日々の雑記
原爆の本

原爆の本

新聞の記事を読んで、あらためて家にある原爆の本を出してきた。
『折り鶴の子どもたち』那須正幹
『折り鶴は世界にはばたいた』うみのしほ
『おりづるの旅』 うみのしほ 狩野富貴子
『ひろしまのピカ』丸木俊
『八月の光』『光のうつしえ』『パンに書かれた言葉』『Soul Lanterns』(光のうつしえの英訳本) 朽木祥

『ひろしまのピカ』『おりづるの旅』は各国語に訳されているし、
『Soul Lanterns』も英訳に続き今年はドイツ語版が出版されるという。
こういう作品がもっともっと世界に知られてほしいと願う。
懐かしい名前

懐かしい名前

今日の新聞に懐かしい名前を見かけた。
「扇ひろ子」
昔「新宿ブルース」が大ヒットした歌手。わたしも好きでよく口すさんでいた。今も歌える。その後映画でも女侠客役で主演していた。着物のよく似合うきりっとした美人だった。

随時掲載されている「昭和20年に生まれて」という特集があり、今日の記事が彼女だった。
そこで初めて彼女が生後半年で広島で被爆していたことを知った。

1964年の広島平和式典で「原爆の子の像」(石本美由紀作詞 遠藤実作曲)という歌を当時19歳の彼女が本名で歌ったという。
芸能界活動の中では被爆者であることを「同情を集めたくない」と多くを語らなかった。「原爆の子の像」も「歌手として歌ったら、仕事に利用したことになる」と長らく封印してきた。その封印を解き、芸能生活30周年の1994年に歌手として初めて披露。以来、犠牲になった子どもたちの無念の思いを歌い続けているという。


彼女が被爆者だったこと、今も生き証人として核廃絶を願い歌い続けていることを知り、頭が下がる。心から核廃絶、戦闘のない世界の実現を願ってやまない。
『サフラジェットの病院』

『サフラジェットの病院』

『サフラジェットの病院 第一次大戦下、女性の地位向上のための戦い』
ウェンディ・ムーア著 勝田さよ訳 みすず書房 2024年

第一次大戦下ロンドンで医師も看護師も事務員も女性だけで運営された病院があり、「ロンドン最高の病院」という評価を受けていたという。そのエンデルストリート陸軍病院 の1915年の開設から閉鎖される1920年1月までの歴史を、膨大な資料を駆使して描き出したたいへんな力作。
まずそんな病院があったなんて知らなかった。本国でも今は忘れ去られた存在であるという。そのことが「女性たちの活躍を認めたくない、世間に知らせたくない」という男性社会の姑息な悪意を感じて怒りが込み上げてくる。読みながら何度「ぐわ〜!」と叫んだかわからない。彼女たちが求めたのはただ「平等な待遇と公正な扱い」だけなのに。

1910年代に女性の医師はいるにはいたが、まともな仕事はさせてもらえず、女、子供しか診察させてもらえなかった。そもそもどんなに優秀でも医学を学ぶ道もなく、ようやく医師の資格を取ってもまともな仕事をさせてもらえない。女性は男性と結婚し家庭を守ることが役目だと世間の目は厳しい。この時代で結婚もせず30歳すぎて医師の仕事をしようなんて女性は変わり者でしかなかった。
(ナイチンゲールもそんな世間の目に苦しみ「死にたくてたまらなかった」のも無理はないという記述があり驚いた。『ゴースト&レデイ』にもフローが死にたがっているというエピソードがあったので)
それが戦争で人手が足りなくなり、さまざまな職業で女性に担い手になってもらおうという気運が高まり、女性の地位向上のチャンスが訪れた。戦争という悲惨な出来事がそのきっかけになったことには、複雑な思いがある。それとこの女性たち、医師も看護師もかなり裕福な家の子女であったことも大きい。医療隊を組織し物資を調達できる財力がないととても無理なことだった。とても恵まれた女性たちだったことも事実で、そこにも少し複雑な気持ちになるが、それでも困難な道に挑んだ女性たちは素晴らしい。
最初はフランスに渡りそこでの経験と成功を元に、ロンドンの病院を任せられる。そこで最高の評判を得、女性も男性と変わらず仕事ができることを証明できて前途は明るかったはずなのに。戦争が終わると環境は一変する。こじ開けられた扉は再び閉ざされる。女性を受け入れていた学校も医療機関も次々門戸を閉ざす。どれほど悔しかったろうか。
戦後男性医師と結婚し自分は医師を辞めた女性が、5歳の息子に戦争中医師だった思い出を話すと「看護婦だよ、医師は男性、女性は看護婦だよ」と諭されたという話には、やりきれない思いがする。あんなに優秀な医師だったのに。

