全く注意を払っていなかったが角川文庫『氷菓』のタイトルの横に、小さく英語タイトルが添えてあった。
「The niece of time」
ところがこの英語タイトルが2回変わっているそうだ。
2011年最初の角川スニーカー文庫の<スニーカー・ミステリ倶楽部>としての発行時は
「HYOUKA」
次に角川文庫に移籍して
「You can’t escape」となり
さらに2012年3月31日発行の第28版から
「The niece of time」になっている。
わたしが読んだのは2012年11月15日発行の35版だった。
最初の「HYOUKA」は単にローマ字表記にしただけと考えると、次からがタイトルに込めた作者の思いがあるのかな。編集さんのアドバイスかもしれないけど。
でも現行の「The niece of time」はとてもかっこいいし、内容にも即していると思う。
これ「時の娘(The Daughters of Time)」を想定し千反田が関谷純の姪なので「娘」が「姪」になったのだろう。
ジョセフィン・ティの『時の娘』は歴史ミステリの名作、読んだ時は興奮、感動した。たしかエピグラフに「真実は時の娘」とあり、その文言にもしびれた。
これはフランシス・ベーコンの言葉「真実(真理)は時の娘であり、権威の娘ではない」から引かれており、権威に頼ることなく、時間をかけて探究された知識や経験によってのみ真実が明らかになるという意味。
『時の娘』また読みたくなった。
『愛蔵版<古典部>シリーズV』米澤穂信・著 角川書店 2024年
「ふたりの距離の概算」「いまさら翼といわれても」の他に、2編と書き下ろしエッセイを加えた愛蔵版の第3巻。
『氷菓』を読む時、どうせなら他の作品も収録されている愛蔵版にしようと思っていたら、1巻(『氷菓』収録)と2巻は貸出中だったので、3巻を借りてきた。文庫版の『氷菓』を読んだ後は読まなくてもいいかなと思っていたのだが、思ったよりも強く高校時代への懐かしさがこみあげてきたので、読むことにした。
シリーズを重ねてきたせいか読みやすくなっていた。登場人物に対しても好意的に見られるようになった。
『ふたりの距離の概算』いつのまにか折木たちが2年生になってて、新入生勧誘までやっている。仮入部した大日向をめぐる謎?が、マラソン大会当日とその前の日々の出来事を交互にはさんで、折木の推理が進んでいく。わたしの高校でもマラソン大会あったなあとまたも思い出にひたる。ただもう少し短くまとめてほしかった。早く謎を解いて欲しくてちょっと回りくどく感じてしまった。年のせいか疲れてしまった。
『いまさら翼といわれても』は良かった。これは短編集のせいもあり、折木だけでなく伊原目線の話があったせいだろう。伊原の第一印象は悪かったのだけど、ここで好転した。むしろ1番気に入ったかもしれない。彼女が漫画を描いているせいもある。
それぞれの話がおもしろかったが、「長い休日」「いまさら翼といわれても」「鏡には映らない」がよかった。こういう短編ならまた読みたいと思った。
『氷菓』米澤穂信・著 角川文庫 2001年
著者の作品では『さよなら妖精』『折れた竜骨』『満願』を読んでいて、デビュー作であり有名なこの作品は、気になりながらも未読だった。
やっぱりもっと前に読んでおくべきだったか。わたしの年齢のせいか、文章が読みにくく意味が読み取れない部分があり、最初はノレなくてこまった。登場人物もあまり魅力的に感じられなくて、これは作者がまだ書き慣れてないせいかなと思った。先に読んだ作品たちはそんなこと感じなかったので。
だが読み終わってからじわじわと来た。主人公たちより千反田の伯父関谷純の方に気持ちが入ってしまったのだ。彼とわたしはほぼ同世代(たぶんわたしは3歳下)なので、彼の時代の高校生活が自分に重なって懐かしさと切なさでいっぱいになってしまった。世相は学生運動真っ盛り、やんちゃな高校生たちの暴走もわかる。
