八木重吉と漢詩

八木重吉と漢詩

昨日娘が急に「水を渡り水を渡り」と言い出して、「えっ何それ?」と聞いたら「八木重吉かなあ?巫女の唇が赤いって終わるの」とうわごとのような事を言って、風呂に入って行った。

なんだそれ?
検索して「水を渡り〜」は漢詩、「巫女の唇〜」はたしかに八木重吉だと判明した。なんでその二つが結びついた?

漢詩の方は高啓という人の作。

「尋胡隠君 こいんくんをたずぬ」 高啓 

渡水復渡水  水をわたりまた水をわたり
看花還看花  花をみ また花をみる
春風江上路  しゅんぷうこうじょうのみち
不覚到君家  おぼえずきみが家に至る

きれいな詩。口に出して唱えたくなる。


八木重吉の方は、詩集『秋の瞳』の中の「大和行」という詩だった。最後の行がこれ。

白衣の 神女は くちびるが 紅い
(びゃくえ) (みこ)


この「大和行」八木重吉にしては長い詩なので(16行)覚えていたそうだ。「素朴な琴」は4行、「花になりたい」は2行だものね。
久しぶりに八木重吉詩集を取り出して眺めていた。やっぱり好きだなあ。
やなせたかし

やなせたかし

最近朝ドラも大河ドラマも見なくなったけど、情報はけっこう耳に入ってくる。
今季の朝ドラ「あんぱん」は漫画家やなせたかし夫妻がモデルらしく、ちょっと興味はあったのだけど結局見ていない。

やなせたかしは「アンパンマン」で有名だけど、わたしが初めて彼を知ったのは小学生の頃テレビでやってた「まんが学校」だった。なんか講師みたいな立場だった。そのときは彼の作品を読んだことなくて、でもわたしの知らない偉い漫画家さんなんだなと思っていた。
その後雑誌「週刊朝日」(当時親が毎週買っていたので家にあった)で懸賞漫画が募集され、それに入選したのがやなせたかしの「ボオ氏」だった。懸賞漫画なのでてっきり新人が応募してると思ってたのに、現役の漫画家も応募していたのかと驚いた。そのあと「ボオ氏」が連載されていたけど、頭が帽子で顔がないボオ氏が主人公のセリフのない4コマ漫画で、当時のわたしには(たぶん中学生)あまり面白くなかった。今なら違う感想を持ったかもしれない。

やなせたかしの名前はずっと覚えていたけど、漫画はそれ以来読んだことなかった。短大卒業後だったか、サンリオの雑誌「詩とメルヘン」を友人にもらってその編集長が彼だと知って、漫画じゃなくて詩とイラストを書くようになったのかと驚いた。優しい詩とイラストはけっこう好きだった。
「詩とメルヘン」は一時期ハマって読んでいた。イラストコンクールの受賞者でその後活躍してる人も多い。わたしは葉祥明の絵が好きだった。

「アンパンマン」を知ったのはいつ頃だったか。子どもたちが小さい頃、たしか新聞の日曜版で読んでいたのだが、それが初めてだったのかどうか覚えていない。気がついたら大人気でやなせたかしの代表作になっていた。
「手のひらを太陽に」の歌詞がやなせたかし作だというのはかなり後になって知った。

こうしてみるとわたしはファンとは言えないけれど、年を重ねて違う形で何度も出会っていた漫画家さんだった。それもまた縁なのだろう。わたしにとって1番思い出深いのはやはり「詩とメルヘン」になるのかな。そしてあの頃理解出来なかった「ボオ氏」は、今読んだらどんな感想を持つのだろうか。ちょっと気になる。


写真はハンゲショウ。半夏生が過ぎ花が終わると、葉っぱの白い部分がこれからまた緑に戻っていく。不思議な花。
低音障害型感音難聴

低音障害型感音難聴

低音障害型感音難聴になってしまった。
昨日左耳に違和感があった。なんかボワーンとした感じでまるでプールから上がった時の感覚だった。痛みはないし、別に聴こえも悪くない。ただちょっと自分の声がこもって聞こえる。あくびしたら治るかなと思っていたが、何回かあくびが出ても治らない。まあそのうち治るだろうと軽く考えていた。
今朝になってもまだボワンボワンとした違和感があった。昨日より悪化してるし、ほんの少し右耳にも違和感出てきたので、さすがにこれはちょっとまずいかなと、耳鼻科に行くことにした。本当は今日は映画に行く予定だったので、映画の帰りに寄ればいいかなとも考えたのだが、もし突発性難聴とかだったら早い方がいいだろうから、映画よりも耳鼻科を優先した。

