『煙のように消えるねこ』

『煙のように消えるねこ』

『煙のように消えるねこ』リンダ・ニューベリー・作 田中薫子・訳 丹地陽子・絵 徳間書店 2025年

引越した家の隣の庭でおばあさんと猫を見かけた少年。でもその家にはおばあさんも猫ももういないという。夜中にあらわれるおばあさんと猫たち。不思議な光景だけど怖くない。謎解きというほどではないけれど、少年の優しい心がその光景を見せているのだと思う。おばあさんと猫のために少年が頑張ったことで、おばあさんも猫も本当に嬉しそう。心がほっこり暖かくなる優しい物語だった。絵もかわいい。

姉妹編で『おもちゃ屋のねこ』という作品もある。こちらも読んでみたい。

作者の作品では以前『緑の精にまた会う日』(徳間書店)を読んだ。これもとても優しい作品だった。
気になるのはこの『緑の精にまた会う日』のことが、徳間書店のHPでも、『煙のように消えるねこ』のあとがきや作者紹介でも触れられていないこと。もしかしたら絶版になったのかな?
お気に入りの店

お気に入りの店

先日昼食の後「ケーキが食べたくなった」と娘が言った。じゃ花見がてらの散歩の後、ケーキ屋さんで買ってこようと計画した。いざ出かける時に娘が「あのカフェに寄れるんじゃない?」と言い出した。あ、たしかにこの時間なら営業してる!と予定変更。

このカフェ3年前開店し、開店直後からちょくちょく利用しているお気に入りのカフェ。営業日と営業時間が曜日によって違うので、都合が合わないとなかなか行けない。ケーキがとてもおいしいのだが、コーヒーが好みの味ではないので、最近は紅茶を頼んでいる。

もう一つのお気に入りが、まるで昭和か?と思うようなレトロな喫茶店。カフェでなくあくまでも「喫茶店」という佇まい。ナポリタンもサンドイッチも定食もなんでもある。ここはコーヒーがおいしい。残念ながらケーキはおいしくないが、ピザトーストがおいしいので、小腹がすいてる時は頼んでいる。

ケーキのおいしいカフェかコーヒーのおいしい喫茶店か、迷うところだが、先日の目的はケーキなのでカフェに行った。この日は季節限定抹茶のシフォンケーキを頼んだ。これがもう感動的においしくて、ああ、生きててよかったと幸せな気持ちになった。

写真はカフェに行く途中のお宅で咲いていた椿。
草取り

草取り

庭をリフォームした時、花壇以外は人工芝と砂利にした。これで草取りからは解放されると思ったのだが、隣接する公園の草取りからは逃れられなかった。
本来なら公園部分は、自治会の年4回の住民全員の清掃作業に任せればいいはずだった。ところが公園とうちの庭の境界の柵が公園部分にはみ出しているため、この柵とうちの敷石の間の部分が手付かずのまま残ってしまう。仕方なくいつもここはうちがやらねばならない。これがけっこうな負担でかなり辛い。
冬の間はいいのだが、2月頃から少しずつ草が生え始め、放っておくとあっという間に蔓延るので、気がついたらちょくちょく抜いていた。暖かくなって勢いを増し、まだ自治会の清掃日まで1ヶ月もあるので、先週は柵のこちら側、今日は柵の向こう側の草取りをした。30分のつもりがやはり1時間はかかる。これから暑くなると熱中症が心配なので、15分くらいで切り上げなければならない。蚊をはじめアブやハチも出てくるので、時間帯も考えねばならない。こちらに手を取られて花壇の草取りまで手が回らないのも困る。何とかならないか、いっそ防草シートでも敷こうかと思うのだが、その作業もまた大変なのだ。いつも悩ましい問題だ。

シレネ・カロリニアナ(ピンクパンサー)

昨年から散歩の途中でよく見かけるようになった花。シバザクラ?花の形はムシトリナデシコにも似てるし、あざやかな赤色からレッド・キャンピオンか?でも花の形が違うし、とずっと名前が謎だった。ようやく判明。

シレネ・カロリニアナ。
流通名はシレネ・ピンクパンサー。いや、ピンクにしては色が濃いので候補から外していたのだけど、濃いピンクと言われれば、はいたしかにそうですね。もっと薄いピンクや白い花もあるらしい。スパニッシュフラメンコという別名もあるらしい。情熱的ですなあ。

散歩の帰り道、群生している道端でしばらく眺めていたら、家人らしき男性が「よかったら、あげるよ。持ってって」とスコップを持ってきてくれた。せっかくのご好意なのでありがたく2株頂戴した。バッグに常備しているポリ袋が役に立った。

帰宅して早速花壇に植えた。うちの庭に根付いてくれるかなと心配だったけど、翌朝ちゃんと咲いているのを確認して嬉しかった。庭を眺める楽しみが増えた。
白い桜

白い桜

ソメイヨシノの満開はやはり豪華で見応えあるのだが、隣に一本だけ白い桜がある。花は少し大きめで葉っぱが一緒に出ている。薄紅の中の白い桜はすっきりと美しく、毎年楽しみにしている。大島桜かな。
池の周り

