夏の花苗

夏の花苗

団地内の花壇が夏仕様になった。先週にパンジーなど冬の花を撤去して、今週夏の花苗を植えた。
自治会の花壇担当メンバーがいつも作業しているのを、例年感謝しながらも見てるだけだったけど、昨年は役員だったので自分も参加した。今年はもう役員ではないけれど、出来る範囲でお手伝いしようと思って参加した。
ブルーサルビア、メランポジューム、ジニア、アゲラタム、トレニアと種類も量も例年より多い。花苗購入担当者が花壇の数を間違えたらしい。おかげで花壇が華やかでよい。(写真は我が家の玄関先の花壇)


うちの花壇もそろそろ夏用に植え替る時期なんだけど、パンジーがまだ咲いてて、雑草がいつの間にかぎっしり生えてきている。まずこれらを整理しなければならないが、枯れたパンジーと雑草をざっと抜くだけで力尽きた。今日の庭仕事はここまで。
今朝の新聞に驚いた

今朝の新聞に驚いた

今朝の新聞に長谷川まりるの掌編小説が載っていた。こんなところで『杉森くんを殺すには』の作者の名前を見るとは思わなかった。

『これってあるあるですよね!』というタイトルがちょっとおもしろく、読み始めて驚いた。

主人公のエリは両親のなれそめ、離婚、再婚について聞かれるままいつも正直に答えていた。それが当たり前と思っていたので、転校生にそういう事を気軽に尋ねて泣かれてしまう。親友から「そんな立ち入ったこと普通はきかない」と諭され驚いて「自分はいつも聞かれるよ?」とこたえる。そしてその理由を知らされる。

ー仕方ないよ、ハーフだからー

初対面の人に普通は聞かれないことを根掘り葉掘り聞かれるのは、自分がハーフだったから。物心ついた頃からいつもそうだったから、それが当たり前だと思っていた。そのことに慣らされていた。よく考えたらそれはめちゃくちゃおかしいことだった。

母親の
「あなたが平気だから、ほかの人にも失礼なことしていいとはならない」
という言葉に、転校生には素直に謝ろうと決めるエリ。
良い子だな。自分はいつもこんな理不尽なことされていたのに、と恨んでもいいはずなのに。

そして「仕方ない」と言われた親友に対しては、自分の「ハーフあるある」を冗談っぽく言って、少しでも自分の気持ちに気づいてもらいたいと思う。

初めて気がついた事実にとまどい傷つきながら、それでも前に進もうとする主人公を精一杯応援したい。

長谷川まりるのすごさにようやく気づいた一編だった。

この主人公と親友の関係に、藤見よいこの漫画『半分姉弟』を思い出した。第1話のマンダンンダとシバタのように、2人にもなってもらいたい。
映画「教皇選挙」

映画「教皇選挙」

映画「教皇選挙」2024年 アメリカ・イギリス
5/29 OttOにて鑑賞

公開時から好評で見たいと思っていたけど、どうせ無理だろうからと諦めていたら、新しく出来たミニシアターで上映された。諦めてたのでネタバレも含め色々感想を読んでしまっていたのが残念だったけど、それでも充分楽しめた。色々思うところがありすぎてまとめきれないので、とりあえず思いついたことだけ書いてみる。

教皇選挙ーコンクラーベという全世界で知られているが、密室で行われるため詳しいことはわからない行事。宗教的で神聖なイメージがあるけど、投票をめぐるあれこれ、票読みや票固め活動、ライバルの引き下ろし画策、スキャンダルの発覚などは世俗の選挙と変わりない。

建物、衣装など美術が素晴らしく、それを見るだけでも楽しかった。

投票が進むに連れ脱落していく有力候補者、逆にジリジリと数を増やしていく者。はたして決着がつくのは何回目の投票か。それほど劇的なことが起こらなくても緊張感が続き、ちゃんとミステリーになる。

俳優陣も良かった。選挙を取り仕切るレイフ・ファインズをはじめ、有力候補者の面々、お世話係のシスター等々全員が適役。特にシスター・アグネスのイザベラ・ロッシリーニ、ベニテスのカルロス・ディエスが良かった。