医師の診察では外耳には異常ないが、こういう症状は聴力が落ちていると出てくるとのこと。聴力検査の結果、やはり2年前より落ちていた。しかも症状があったのは左耳なのに、聴力が落ちていたのは右耳だった。確かに検査の時右耳の方が聴こえが悪かったので不思議だったのだ。悪い方と逆の方に症状が出るのはよくあることらしい。

病名は低音障害型感音難聴。突発性難聴の一種とのこと。ストレスなどで起こるそうだ。「生活環境が変わったり、強いストレス感じたりなど心当たりありますか?」と聞かれたけど、特にない。熱中症対策にかなり気をつかってるくらいかなあ。寝不足やガザなど心痛める世界情勢も関係しているかも。
治療としてはとりあえず利尿剤の服用になった。ステロイドの方が効果があるらしいが、高血圧や糖尿病があると使えない。わたしは今高眼圧の治療で点眼薬を使っているが、それにも影響あるらしく、ステロイドを使うなら眼科医に相談しなければならないという。まず1週間利尿剤で様子を見ようということになった。
その薬だけど、医師が「不味いけど頑張って飲んでね。もしどうしても無理だったら言ってね」と言ったので驚いた。え?そんなに不味いの?薬局の人も「冷やしたり、レモン汁加えたりしてもいいですよ」と苦笑いしながら言ってた。どんだけ不味いんだ?

その薬「イソバイドシロップ」昼食後飲んだけど、うん、確かに不味い。複雑な味だった。あれ?甘い?いや苦い!どっちだ?すごく苦いのを緩和するために甘いシロップを混ぜているようだ。でも緩和しきれない苦さが残ってる。ようするにとても不味い。飲めない程ではないけど、飲んだ後口直しが欲しい。これを1日3回飲むのか。なかなかの苦行だ。良薬は口に苦し。

薬はその他に2種類出た。メコバラミン錠とアデホスコーワ顆粒。こちらは錠剤と顆粒なので難なく飲めた。

メコバラミン錠って、ああ、これメチコバールか!夫が橈骨神経麻痺になった時服用した薬だ。ビタミンB12製剤で、ビタミンでこの症状が治るの?と疑ったのだけど、これがちゃんと治ったのだった。夫と同じ薬を飲んでいるのかと思うと、ちょっと切なく懐かしい。
雑草取り

雑草取り

このところ伸び放題だった雑草を何とかしなければ、ずっと思っていた。雨も上がりまだ日もささないうちに、と意を決して庭にでた。最初は頑張ってしっかり根っこから取っていこうとしたが、とても間に合わないので雑に取ることにした。それでも全体をそこそこ地面が見えるようにするには小一時間かかった。ちょうど日ざしも出てきたので切り上げた。
家に入ると娘が「顔が赤い」と熱中症の心配をしてくれた。確かに昨年も同じような状態で軽い熱中症状態になったので(あの時は2時間くらいやってた)、首とおでこに保冷剤を巻き、手のひらに保冷剤を当ててしばらく休んだ。

今年はすでに軽い熱中症らしいものを3回やらかしているので、充分注意しなければならない。年齢と共に体温調整力が衰えてきて、年々熱中症にかかりやすくなっている。それを考えると夏の草取りはなるべくしないほうがいい。防草シートを敷くとか考えよう。
「ヨルダン川西岸に生きる」ーBS世界のドキュメンタリー

