ハロルド作石/著 講談社2017年4月刊
以前小学館から第1部全6巻が刊行されていて、続きを楽しみにしていた。約5年経って出版社を変えて待望の第2部の刊行。これは嬉しい。以前と違うのが副タイトル「NON SANZ DROICT」がついたこと。これはシェイクスピアの紋章に書かれている銘文で「権利なからざるべし」(古フランス語 英語ではnot without right)という意味らしい。
内容は第6巻の続きで、いよいよロンドンに出てきたシェイクスピア一行の話。この巻でタイトルの「7人」が全員揃う!でもトマス・ソープが7人の中に含まれるということが驚き。そして第1部第1巻第1話ですでに(ワースを除く)7人全員が登場していたことにも驚く。あの時ワースが居なかったということは…と不吉な予想をしてしまう。
でも作品が出来上がっていく過程が描かれていてとてもおもしろい。次巻が楽しみ。
有栖川有栖/著 角川書店2017年刊
綾辻行人もそうだけど、途切れず新作を発表し続けて、しかも一定の水準を保っているってすごいなあ。特にこれはシリーズものなので、お約束の安定感がある。しかし有栖川作品でスマホが出てくるなんて隔世の感あり。
いつもきっちり地道に論理を組み立てたミステリで、この人本当に誠実に本格推理に取り組んでいるんだなあと頭が下がる。事件の真相はこれまた切ない。
どちらも集英社オレンジ文庫
『雲は湧き、光あふれて』2015年
『エースナンバー』2016年
野球が大好きな著者の高校野球の話。3編ずつ収録。『雲は湧き、光あふれて』に収録されている同名の作品だけ戦前から戦後が舞台で、あとは現代が舞台の連作。時代は違っても球児たちの思いは同じ。それだけに戦争に翻弄された彼らが切ない。思いきり野球をさせてあげたかった。
タイトルは夏の甲子園大会の大会歌「栄冠は君に輝く」の歌詞の最初の部分から。何度も聴いていたのに、ラストの「あゝ栄冠は君に輝く」しか記憶にない。こんな歌詞だったのか。
サラ・ウォーターズ/著 中村有希/訳
創元推理文庫 2003年刊
「茨の城」がおもしろかったのでこれも読んでみた。
ミステリかと思っていたらオカルトっぽかったり、ゴシックロマン調だったり、「茨の城」でもちょっと感じた百合っぽかったり、ジャンル分けが難しい。半分くらいは予想ついたけど、やはりラストの展開は驚いた。ああそういえばあれも伏線かと思うところ多く、もう一度読み返したくなる。たいへんおもしろく読んだ。
しかし読後に爽快感はあまりなく、ヒロインが気の毒でならない。彼女自身の問題もあるが、やはりあの時代の社会が求める(押しつける)女性像の犠牲者に思える。当時(19世紀)女性は男性や家の従属物でしかなく、そこから脱する手段はほとんどない。自立するなんて貴婦人のすることではなく、それをはかろうとする女性は家族からも世間からも変わり者として白い目で見られる。(母親に「恥」とまで言われる) それをはねのけ自立を勝ち取るために、孤独に耐え戦い抜く強さはヒロインにはなかった。不安定で危なっかしくて、でもプライドは高くて、といろいろ痛い彼女だが、自分にも覚えのあることなので嫌いにはなれない。普通の女性にはそれほどの才能も強さもないのだから。
同じような時代と女性を描いた映画「ミス・ポター」や「ある貴婦人の肖像」それと観ていないけど「未来を花束にして」を思い出した。今の時代に生まれて良かったとしみじみ思う。
海野つなみ著 講談社 2017/3刊
娘が8巻までは電子書籍で買っていて、最終巻だけはコミックスで買った。
評判になったドラマも観たことなく「恋ダンス」なるものも知らなかったが、作品は続きを楽しみにしていた。前巻で気になっていたので、今回本編でも番外編でも百合ちゃんのエピソードが主でよかった。表紙も百合ちゃん。
百合ちゃんがポジティブモンスター五十嵐安奈に言った言葉が胸に響く。
「あなたが価値がないと思っているのは この先自分が向かっていく未来」
「あなたにとっての未来は 誰かの現在であったり過去だったりする」
これは昔聞いた
「子供叱るな来た道じゃ 年寄り笑うな行く道じゃ」
に通じる言葉だなあ。肝に銘じて生きていこう。
「だれがコマドリを殺したのか?」では、ダイアナのあだ名がコマドリで姉のマイラがミソサザイ。コマドリはかわいいけどミソサザイって?とちょっと驚く。こんなあだ名つけるか?と思ったけど、これは日本語だからそう感じるだけで、英語だとRobinとWrenなので別に変じゃない。コマドリもミソサザイもイギリスでは人気のある小鳥ということなので「愛するかわいい子」という思いでそう呼びたくなる気持ちは分かる。「小鳥ちゃん」とか「子猫ちゃん」という感じなのだろう。ただ訳文で「コマドリ」とか「ミソサザイ」と呼ばれてるので、どうもしっくりこない。ダイアナが自分のことを恋する相手に「コマドリと呼んで」と言ってるけど、これがマイラだったら「ミソサザイと呼んで」になり、ものすごく間抜けに聞こえる。ちっともロマンチックじゃない。だから訳文でも「ロビン」「レン」でいいんじゃないかな。
昔話や童謡ではコマドリとミソサザイは対で語られることが多いらしく、姉妹にこのあだ名をつけたのもイギリス人には納得できることなのだろう。雄のコマドリと雌のミソサザイが結婚する話もあるらしい。(「Cock Robin and Jenny Wren」)またジェニー・レンという名は小鳥のようにかわいい少女というイメージがあるそう。たしかにミソサザイよりうんとかわいいひびきだ。やっぱり訳文でもこちらを使った方がいいと思う。