印象に残ったシーン。後から到着した、前教皇から極秘で枢機卿に任命されていたベニテスが皆に紹介され、食事の前のありふれた祈りの後に、満足に食事を取れない者たちへの祈りとお世話係のシスターたちへの感謝の言葉を述べた時。シスター・アグネスのはっとした顔が一瞬映る。共に出番は少ないが抜群の存在感を示し物語の鍵となる2人。その一瞬の触れ合いを感じさせられた。突然出現した新しい枢機卿に疑問を持っていても、あの言葉で彼の人となりがわかり、前教皇の任命が妥当なものだったと納得させられる。

またシスター・アグネスの「神は目と耳を与えてくださった」とある候補者を告発する場面。かっこよかった。
そしてベニテスが、テロで興奮して差別主義を叫び混乱した枢機卿たちへ投げかけた言葉。正確ではないけど「みんな本当の戦争を知らない、自分のことしか考えていない、ここ数日のくだらなさ、ここは教会ではない、戦うべきなのは自分自身だ」と本当に真っ当な言葉で騒ぎ立てていた者たちを黙らせる。静かな佇まいのまま。

イザベラ・ロッセリーニは有名だけど、ベニテスのカルロス・ディエスはほぼ無名。彼からは威圧感を感じないが、もしある程度有名な俳優だったら、最初から何かあるんじゃないかと思っていただろう。

ローレンスが最初から苦悩に満ちた顔してるのが気の毒で、なんとか晴れ晴れした顔になってほしいなと思っていたので、ラストシーンで朝中庭を眺める顔が、ようやく少し明るくなっていてホッとした。このシーンあまり劇的でないのも良かった。ローレンスの目に映るのは、まだ幼さの残るシスターたち(見習いかしら?)が建物から出てくるところ。ごくありふれた朝の風景、地味なほどの場面で終わる。

パンフレットでバチカン市国の地図が載っていたので、投票の行われるシスティーナ礼拝堂と宿泊施設である聖マルタの家の位置関係がわかった。シスター・アグネスが聖マルタの家の運営責任者であることも書いてあった。
聖マルタの家について調べたが、ここはヨハネ・パウロ2世の在位中1996年に枢機卿たちの宿泊施設として建設され、実在のフランシスコ前教皇もここに住んでいたという。
この映画の中で死去した前教皇の部屋があったのも、この聖マルタの家だったようだ。
最初にローレンスが死去した教皇の部屋に行くときと、もう一度コンクラーベの最中に行く場面があるが、どちらもエレベーターの中で「8階です」とアナウンスがあった。最初はエレベーターでどこ行くのかと思っていたけど(だって教皇がそんなホテルみたいなところに住んでいるとは思わなかったので)、2回目は同じ構図だったので、ああ、あの部屋に行くのかと思った。でもこの行動、後で騒ぎが起こらなかったのか?

新教皇が決まり白い煙が上がるはずだが、この場面はあえて映さず(1回目の黒い煙の時は映した)人々の歓声の中空を見上げるローレンスの姿だけを映す。
そういえばこの映画徹底して外の世界を映していなかった。あくまでも閉じた世界の中だけの話だった。

前教皇がチェスで「8手先を読む」と言われていたけど、はたしてこの結果も読んでいたのだろうか。自分の寿命を感じて手は打っていただろうが、全てを見通していたのかどうかはわからない。

前情報をほとんど入れていない娘の感想もおもしろかった。わたしもそうだったらまた違う感想をもったかもしれない。細かいところは見逃しているので、確認のためにもう一度見たいと思った。それだけおもしろい映画だった。
『愛蔵版<古典部>シリーズT』ー氷菓・愚者のエンドロールー

『愛蔵版<古典部>シリーズT』ー氷菓・愚者のエンドロールー

『愛蔵版<古典部>シリーズT』 米澤穂信・著 角川書店 2023年
「氷菓」と「愚者のエンドロール」の他に短編2編を加えた愛蔵版の第1巻。

最初に『氷菓』を読む時に、ついでに2作目も入ってる愛蔵版を借りようとして、貸出中だったので予約しておいた。肝心の『氷菓』はもう文庫で読んでしまい、その時はもう他の作品は読まなくていいやと思い、予約キャンセルするつもりだった。ところが思いがけず高校時代の思い出に引きずられ、このシリーズがなんとなく気になるようになっていった。先に読んだ愛蔵版の第3巻の「いまさら翼といわれても」が良かったので、こちらもやっぱり読んでみようかとキャンセルせずに借りてきた。