「ヨルダン川西岸に生きる」ーBS世界のドキュメンタリー

NHKBS放送の「BS世界のドキュメンタリー」シリーズ。
「ヨルダン川西岸に生きる〜パレスチナ人家族25年の記録〜」

映画「ノー・アザー・ランド」と同じくヨルダン川西岸に暮らす人々を描いている。こちらは25年間の記録なので、その間の変化がより大きく、人々の苦難の歴史が綴られていく。この地で700年以上も農業を営んできたのに、植えた木が倒され、家が壊され、入植者たちの挑発と暴力に晒されている。イスラエル人の入植が進み、巨大な建物群があらわれた25年後の映像はあらためてショックだった。入植地には水道が引かれ、パレスチナ人の土地には雨水を溜める貯水槽が作られている。その貯水槽をイスラエル軍が壊していく。「ノー・アザー・ランド」でも同じように井戸を埋めるシーンがあった。
何でこんな理不尽な事が平気でできるのか。やりきれない。
少しほっとしたのはイスラエルにもこういう行為を批判する活動家がいて、抗議する姿があった事。「同じイスラエル人として恥ずかしい」と言っている。

印象的だったこと。抗議する女性に若いイスラエル兵士が「ここは2000年前に我々が住んでいた。やっと帰ってきたらよその人が住んでいた。自分たちの行為は正当だ」と言う。
それに対して「パレスチナ人だって2000年前から住んでいた」と答えると、しばらく黙っていたが、「自分は聖書を信じている」と言って会話は終わる。
「聖書を信じている」それが根拠なのか。そういえば以前のドキュメンタリーでも、パレスチナに同情的な人に、その友人が「元々我々の土地をパレスチナ人に譲歩してやってた。それはちゃんと聖書に書いてある」と言っていた。

人道的な考えよりも国際法よりも、何より「聖書」なのか。それを持ち出されたらどうすればいいのか。

思い立って聖書を読んでみた。
モーゼに率いられエジプトを脱出し、苦難の末にモーゼの後継者ヨシュアが率いて神が約束した地カナンに入る。ヨルダン川を渡りエリコの町に至る。難攻不落なエリコの城塞を神が崩してイスラエルが攻め入るのだが、ここで驚いた。神の言葉が「町とその中にあるものはことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」なのだという。え、滅ぼしつくす?
「エリコの戦い」って言葉は知っていたけど、まさか虐殺なの?
Wikipediaによると、考古学的にはイスラエル人がエリコに着いたときはすでに町は廃墟だったらしい。だから虐殺はなかったらしいが、でも聖書にこう書いてあるということは、意味のあることなのだろう。「聖絶」というらしい。
神を信じなかった人々を滅ぼしたのか。「ノアの方舟」で一旦全人類をほろぼした神だから、それくらいやりそうだ。

なんか読んでいたら気が滅入ってきた。信者でも研究者でもないわたしには、聖書を正しく読み解くのは難しい。パレスチナ人を人間扱いしないイスラエル人の根拠が聖書なら、もうどうしようもない気がする。それでも国際社会は全ての人の人権を尊重するように、働きかけていくしかない。
タイサンボク(泰山木)の花

タイサンボク(泰山木)の花

病院への行き帰りに、昨日の蕾が咲いているのに出会えた。この様子だと咲いたのは昨日かもしれない。蕾の時と違い、花が咲くと大きく開いた花びらの一部が葉っぱに隠れてしまった。わたしの背がもう少し高ければ、上からの角度で花全体をきれいに撮せたのにな。
タイサンボク(泰山木)の蕾

タイサンボク(泰山木)の蕾

家から駅に行くまでの通り道に泰山木がある。白くて大きな花で、たいてい高い所で上を向いて咲く。ちょうどいい高さでも葉っぱの陰になったりするので、なかなか綺麗に咲いたところを鑑賞できない。いい位置に咲いていても、まだ蕾だったり、逆にもう終わって黄色く変色していたり、毎日通るわけではないので、タイミングが合わなくてがっかりする事が多い。

この花は昨日夕方に見つけた。今日もその道を通る予定なので、うまくいけば開花したての花に会えるかもしれない。
100話無料にひかれて

100話無料にひかれて

漫画『ちはやふる』(末次由紀・作)
webで100話無料だったので、少しずつ読めばいいのについつい一気読みしてしまった。わかってたけどおもしろい。連載はじまった頃気になっていたのだけど、どうしょうか迷ってるうち10巻越えていき、ここまでくると今さらという気になり、諦めていた。実写映画にもなり50巻で完結。
主人公だけでなく登場人物それぞれストーリーがあり、王道の青春もの。読んでいて気持ちよかった。
千早の部活仲間大江奏(かなちゃん)が好き。呉服屋の娘さんで古典好き。競技かるたの世界を描いているので、競技としてのルールやテクニックの解説もおもしろいのだが、かなちゃんの短歌の解説がいい。彼女の短歌そのものを愛する姿勢がとても好き。彼女は読手に憧れている。良い読手になれるといいな。