時代は変わり女性の社会進出が進み、女性医師も珍しくなくなった。彼女たちが望んだことはある程度は達成されただろうけど、まだまだの部分もある。訳者あとがきにもあるように、
「だれもが特別扱いされず、1人の人間として正当に評価され尊重される、そんな世の中が実現してほしい」

作中サフラジェットについての記述もあり、『小さなことばたちの辞書』と『ウーマン・イン・バトル』を参照しながら読んだ。エンデルストリート病院を運営した2人の女性医師フローラ・マレーとルイザ・ギャレット・アンダーソンはサフラジェット運動にも傾倒していた。
1918年イギリスは21歳以上の男性と30歳以上の女性に(条件付きだが)参政権を認めた。なぜ年齢に差があるのか、それは3対2で男性票が女性票を確実に上回るようにするためだったという。なんじゃそれ!10年後の1928年ようやく女性も男性と同等の権利を得た。
ちなみに世界で1番早く女性が参政権を得たのは1893年のニュージーランド。1902年にオーストラリア。ヨーロッパで1番早かったのは1906年のフィンランド。アメリカが1920年。イギリスが結構遅かったのが意外だった。

ルーマー・ゴッデン

岩波少年文庫で、ルーマー・ゴッデンの『木曜生まれのこどもたち』(脇明子訳)が刊行される。
この作品、以前『バレエダンサー』というタイトルで違う訳者で偕成社から出ていた。
同じく偕成社からは『トウシューズ』という作品もあったけど、こちらもやはり脇明子さん訳で『ナイチンゲールが歌ってる』というタイトルで一昨年刊行されている。
『ナイチンゲールが歌ってる』のあらすじ見た時『トウシューズ』だと気づき、もしかしたら『バレエダンサー』も出版されるかもと楽しみにしていた。どちらも好きな作品だったので嬉しい。
でも『ナイチンゲールが歌ってる』は図書館に入ってない!以前の翻訳で読んでるから急がなくてもいいと思ったし、当然図書館には入るはずと思っていたのでリクエストしないでいたら…。いかんいかん!リクエストしなければ2作品とも所蔵なしになってしまう。

ルーマー・ゴッデン作品では『台所のマリアさま』が大好きなので、これも岩波少年文庫にならないかな。
猫の9つの命

猫の9つの命

「猫には9つの命がある」と言われていることを、初めて知ったのはダイアナ・ウィン・ジョーンズの『魔女集会通り26番地』(掛川恭子訳 偕成社 1984年)だった。
初めて読んだウィン・ジョーンズ作品で、ものすごい衝撃だった。だって主人公の姉が自分の希望を叶えるために平気で弟を犠牲にしようとするんだもの。そのあっけらかんとした悪役ぶりがかえって新鮮で、主人公や大魔法使いのくせになんかピリっとしないクレストマンシーより目立っていた。
のちに新訳が出たけど(『魔女と暮らせば』田中薫子訳 徳間書店 2001年)今だに以前の本の印象が強い。
ウィン・ジョーンズ作品はジブリの「ハウル」以降次々翻訳され色々読んだけど、わたしにとっては初めて出会ったこの作品が強烈さでは1番かな。
猫のティボルト

猫のティボルト

娘が『中世ネコのくらし』という本を読んでいて、「ティボルトって猫なんだ!」叫んだので「何言ってるの?」と思ったら、その本に『ロミオとジュリエット』でマキューシオがティボルトに「よう、ネコの王様」と呼びかける場面がある、と書いてあるそうだ。

早速うちにあるちくま文庫版で確認。おお、たしかに第三幕第1場でその場面あるわ!脚注にー「猫には九つ命がある」という諺にかけたものーとある。探してみると第二幕第4場にもマキューシオがティボルトのことを「昔話の猫の王ティボルト」と言ってる場面がある。そこの脚注ではー中世ヨーロッパの動物寓話「ルナール狐」に登場する猫の王様ーとある。