何よりわたしの高一の12月に一部学生により校舎の3階が占拠される事件が起きた。授業はなく連日体育館での全校生徒と学校側との話し合い、教室での生徒同士の話し合いが続いていた。有志によるハンストも行われていた。一時学校側と同意して授業再開が決まったのに、一部の生徒が合意内容を不服として校舎の占拠が続いた。どれだけ続いたのか今ではもうはっきり覚えていない。
あの後カリキュラムの見直しがあり、新年度から授業内容が変わった。あの時誰か処分されたという話は聞かなかった。あれだけの騒ぎがあり、学校の評判がかなり悪くなった(あとで知ったことだが)のに、何の処分もなかったのだろうか。
それに比べると関谷純のことは「貧乏くじ」で片付けていいものか。見過ごせない大事を起こしてしまったため、どうしても処罰は行われてしまったけど、それをただ彼ひとりに負わせてしまった生徒たちの心情は、誰も追及しなかったのだろうか。皆自分が可愛いから仕方ないのか。千反田がつぶやいた(と折木が感じ取った)「ひどい」「むごい」ことだと思う。
千反田が彼のことを「伯父の最終学歴は中卒」と言ったのがきつい。では彼はその後学校へは行かなかったのか。就職は?どういう生活を送っていたのか。姪である千反田は彼を慕っていたけど、家族内での彼の立場はどうなったのか。彼のその後は生きたまま死んでいるようなものだったのか。誰も彼のその後を思いやらなかったのか。当時の仲間たちはあえて考えようとしなかったのか、見て見ぬふりをしたのか。
考えれば考えるほど胸が苦しくなる。行方不明になりもう7年。家族はけじめとして葬儀を執りおこなう。社会的には死者として扱われる。でもそうやってしがらみを断ち切ってから、これからが彼が本当に生きていけるのかもしれない。せめてそう思いたい。
スーパーでニュージーランドのりんごが置いてあった。いつもより早いな、と思ってたら、いつものロイヤルガラやジャズとは違うポピー(Poppi)という種類だった。小ぶりで赤くて名前も可愛い。今回一回限りなのか、これからしばらく出回るのかはわからないけど、見つけたら買おう。
一個食べてみたけど、かたくて普通に甘い。あまりすっぱくはない。ジャズはもう少しすっぱくてそこが好きなのだけど、これはこれでおいしい。何よりかたいのがいい。わたしはかたくてすっぱい紅玉が好きなのだ。りんごは今はふじを買ってるけど、この時期なのでどうしても少しやわらかい。
大好きな紅玉は出回る時期が短いので、スーパーでも八百屋でも生協でも、見かけたらせっせと買っている。ことしも早く出回ってほしいと待ちわびている。
紅玉の代わりというか、最近はニュージーランドのりんごが好みにあってて、毎年出回る時期を楽しみにしている。今年は新顔のポピーも増えたので、いつもより長く味わえるかもしれない。
GWも過ぎたのに、朝晩はまだ寒くて結構厚着している。日中も陽がさしていると暑くなるのだが、日陰や家の中だとそれほどではない。
前にすごく暑くなった時期があって、今からこれだと先が思いやられると思っていたけど、その後また寒くなったので、ひっぱり出した夏物の上に重ね着している。朝晩と昼の寒暖差が大きいので着るものに困る。
でもそのおかげか桜の見頃も長かったし、娘とも話したが、ここ最近の「冬から即夏!」よりもきちんと「春」が来たみたいで、なんか懐かしくいい気分。
写真 ご近所さんからいただいたミヤコワスレ
春になると隣接する公園に色々な花が咲き始める。そろそろかなと思っていたニワゼキショウ(庭石菖)も咲いていた。白が多いけど赤紫もちらほら。
アカバナユウゲショウ(赤花夕化粧)もハルジオンも咲いている。ネジバナはもう少しあとかな。
公園の花にもその年によって流行り(?)があるようで、今年はキュウリグサが勢いがあった。昨年はカラスノエンドウ、その前はホトケノザ(春の七草とは違う花)が元気だった。一時期はヒメオドリコソウがたくさんあったのに最近はは見かけない。でも市内でホトケノザがあった所に今年はヒメオドリコソウを見かけたので、また復活してきたのかな。