100話まで読んだけどまだ19巻途中。先は長い。でももうこれで充分満足した。いつか続きを読むかもしれないけど、とりあえずこれで一旦読了。
白い紫陽花

白い紫陽花

紫陽花の季節。
市内の公園にいろんな種類の紫陽花が植ってる紫陽花ロード(勝手に名付けた)があり、その中に白い紫陽花がある。基本的に好きなのは青い紫陽花だけど、この白い紫陽花も清楚で大好き。そして写真を撮って初めて気づいたけど、真っ白だと思ってたら咲いているガク(装飾花)の真ん中が青い。ぽちっと小さい青が可愛い。

以前うちの庭にも紫陽花があったけど、自宅リフォームの時庭木もかなり整理した。もう一度紫陽花植えるなら、青がいいと思っていたけど白もいいな。迷っちゃう。
『あの子を自由にするために』

『あの子を自由にするために』

『あの子を自由にするために』アン・クレア・レゾット・著 横山和江・訳 岩波書店 2025年

『目で見ることばで話をさせて』の続編。前作から3年が過ぎメアリーは14歳になっていた。学校を卒業後、教師になる夢を持ちながら島での生活に追われ、自分の将来について悩んでいた。そんな時以前ボストンでの脱出に協力してくれたノラから手紙が来て、ノラの今勤めているお屋敷に閉じこめられている8歳の少女(どうも聾者らしい)に、手話を教えてほしいという依頼が来る。あの辛い経験から外の世界への恐怖がまだ抜けないメアリー。不安を抱えながらもボストン郊外のお屋敷へ赴く。

メアリーの出会った少女の様子はサリバン先生が出会った頃のヘレン・ケラーのよう(作者も参考にしたという)。ヘレンはまだ家族の愛があったけど、この少女ーベアトリスは親族から見捨てられ使用人任せにされ(屋敷に親族はいない)、まるで動物扱いだった。名門一家にとって障害児はそれだけで恥ずべき存在。知能も劣った言葉も話せない、世間から隠すべきもの。使用人は彼女を理解しようともせず、言いつけ通りただ閉じ込めているだけ。最初はメアリーに会わそうともせず、メアリーの努力をことごとく邪魔する。ベアトリスが暴れるのは、自分を理解しようとせず力で抑えつけられる扱いが続いたから。メアリーは強権的な執事の目を盗み、ノラや使用人の一部を味方につけ、ボストンで暮らしている親友ナンシーの助けも借りて、何とかベアトリスを逃そうとする。

メアリー自身が聾者のため使用人とのコミュニケーションも上手くいかないし、こっそりベアトリスに会いに行っても、執事が立てる物音に気づかないから、いつの間にか近づいてきた彼に何度も何度も邪魔されてしまう。メアリーが失敗するたびにハラハラした。ヘレンと真っ正面から徹底的にやり合って、関係を築いたサリバン先生のようにはいかない。

しかしこの時代本土の聾者の扱いの酷さに驚くと同時に、聾者と聴者が共に暮らし聾者のメアリーもちゃんと学校に行けた島のほうがより進歩的ではないかと思った。島の特殊性もあるのだろうが。

ボストンのナンシーがメアリーに紹介したのが合衆国二代目大統領ジョン・アダムス。この時はすでに元大統領だったけど、え、まだそんな時代なの?と驚いた。確かに前作でも19世紀初頭の話だったけど、感覚的にピンときてなかった。今から200年も前の話だったんだ。
前作でもそうだったけど、作者の詳しい解説もあり、メアリーの物語ではあるけれどアメリカの歴史の勉強にもなる、読み応えのある作品だった。

メアリーの努力が実りベアトリスは本来の居場所に帰る事ができた。メアリーも自分の将来への希望を持つことができた。続編もあるらしいので、翻訳されるのを楽しみに待ちたい。