『中世ネコのくらし』では「ネコの名前、所変われば」のページでその話題が出ている。
フランス語でティベールというのがイエネコ全般を指す名前で、ティベールとティボルトは同じ名前なので、とのこと。ああ、フランス語のティベールが英語ではティボルトなのか。
その前ページには中世イギリスではオスネコに1番多い名前はギブで(ギルバートの愛称)だそうなので、同じネコでもネコの王様の名前の方が威厳があるのかな。でもそれを知るとなんかティボルトが猫かあ、と可愛く思えてくる。

ついでに図書館で『きつねのルナール』を借りてきた。山脇百合子さんの訳と絵。とても可愛い。
墓石の耐震

墓石の耐震

墓石の業者からDMが届いた。
いつもの時候挨拶かと思っていたら、墓石の耐震メンテナンス工事の案内だった。
はあ?たしかに地震で倒れた墓石はニュースで目にしてるけど、まさか墓石の耐震工事があるとは思わなかった。墓石が倒れたら危ないし、隣の墓に迷惑かける可能性もあるけど、そんな大地震の時はどの墓石もみんな倒れるんじゃないの?責任云々なんて言ってられないと思う。倒れたらその時考えるわ。
お墓事情が昔と変わって、墓じまいする人や共同墓地を選ぶ人もいて、墓石の注文も減り商売としては大変なんだろうけど。
ご先祖さまには申し訳ないけど、自宅の耐震だけで精一杯で墓石までは手がまわりません。ごめんなさい。
こういう時親戚が多いとあれこれ言う人がいて大変だろうけど、うちは夫が一人っ子で夫の父も兄弟全員早逝していて面倒な親戚は誰もいない。わたしが死んだらたぶん今の墓に入るけど、それも別に子どもたちの自由にしてくれていい。早めに墓じまいしたっていい。とにかく子どもたちの負担にならないようにしてくれればいい。
ひとつの作品から

ひとつの作品から

ひとつの作品からどんどん違う作品に興味が広がっていくことがある。

『小さなことばたちの辞書』を読んでいて、以前ちらっと見た映画「博士と狂人」を思い出した。WOWOW放送でじっくり見る時間がなくて冒頭部分だけ流し見していたのだ。
著者あとがきに映画の原作「博士と狂人」に触れてあり、あれがその映画化作品だったと知った。そして著者の「この物語のどこに女性がいるのだろう」という言葉にはっとした。そうかそこからこの物語が生まれたのか。
辞書編纂という魅力的な物語なので、機会があれば今度はしっかり見たいという気持ちと、この作品を読んだ後では女性の描き方にモヤモヤするだろうから、見なくてもいいかなという気持ちもある。

この作品ではサフラジェットの活動の描写もあり、ショックだったのはハンストしていたサフラジェットたちに強制摂食させていたところ。手足を押さえつけ無理矢理経管栄養を摂らせる記事を読んだエズメが「まるでレイプ!」と憤る。この場面、『ウーマン・イン・バトル』で絵で見ていたはずなのに、ここを読むまで「レイプ」という言葉が浮かばなかった。確かにこれはレイプだ。
この強制摂食については『サフラジェットの病院』でも取り上げてあり、その行為が危険であり健康を阻害することが医学的に指摘されている。

また『サフラジェットの病院』ではフローレンス・ナイチンゲールに関する記述が出てきた。当時の女性が置かれた厳しい環境について述べ、
ーナイチンゲールが30歳になる前に「死にたくてたまらなかった」のも無理からぬことであるー
と書いてあって本当に驚いた。

ナイチンゲールを主人公にした藤田和日郎の漫画『ゴーストアンドレディ』とそれをミュージカル化した劇団四季の「ゴースト&レディ」にその描写があるのだ。
そもそもの発端、フロー(ナイチンゲール)とゴーストのグレイとの出会いが「死にたいので殺して下さい」とフローがグレイに頼みに来るのだ。物語のために作られたエピソードだと思っていたけど、本当にナイチンゲールがそう思っていたなんてすごい。
さらに『サフラジェットの病院』の主要登場人物、医師のルイザ・ギャレット・アンダーソンは1910年ナイチンゲールの死亡診断書に署名しているという。
考えてみればナイチンゲールもまた『サフラジェットの病院』の時代から50年以上前のクリミア戦争時、女性だからという偏見に負けず戦場で負傷した患者の看護に奮闘していた。彼女たちの同志だ。