『愚者のエンドロール』初刊: 2002年 角川スニーカー文庫
『氷菓』の時に感じた読みにくさは感じなかった。むしろ読みやすくてすいすい読めた。そしてとてもおもしろかった。これは題材が文化祭だったからだろう。わたしの思い出スイッチがまたまた入ってしまった。
文化祭でのあるクラスの映画制作をめぐるミステリー。最初に懐かしいチャット画面で話が進んでいく。まだこの時点では誰と誰の会話かわからないが、最後にもう一度チャット画面が来て、ここで誰なのかが分かる。この構成はおもしろかった。この作品の発表当時(2002年)ネットはこんな状況だったかと懐かしくなる。登場人物にもだいぶ慣れてきて、高校生ってこんなだったかなあ、と前作で感じていた苛立ちも少なくなっていた。

文化祭での映画制作という点で、これまた高校時代の思い出が甦る。3年生の時うちのクラスやたらと張り切って、喫茶店と縁日っぽい売り場と、人形劇と紙芝居と映画の上映と、3年生なのに?と呆れられるほど盛りだくさんのイベントをやり通したのだ。あの情熱はなんだったんだろう。3年だから部活はもう引退していたので、部活の方ではなくクラスの展示に力を注げたのだろう。受験に向かう前の最後の輝きというか、やんちゃ騒ぎの日々だった。

だから思い出補正で水増しされた好感度のせいで、評価が甘くなってしまうけど、それはもう仕方ないと開き直るしかない。
待ってました

待ってました

今日スーパーでいつものようにニュージーランドのリンゴ、ポピーを買おうしたら、その隣にジャズが並んでいた。元々このジャズが好きでこの時期出回るのを楽しみにしていた。最初はジャズだけだったのに何年か前からジャズの前にロイヤルガラが並ぶようになり、今年は新顔のポピーが出てきた。ポピーの後にロイヤルガラが出て、ジャズはその後かなと思っていたのに、今日はポピーとジャズが並んでいた。ロイヤルガラの代わりのポピーだったのかな。ポピーもロイヤルガラもそれぞれおいしいけど、本命はやっぱりジャズなので、今日見つけて嬉しかった。少しでも長い期間出回りますように。
マーサズ・ヴィンヤード島

マーサズ・ヴィンヤード島

ボストン南東部のマーサズ・ヴィンヤード島では、かつてろう者と聴者がわけへだてなく、誰もが当たり前に手話を使って話していた。その島に関する本3冊。

『みんなが手話で話した島』
文化人類学者ノーラ・エレン・グロースのフィールドワークの傑作。zoom読書会の課題本だったが、体調不良のため参加できず、本も途中までしか読んでいない。

『目で見ることばで話をさせて』
アン・クレア・レゾット作の児童書。こちらは読んだが、時間が経っているので細かいところまで覚えていない。

『あの子を自由にするために』今年刊行された『目で見ることばで話をさせて』の続編。

この機会に関連あるこの3作をちゃんと読んでみようと思う。
『カルディコット・プレイスの子どもたち』

『カルディコット・プレイスの子どもたち』

『カルディコット・プレイスの子どもたち』 ノエル・ストレトフィールド・著 尾崎愛子・訳 偕成社 2025年

1960年代のロンドン郊外に住むジョンストン一家。平和な生活が父親の事故で一変する。
父親の入院が長引き収入も途絶え、これからの生活への不安に直面する家族。母親と3人の子どもたち、それぞれ年齢や性格や立場による感じ方の違いがとても丁寧に描かれている。
思いがけず末っ子が相続した田舎の古い屋敷<カルディコット・プレイス>に、父親の療養のため移り住み、さらに事情ある3人の子どもたちを預かることになる。慣れない田舎のお屋敷で大人数での暮らしが始まる。
最初は家族、お屋敷に移り住んでからは他の子どもや大人たち、登場人物が一気に増えるが、その1人1人がそれぞれきちんと描かれているのでわかりやすく混乱もしない。
大人の事情や思惑、子どもたちの心情、思いのすれ違い、衝突と和解。それらを繰り返しながら新しい環境での暮らしになじみ、新しい家族とのつながりを深めていく。
決していい子ちゃんばかりではないけど、そこがリアルで子どもにとっては一大事だよね、と共感することも多い。大人たちもそれぞれの立場があり、節度ある接し方に好感が持てるし、基本みんないい人なので読んでいて気持ちがいい。著者の他の作品同様あたたかくほっとする作品だった。疲れた心にはしみじみ響いた。
「違法」という言葉

