どもに経験あると思う。
言いたいこと、思ってること、正確に伝えられなくて、そのうち思ってもいないことを言ってしまい、呆れられ、ますます相手から(親からも姉からも友人からも)侮られる存在になってしまう。悔しくて悲しくて、読んでて何度も涙が出てしまう。大人は忙しくてかまってられないとか言い訳だ。いや少しは本当か。自分はこんな大人に絶対ならないと決心していたのに、いつのまにか同じことを自分の子どもにもしている。反省。いや、親になるといろいろ忙しいんだよと言いたいけど…それは本当に言い訳だ。

朱里の言葉がいちいち突き刺さる。

ーわたしの言葉なんてまともに聞いてくれない。体がちいさい、子どもっぽいから軽んじてじていい存在だとみなされる。困っていてもどうせ大したことないと思われる。大人になりたい。だれかを守れる人になりたいー

ーひどいよね、子どもだから何もできないのに、子どもだから助けがほしいのに、だからもういい。大人のことはどうでもいい。どうせ助けてくれない。だったら自分で何とかするしかない。
聞いてほしいときは無視しておいて、子どもだからってあなどっておいて、虫がよすぎる。わたしたちそういつまでもおとなに期待なんかしてあげないんだからー

でもこの子はちゃんと一歩を踏み出す!

ーどうせわかってもらえないじゃダメ。わかってもらえなきゃいけない。話して、伝えて、おとなたちを動かさないといけないー

そして自分の説明では両親は聞いてくれないので中学生の姉を頼る。この姉もたいしたもの。この案件は児相に報告すべきという。そして厚生労働省の「子ども虐待対応の手引き」を調べあげる。

ーこの国にはちゃんと子を守る制度があってそのためにたくさんの大人たちが働いている。だからまかせてみよう、信じてみよう。
この世界ってサイアクなおとながたくさんいて子どもは傷つけられてばっかりで、ほんとうにいやになるけど、子どもが信じる価値のある大人だっている。いるところにはいるんだよ、ちゃんとー

わたしたちはこの言葉に恥じない大人でいなくては。

このままだとあまりに大人の分が悪いので、朱里の父親の言葉でしめよう。
「子どもの心を大事にできるおとなでありたいよな。がんばらなくちゃ」
井上芳雄「奇跡の夜に」を歌う

井上芳雄「奇跡の夜に」を歌う

WOWOWで「芳雄のミュー・オン・ステージ2024」(2024年10月16日収録)を見た。

その中で井上芳雄が「ハロウィンが近いので、幽霊とかゴーストとか悪役とか、そういう曲をメドレーで歌います」と言って歌いはじめた。
そのイントロを聴いた途端「え?これ?ゴースト&レディじゃん?!」と驚いた。確かにテロップに「奇跡の夜にーゴースト&レディ」と出ていた。まさかここで「ゴースト&レディ」の曲が聴けるとは!しかも井上くんの歌で!
歌唱はさすがでした。まあ上手いこと上手いこと。四季の俳優さんが下手だったわけでは決してない。しかし芝居の中でなく純粋に歌だけのこういう場面では、どうしても井上くんの歌唱力に耳を持っていかれる。実は彼の声と歌い方はそれほどわたしの好みではなく、歌によっては合わないなあと思うこともあるのだ。でも今回はとてもよかった。いいもの聴かせてもらいました。

今、帝劇閉館前の最後の演目、帝劇コンサートやってて、井上くんは全日程に出演してる。ライブ配信があることを知って、22日と千秋楽の28日の分の視聴チケットを購入した。楽しみだ。
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