ひとつの作品から違う作品へ。そこからまた違う作品へ。次々と興味は尽きない。
『小さなことばたちの辞書』

『小さなことばたちの辞書』

『小さなことばたちの辞書』ピップ・ウィリアムズ著 最所篤子訳  小学館 2022年 

マレー博士を中心に『オックスフォード英語大辞典(OED)』の編纂事業に携わった人々。その中の1人の男性にエズメという娘がいた。
彼女の存在はフィクションだけど、この物語に登場するイーディ・トンプソン姉妹は実在する。こういう協力者としての女性たちが確かにいたのだ。
エズメは幼い頃から父親に連れられ、辞書編纂作業のためのスクリプトリウム(写字室)に出入りしていた。そこで「ことば」というものを知り、生涯それに関わっていく。プロローグでエズメが父親が火にくべた「ことば」のカードを救おうとして火の中に手を突っ込む場面がある。彼女の手はそれで酷い火傷を負う。詳しい描写はないがたぶんそのため火傷の跡が醜く残ったのだろう。それは彼女の人生そのもののような出来事に思える。厳しい環境、理不尽な扱い、それでもわずかな理解者に助けられ、彼女は辞典からこぼれ落ちた「ことば」を集め続ける。

「全ての言葉を記録する」という壮大な目標を持ちながら、男性ばかりの編集者の手になるその辞典には、記録されない「ことば」たちがあった。それは女性たち、身分の低いものたち、低所得層の間で使われている、いわば俗語、下品な「ことば」。彼女はそういう切り捨てられた「重要でないとされたことば」を採集していく。
マレー博士宅のメイドリジーから、サフラジェットで女優のティルダから、庶民でごったがえす市場の人々から。それらは彼らが日常よく使っている「ことば」で、ある人が渡してくれた母親が使っていたという「ことば」には、その人の母親への愛情と思い出が満ちていた。でもそういう「ことば」はご立派な辞典には載らないのだ。
そういった「ことば」たちを切り捨てて『大辞典』は出版される。そしてエズメの集めたさまざまな「重要でない、下品な、意味のない」とされた「ことば」たちは、製本され彼女の手に残る。その『女性のことばとその意味』は出版もされず、立派な『大辞典』と比べたらささやかだが、なんと美しい愛情と力強さに満ちた辞書だろう。

切り捨てられた中に「ボンドメイド」ということばがある。
意味は「奴隷娘 はしため 契約に縛られた召使、または死ぬまで奉仕することが定められている者」
これを聞いたリジーが言った言葉
「それ、あたしだね。あたしは死ぬまでマレー家にお仕えするんだから」

そのリジーが終盤でエズメに言う。
「あたしは奴隷じゃないけど、でも自分はボンドメイドだと思っちゃう。
言葉は誰が使うかで意味が変わるとあんたは言う。だからボンドメイドもそのカードの意味と少し違ってもいいじゃないか。
あたしはあんたがこんなちっちゃい頃からあんたのボンドメイドだった。そしてそれを喜ばなかった日は1日だってない」

このリジーの言葉からエズメは「ボンドメイド」の意味を書き加える
「Bondmaid ボンドメイド
愛情、献身、あるいは義務によって生涯結ばれていること」

貶められた「ことば」が、美しい「ことば」に変わったことに、その深い思いに胸が熱くなった。
自治会

自治会

自治会の役員会だった。いつもは1時間半ぐらいで終わるけど、今日の議題が自治会規約の改正だったのでかなり時間がかかり12時過ぎてしまった。団地ができて35年、住民の高齢化に伴う問題が噴出。新規入居者が自治会に未加入とか、役員の成り手がいないとか、役員報酬のこととか、今までなんとなくやってきたことをきちんと明文化するため、膨大な変更と追加点。この叩き台を作った会長さん大変だったろう。もう辞めたいとぼやいていたけど、無理もない。今日の意見を踏まえて書き直して来月また話し合うことに。
公民館の会議室は暖房つけてても足元が冷えて寒い。帰宅した時はぐったり疲れていた。4月の総会まであともう少し任期は続く。
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