池の周り

池の周りにも咲いている。昨日はコサギとカルガモがいた。カワセミも時々見られる。初夏には睡蓮が咲く。以前は夏に蓮も咲いていたのだが、最近はなくなってしまった。
ようやく満開

ようやく満開

近所の公園の桜がようやく満開。休日にはこの芝生でお弁当を広げる家族が何組も居た。小高くなっていて、ここに座ると上から横から四方桜に囲まれて埋もれてしまいそう。
『赤毛のアン』について

『赤毛のアン』について

新作アニメの放送を機に『赤毛のアン』についてネット上が騒がしい。
わたしは子どもの頃読んだ時は、さほどおもしろいと思えず、学生時代の友人が「愛読書は『赤毛のアン』なの!」と言ったのを聞いて
驚いたぐらいだった。
それが子どもが読むようになった頃、再読したらとてもおもしろく感じた。たぶんマリラ目線で読むようになったからだと思う。だから『赤毛のアン』は児童書や少女小説ではなく、大人の読み物ではないかと思っていた。
今回の騒ぎであらためて全部読んでみようかと思って、新潮文庫版を購入した。

たぶん子どもの頃読んだのは、村岡花子訳だった。子どもたちと読んだのは偕成社文庫の茅野美ど里訳。でもシリーズ全部読むならやはり村岡花子訳にしようと思った。
ただ最終巻『アンの思い出の日々』は2009年にカナダで出版されたもので、村岡花子の孫の村岡美枝の翻訳。
『花売りセンパチュンチュン』

『花売りセンパチュンチュン』

『花売りセンパチュンチュン』 茂市久美子・文 アヤ井アキコ・絵 BL出版 2025年

副題に「ネパール・ヒマラヤのむかしばなし」とある。
『ヒマラヤの民話を訪ねて』の民話編の「センパチュンチュンとハンバチェン」を絵本にしたもの。お人よしのセンパチュンチュンが欲深いハンバチェンにだまされれひどい目にあうけど、結局は幸せになる話。花売りなので花がたくさん出てきて、それがみんな美しい。青いケシもある。きれいな色彩の可愛い絵で楽しく読める。ケサル神の社に動物たちが集まる場面は、その他の場面と違い暗い色調で恐ろしく迫力がある。

著者のあとがきにもシェルパの村を訪ねたことが書いてある。ネパールといってもその中のシェルパ族の民話。彼らはチベット仏教を信仰している。そういえば山岳地出身で、カトマンズで働いていた夫の同僚も仏教徒だった。わたしが暮らしていたカトマンズではヒンズー教徒が多かったが、ヒンズー教の寺院の他に仏教寺院もありキリスト教徒もいた。カトマンズ盆地のパタンにはチベットの難民キャンプもあった。チトワン国立公園に行った時泊まったのがタルービレッジで、夜にはタルー族のダンスが披露されていた。カトマンズ盆地にはネワール族が多く住んでいて、ネワール語は標準のネパール語とは違った言語だった。ティハールの祭はネワール族の新年になる。光にあふれた美しい祭だった。
ネパールはいくつもの民族で構成されている多民族国家。それぞれに言語、宗教、服装、文化の違いがある。独自の昔話もあるのだろうなあ。
『ヒマラヤの民話を訪ねて』

『ヒマラヤの民話を訪ねて』

『ヒマラヤの民話を訪ねて』 茂市久美子・著 白水社 1999年

1982年に出版された本の新装版。1978年7月から10月にかけて、ネパールのヒマラヤのふもとシェルパの村を、シェルパの昔話を採取するために訪れた記録。著者はその前の1977年にも民話採集のため訪れている。紀行編と約40の民話編とで構成されている。民話編もいいのだが、わたしにとっては紀行編の方が興味深かった。
ネパールは夫の仕事で家族で1989年〜91年に滞在していた思い出の地だ。わたしの暮らしていたのはカトマンズでこの紀行の10年ほど後だし、シェルパ村の暮らしは実際に経験したことはない。でも長くネパールに暮らしている人や青年海外協力隊の隊員たち、トレッキングに行った人たちからの話など聞いていたので、読みながら想像することはできた。地名や人名、料理、いちいち懐かしい。タルカリ、ダルスープ、アチャール、ダヒ、チャイ、チャパティ、チャンなど並んだ食卓も思い出して懐かしんでいる。いつかまたネパールを再訪したいと思っていたけど、もうこの年になってしまってはかなわないこと。

著者があとがきで、新装版出版の頃(1999年)はこの訪問時から20年もたっていたので、文明の波が押し寄せたシェルパ社会は当時とはずいぶん変わった、と書いている。そうだろうと思う。わたしが暮らしている間もどんどん社会は変化していったから。民話を語ってくれた人も多く故人になったという。文明化は時代の流れで止められない。この時に集めた民話は貴重なもの。著者が祈ったように、同じ形でなくてもずっと語り継がれていってほしいと、わたしも願っている。