それでも、マザーグースの歌詞で殺されるイメージのあるコマドリをあだ名にするのに、抵抗はないのかなあという疑問が残る。
ハリントン・ヘクスト著 鈴木景子訳
論創社 2015年7月刊
こちらも表題紙裏に原題あり
Who Killed Diana? 1924
by Harrington Hext
創元版でお腹いっぱいという感じだったので、こちらはざっと読んで翻訳の違いを見るだけでいいかなと思っていた。ところがパラパラめくってるとけっこう違う表現が目につく。言葉の違いとか文章の順番の違いとか直訳と意訳とかではなく、違うテキストから訳したのかと思うほど。(確かにイギリス版とアメリカ版という違いはあるが)それでいながら内容は違わない。同じことを違う表現で描いているみたい。
一番驚いたのは、終盤での重要な言葉。
創元文庫P292「そんなにしょっちゅう自分を甘やかしてどうするんだ」
論創社P262「君はいつか自分の首を絞めることになるぞ」
原文でどう書いてあるのか本気で知りたい。
結局読み比べることはやめて、そのまま読み進めた。最初の違和感は薄れこの翻訳に慣れてきた。文庫とハードカバーという違いもあると思うが、こちらの方が丁寧な感じ。どちらで読んでもいいけど、こちらの方がよりイギリスの雰囲気があるように思う。
イーデン・フィルポッツ著 武藤崇恵 訳
創元推理文庫 2015年3月刊
表題紙裏に原題と著者名あり(イギリス版も併記)
WHO KILLED COCK RIBIN?
(WHO KILLED DIANA?)
by
Eden Phillpotts (Harrington Hext)
1924
これはアメリカ版からの翻訳。
とりあえずこちらから読んでみた。タイトルから童謡の見立て殺人のミステリだと思っていた。だが童謡には関係なく、単にコマドリというあだ名の女性の死になぞらえてタイトルがつけられたようだ。最初のイギリス版では「コマドリ」ではなく「ダイアナ」だし。
心理描写や風景描写が細かく、推理小説というより(サスペンス風味のある)普通小説、恋愛小説のようだった。古きよき時代のイギリスを描いたドラマを観てる感じがしておもしろかった。
コマドリというから可憐な女性を想像していたが、けっこう強い女性で予想を裏切られた。タイトルから悲劇がおきるのはわかっているが、作者の思わせぶりというか、フィギュアスケート並みの煽りが多くて少し疲れる。もう少しそれが少ない方が効果的だと思う。
メインのトリックは一応伏線はあるけど今では絶対無理だし、当時でも強引なのでは?最後に告白書があるのは同じ作者の「赤毛のレドメイン家」と同じで既視感いっぱい。アガサ・クリスティの普通小説に似た感じだけど、男性と女性の違いなのかもしれないが、クリスティの方が上手いと思う。
この言葉は萩尾望都の「ポーの一族」の中の「小鳥の巣」でエドガーが口ずさむ童謡で知った。繰り返し挿入されるこの歌詞、たまたま亡くなった少年の名前がロビンだったことからも、なんとも不穏な雰囲気を醸し出していた。これが童謡?マザーグースってわりとこういう怖い歌詞がある。
だあれが殺した?クック・ロビン
それはわたしとスズメがいった
わたしの弓と矢羽で
わたしが殺した クック・ロビンを
その言葉をまんまタイトルにしたイーデン・
フィルポッツの作品。こんな作品があったのも驚きながら、2種類の訳本があることも驚き。シャーリィ・ジャクスンの「処刑人」と「絞首人」のようにタイトルが違う。しかも著者名も。
もともとイギリスで出版された時のタイトル、著者名が「だれがダイアナ殺したの?」ハリントン・ヘクトン(フィルポッツの別名義)
その後(同年)アメリカで出版された時のタイトルが「だれがコマドリを殺したのか?」
イギリス版とアメリカ版ということでは、クリスチアナ・ブランドの「ジェミニー・クリケット事件」と同じだが、あちらはタイトルは同じで内容が違っていたけど、こちらは内容は同じ。しかしタイトルと著者名と翻訳者と出版社が違うと、違う本だと勘違いする人いないのかな?有名な作品なのでそんな人いないか?
堀江敏幸 小学館 2017年刊
素敵な装幀。音楽雑誌に連載されていた記事をまとめたもの。全般音楽には疎いので、ここで挙げられてる演奏家については知らない人が多い。でも読んでて楽しかった。
「世界を生み出す針圧」ではフィギュアスケートについて書かれており、おおおこんなふうにフィギュアスケートを表現するのかと新鮮だった。
「むずかしさの土台」ではモーツァルトの父親についての吉田秀和さんの言葉を紹介していたが、それにハッとした。父親は息子がむずかしい音楽を書こうとすると、もっとやさしくと諭しつづけた、という言葉。たしかにわたしの好きなウィーンミュージカル「モーツァルト!」でそういう場面があった。しかしわたしはその場面は、息子の才能を理解せず矯めてしまうダメな父親、と受け取っていたので驚いたのだ。わたしの感じ方が浅いのか演出のせいなのか、どちらかはわからないが、違った見方を教えられてよかった。
そういえば映画「アマデウス」でも、皇帝がモーツァルトに「音が多すぎる」というようなことを言っていた。こういうエピソードが実際にあったということだろうか。