「違法」という言葉

映画「ノー・アザー・ランド」で井戸を埋めるイスラエル兵士が「どうしてこんなことを?!」と詰られ、「違法だから」と言う場面があった。その言葉にハッとした。
「違法」という言葉に正当性を認めてしまう自分がいる。違法や不法という言葉につい犯罪性を感じてしまう。

かって不法滞在の家族が国外退去を求められ、それに反対する運動のニュースがあった時「だって不法滞在なんだから仕方ない」と思っていた。不服なら正式に滞在資格を得ればいいことなのに、とさえ思っていた。イスラエルの兵士たちの言い分と変わらない。
この国の移民政策と入管制度がどんなものか知らなかったのだ。難民申請が認められずやむを得ず不法滞在者となってしまう人の存在を知ったのは、恥ずかしいが最近のこと、『やさしい猫』などの本、ネットやニュースなどからだ。こんな理不尽なことがあるのかと驚き憤った。

昨年映画「マイスモールランド」をWOWOWで見た。その中で難民申請が通らず在留資格を失ったクルド人家族の目の前で、在留証明書を鋏で切り裂く場面があった。証明書を取り上げたらそのまま持ち去り廃棄すればいいのに、わざわざ彼らの目の前で見せつけるように切り刻むのだ。お前らにはもうなんの権利もないんだぞ、と思い知らせるために、いたぶるように。わざとなのだろう。人の尊厳を奪い、気力を削ぎ、日本で暮らすことを諦めさせる為に。

パレスチナにおけるイスラエルの蛮行と何ら変わらない。「ここはお前らが住む場所じゃない。嫌なら出て行け」そう言いたいのだろう。

5月23日に出入国在留管理庁から
ー「国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン」についてー
という発表があった。
国民を守るという大義名分でルールを守らない外国人(どういう基準で選別するのか?)排除を堂々とうたっている。暗澹たる気持ちになる。
映画「ノー・アザー・ランド」

映画「ノー・アザー・ランド」

映画「ノー・アザー・ランド」2024年 ノルウェー・パレスチナ
5/22 OttOにて鑑賞

ずっと見たかった映画。県内で比較的近場にできたミニシアターで上映されたので、ようやく見に行けた。

パレスチナについて無知だった自分を恥じる。ガザへの攻撃がニュースになり、ようやくパレスチナ問題を知りたいと思い、本を読んだり(『ガザとは何か』『中学生から知りたいパレスチナのこと』『イスラエルとパレスチナ』等、もっともっと読まねばならない資料が山積みで早く読まなくてはと焦っている)ニュース解説を見たり、SNSの投稿を見たり、勉強を続けている。ヨルダン川西岸でイスラエルによるパレスチナ住民への攻撃が行われていることは、ガザの後に知った。

話題になっていたこの映画、やはり映像が物語る強さはすごかった。容赦無く軍によって破壊される建物、人々への発砲、暴力、拘束、生活の場が瓦礫の山に変わる。その変わり果てた場所で何とか生活を続けようとする人々。ご馳走を皆で食べたり歌ったり踊ったり、普通の人々の生活が確かにある。
人が撃たれる場面、逮捕される場面もしっかり映っている。作りものでない本当に起きていること。これを黙って見ているしかない自分の無力感。
いちばん心が痛んだのは学校を破壊した軍が、それだけではなく井戸をコンクリートで埋め、水道管を破壊した場面だ。ここでは人が生きることを許さないぞ、という有無を言わさぬ残酷で強固な意志。心が折れる。

アカデミー賞受賞で全世界に知られたことは嬉しいが、それにより撮影した監督たちへの弾圧が厳しくなるのではないかということも心配になる。現に共同監督の1人が拘束された事実があった。無事解放されたのでほっとしたが。

この映画は娘と一緒に見て娘もブログに書いている。↓

https://august16th.hatenablog.com/entry/2025/05/22/185106
気になる本

気になる本

今朝の新聞で紹介されていた本。

『天までのぼれ』中脇初枝・著 ポプラ社 2025年

国会もない時代に女性参政権を訴えた楠瀬喜多(1836〜1920年)の評伝小説だそう。
この女性の名前も知らなかったけど、<女性も住むこの国のことを女抜きで決めないでほしい>という帯の言葉が、今の時代も重く響く。いろいろなニュースを聞くたび、制度決定の場に女性が居ないことに呆れるけど、100年以上前から変わってないのだ。
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