団地内の他の公園ではハナニラの群生がきれいだった。
今月の読書会のレポーターなので、その準備に時間を取られている。どうしても気になると調べたくなるので、読むものが多くなる。
今回はやっかいなことに、古代エジプトと聖書が絡んでくる。これをどうレジュメにまとめるか。地図と年表が必要なので分量も多く配置にも苦慮している。
この機会に『エジプト人シヌへ』も読みたいのだけれど、扱っている時代が違うのであまり参考にはならないだろうし、ついつい時間を忘れて読みふけるのが予想されるので迷っている。
hisakaさんの新作アルバム。
ライブを聴いてCD買おうと思っていたら、CD無くて配信だけだったので、帰宅後iTunesで購入した。
「Both Sides Now」と「Until it’s Time for You to Go 」が入っていて嬉しかった。
兄に誘われて、兄のボイストレーニングの先生のライブに行ってきた。場所は
渋谷JZ Brat Sound of Tokyo
コンサートなどは行ったことあるけど、こういうお店での、飲みものと軽い食事しながらのライブは初めてだった。渋谷に行ったのももう5年ぶり。電車だと体力的にまだ無理かもと思っていたが、兄が車で行き帰り送ってくれるというので決心した。
久しぶりの生の音楽はやっぱりよかった。初めて聴いた方だけど、少しハスキーな声だと思ったら、当日は風邪が治り切っておらず、「こんな状態でごめんなさい」と謝られていた。兄が言うには「いつもよりちょっとパンチが足りない」らしいのだが、そこまで感じなかった。
ジャズシンガーらしいがジャンルにこだわらず歌う方らしく、冒頭は「浜辺の歌」の英語バージョン「Walk Along the Shore」だった。ほとんど知らない曲ばかりだったけど、演奏者に合わせてスキャットで歌ったり、自分で作ったという日本語の曲もあったり、1時間半多彩な選曲で楽しませてもらった。
アンコールでは懐かしい「青春の光と影」(Both Sides Now)が聴けて嬉しかった。
そして1番印象に残ったのが中盤に歌われた「don’t ask why don’t ask how」というフレーズが心地よかった曲。(アルバムに入ってる「Until it’s Time for You to Go」という曲だった)
兄もわたしも娘も大満足したライブだった。やっぱり生はいいな。これを機会に、またコンサートやミュージカルに行きたいな、とあらためて思った。
渋谷に行けたことで(車だったけど)都心に出る練習もできたし、健康面ではまだ心配なこともあるけど、これから外出する機会を増やしていきたい。
先日NHKBSで放送されたドラマ「悪魔の降誕祭」を見た。横溝正史の短編が原作という。出演者に興味あったし、金田一耕助の短編ということもあって見た。
はて?なんか釈然としない。最後はなんかホラーみたいだけどホラーになりきれてないし、役者は熱演というより変顔させられてるし、登場人物みんなクセが強すぎて引く。髪型も変だし。演出がわたしにあわないだけかもしれないけど、はっきり言っておもしろくなかった。
このままだともやもやが残るので原作を読んでみようと、図書館で借りてきた。
『金田一耕助の新冒険』横溝正史・著 出版芸術社 1996年
この短編集の冒頭に載っていた。早速読んだけど、あれ?終盤の展開がドラマと違う。あれはドラマのオリジナルだったのか?
Wikipediaによると、最初短編で発表され、その後加筆されたという。わたしが読んだのはその最初の形の短編で、ドラマは加筆された方を原作にしているらしい。うーむ、ではそちらを読まねば。我が市の図書館にはそちらが載ってる角川文庫がない。他館から取り寄せになってしまう。そこまでしなくてもとも思うが、すっきりしないのでやっぱり読みたい。